陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・165 生き残る道

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「よって太陽は」



太陽―――――即ち、皇帝。ルシアの声は、厳粛だ。











「その遍く光の恩恵をチェンバレン家に与える気を完全に失いました」











優しいとさえいえるルシアの声に、レスターは奥歯を噛み締める。



―――――チェンバレン家はやり過ぎた。そういう、話だろう。

だが、もうレスターには関係がない話だ。

レスターはチェンバレンの人間ではない。貴族としての籍はない。



帝国においては、ただの、最下層の民。



そして、かつてその一族であった者として、滅んで当然という思いがある。

だが同時に、滅んだ結果、周りが被る害を考えてしまうのだ。



結果、一族の滅亡は現実的ではないという結論が、苦い思いと共に胸の奥でわき起こる。

(だが、あの皇帝と宰相が、間違った結論を下すだろうか)



ルシアは厳かに締めくくる。

「このままならば、公爵家は根まで枯れるでしょう」





「それでも、公爵家です」





レスターは、足掻くように声を絞り、知らず、俯いていた顔を上げた。



「滅ぼすことまでは、…いくらなんでも」

チェンバレン公爵家ともなれば、国の屋台骨の一つと言っても過言ではない。







潰れてしまったら、公爵家が関わる事業はどうなるのか。

それ以上に、領地にいる民は。



しかも皇后の生家だ。







皇帝はチェンバレン家に対する態度を否定的な方向に決めた、ということだろうが。

たとえ皇帝であろうと、彼の一存で存亡を決められる存在ではない。



レスターは、そう確信しているが。

―――――ただ。







嫌な不吉の種が、胸の内に根付いた。

いつか、チェンバレン家は報いを受けるだろう、と腹立ちまぎれに思い、怒りのあまり眠れなかった数々の夜。



彼のその感情が種の土壌だ。







「わたくしに語れるのはここまでです」



レスターの感情を見透かしたかのように、ルシアの声は静かだ。

なんの強制もない。







いっそ、命じてくれたなら。







思った自身の弱さを嫌悪し、レスターは強く目を閉じた。



「なぜ、あなたがわざわざ、…俺に」

恨み言も言えず、子供のように、疑問を力なく吐きだした、レスターの耳に。















「―――――イーサン・ハウエル」















届いたその名に、レスターは胸を刺された心地になる。



ルシアの声は穏やかだった。そのくせ、刃物のようだ。



「彼に、フィオナ皇妃につけと言ったのは、…あなたですね」



レスターは一瞬、息を止め、目を瞠った。















先日の話だ。

ハウエル家の人間が殺され、スラム街に死体を捨てられた。

ハウエル家は優れた騎士の血統。

その家の人間に、そこまで無造作なことができる存在は、限られている。

レスターはすぐ悟らずを得なかった。





チェンバレン家はハウエル家を捨てた。





ああ、これは。

あまりに、あまりに、あまりに―――――愚劣。



自身を守るために、そのためだけに、優れた存在を、ゴミのように。



なんら落ち度のない気高い騎士の一族を、根絶やしにするというのか。

―――――あの一族は、ゴミのように捨てられるには惜しい一族だった。

失うのは、この国のためにならない。

民のためにならない。



生かしたい。



義憤に燃えた、というよりも、ある意味、レスターは打算的だった。



だが、チェンバレン家を余裕で上回る勢力となれば、そう多くはなかった。



レスターは考えた。必死に考えた。

どうにかハウエル家が生き残る道を。















「彼は何も話していません。フィオナ皇妃殿下を主にと望んだ理由を」

レスターの眼差しに疑問を読み取ったか、ルシアは首を横に振る。



「ただ、黙々とチェンバレンのために働いた彼のことです」



ルシアの言葉に、レスターはいっとき、瞑目。

「座して死を受け入れようとしていたのではないですか」





…その通りだ。





イーサン・ハウエルについて、あまり知られていない情報だが。









彼はチェンバレンの騎士だが、チェンバレン家の誰にも忠誠を誓っていなかった。









おそらくは、値する人物がいなかったのだ。

ゆえに、チェンバレン家から疎まれ、率先して戦場に送られた。



ただそれでも、イーサンは愚直な騎士である。チェンバレン家に生涯仕える気でいたのは間違いない。



戦場で生き残り続けたぶん、有能であり、剣の腕は図抜けている。心強い存在だ。

ところがどう考えても、世情はハウエル家に分が悪い。



そもそも、主家たるチェンバレン家がハウエルを犠牲の祭壇に差し出した。



そうなれば、逃げるよりも殉じようと考えるのが、武門の人間だ。

レスターは考えた。



ハウエル家が生き残る道を。









―――――どうせ死ぬなら、一か八か、賭けてみないか。









どうにか外へ呼び出したイーサンに、レスターは持ちかけた。



―――――一貴族が見捨てたからなんだというんだ。いらぬと言われたその忠誠、力。

国に、皇家に捧げろ。皇家に捧げた力は、即ち公のもの、民のために役立てられる。







弱き者を救うための義の力。







それが騎士ではないのか。



生かせる場は、国に、皇家にしかない。







詭弁かもしれない。主家を見捨てたという誹りを、避難を、免れないかもしれない。







だが、イーサンは。



「イーサン・ハウエルが一人でチェンバレンを捨てる決断をするわけがないわ。頭の中にあったとしても。誰かが背中を押したはず。そして」

ルシアは真っ直ぐ、レスターを見つめた。







「彼に何かを命じられる人間がいるなら、あなたしかいない」







「…買いかぶり過ぎです」



実際、レスターはチェンバレン家を捨てた身だ。

家を出たレスターをチェンバレン家は捜しもしなかったから、捨てられた側と言えなくもないが。



イーサンとて、覚えていないと思っていた。しかし、ハウエル家の人間は。

スラム街の人間として、捨て身で現れたレスターを―――――ただ無言で、最上の礼をもって迎えた。





この高潔で義理堅い騎士たちを、失うわけにはいかなかった。





身分がもうなくとも、おぞましいとしか思ったことのない、この血に効力があるのなら。

何かに縋る思いで、レスターはイーサンに告げた。





皇家に仕えろ、相手がフィオナならば、生き残る勝算は高いと。





賭けだった。

しかもレスターは、自分は隠れて、イーサンに命を賭けさせた。



結果的にうまくいったものの、レスターの行動は卑怯だろう。

その上、皇室の騎士になったとしても、立場はまだ危うい。



それでも。





「ハウエル家を、もう関係がないからと見捨てられなかったあなたがどうして、実家を見捨てられるでしょう」





(見捨てられなかった? いや、)

見捨てたも同然だから、どうしても、胸を張れない。



それに実際、実家がどうなろうと、自業自得と思う。レスターが気になるのは、







「大木に似た一家の消滅に、…しわ寄せを食うのは、弱い人間です」







そう、そこだ。

そばにいる少女が、気遣うようにレスターを横目にした。

「俺に、どうしろと」



「わたくしは、伝えるだけですわ」

微笑むルシアを、レスターは心底恨めしい気分で見上げる。

彼女は何かを確信し、既に勝算を持っているようだ。



鮮やかな微笑だけを残し、ルシアの背中は闇に消える。











いつの間にか静かになっていたスラム街の片隅で、強く握り過ぎたレスターの拳に、血が滲み、雫が地面に落ちた。














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