陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・150 待っていてくれる

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× × ×









今宵、オリエス帝国皇帝の私室では。

険悪な雰囲気が漂っていた。



それを他人事のように感じながら、リュクスは寝台の上で目を閉じたきり、皇帝の腕に抱かれたままの騎士を見遣る。











この場にいる誰だって、想像していなかったはずだ。

彼は悪魔。

中でも、上位の力を誇る魔竜だ。ゆえに、



(先に死ぬのは、ぼくたちだ)



どうしたって、ヒューゴは、…魔竜は、この世に取り残される側だと、皆、確信していただろう。











ところが最近、その確信が揺らいで仕方がない。



―――――自分たちは、残される側になるのではないか。

そのような不安を感じるからこそ、リュクスはいつものような確信を抱いて行動できずにいた。





(支障が出ているね、…色々と)





それにしたって、先ほどの台詞は度を越している。



リュクスは、探るような目で、元・御使いであるサイファを見遣った。

ただ、荒唐無稽と断じるには、―――――彼の目はまともだった。

御使いにしか見えない何を、その鉄色の瞳に映しているのか。





彼は言った。











この世の理を構築したのは、神である、と。

今、ここで語りだすには、何の脈絡もない言葉のようだが。

魔竜を昏倒させているのが、創造主によって、悪魔にとって致死となる毒と定められた―――――愛、であるならば。





その理を書き換えればいい、とサイファは続けた。











確かに、世界の理自体を書き換えれば―――――魔竜が目を覚まさない、死ぬかもしれない―――――この場の問題は解消するだろう。



(けど、神になればいい、なんて)



サイファは本気で言っている、というよりも―――――何かを、見据えているように見えた。

いや、試している?





皇帝を―――――リヒトを。





不遜極まる。

…だが。



リュクスはリヒトを横目にした。











幼い頃から、リュクスはリヒトと一緒に過ごす機会は多かった。

が、幼馴染と言えるほど近しい関係になったのは、リュクスが崖へ突き落とされたのがきっかけだ。

もっと言えば、危うく死にかけたリュクスを助けたヒューゴが、リヒトと彼に縁を作ったと言える。



望んだことではないが、進む方向が一緒になってしまったから、リヒトとは思わぬほど共に時間を過ごしてきた。

ずっとそばにいるせいで、感覚がどこか鈍くなってしまっている自覚はあるが。











―――――リヒト・オリエスが尋常でないことは、リュクスとて知っている。



特に―――――察したくはないが、ヒューゴとリヒトが『そう言った関係』になった頃から、その神聖力が日々増幅していることにも気付いていた。











おかげで、皇帝の宮殿に配置できる騎士・女官・侍従・侍女、そして奴隷に至るまで、厳選する必要があるのだ。

ごく普通の精神力の者では、リヒトとすれ違っただけで、激しい消耗を感じ、悪くすればその場で昏倒する。



それは何かを吸い取られるとか、そう言った悪いものではない。





ただ―――――光も過剰すぎれば毒になる。





精神力が強いものか、逆に鈍感な者しか、この宮殿では働けなかった。

それも、三日以上連日で勤めることは不可能だ。



三日勤めれば、少なくとも二日の休養が必要になる。



そしてここで常時生活しているのは、リヒトだけではない。







ヒューゴもだ。







リヒトとヒューゴ、この二人が揃えば、中途半端に過敏な者は、卒倒する。





要するに―――――リヒトは、人間の領域をほぼ超えているのだ。

もうひとつ付け加えれば、オリエス皇帝は。















神の末裔である。















リュクスはヒューゴを見遣った。



時に苦し気に呻くだけで、その目が開く気配はない。



リヒトがこうなった原因は、おそらく、彼だ。

(リヒトになにしたんだよ…)











何をしたかは分からないが、この状態のままいなくなるのは、無責任というものだ。











それに。

あまり素直に認めたくはないが、実際の両親と上手な親子関係を築けなかったリュクスにとって、ヒューゴは親のようなものだ。



姿こそ、リヒトやリュクスより少し上の青年の姿を取っていたが、年齢の近い兄のような存在というには、彼は重ねた歳月が大きすぎた。



時に、どれだけ子供っぽい態度を取るにしても、泣き虫だとしても。











―――――リヒトやリュクスが、どれだけ卑劣でおぞましい手段を使って政敵を陥れたとしても、残酷な命令を周囲に…時にヒューゴへ下してしまっても、決して見捨てず手を差し伸べて、あたたかでおいしいご飯を作って、お帰りと言って出迎えてくれた。そばにいてくれた。



見捨てられることはない。



待っていてくれる人がいる。



この安心感が、どれだけありがたかったか。

徹底的に情を排除して、泥まみれになる以上の汚い行いで他者に報復を繰り返してきたリュクスが、それでも己の中のあたたかな血を忘れずにいられたのはヒューゴのおかげだ。



同じ人間のリヒトより、悪魔のヒューゴに精神的に寄りかかっていたなど、考えてみれば妙な話だが、事実である。











(だからわざわざ、…結婚なんてしなくてよかったのに)

つい、リュクスの視線が鋭くなった。



―――――レディ・ルシア。



全てにおいて、完成された女性。



かつて、リヒト皇子陣営にとっての、かけがえのない社交界の翼。

大人が必要だと子供の自分に無力を感じたことはリュクスとて多かったし、力を蓄えるべき時期に彼女の存在には、とても助けられたからこそ、思う。



(なんでそこまでしてくれたんだ)



確かにリヒトはヒューゴを縛っていたが、その願いはただ一つ。

側にいてほしい。これだけだ。



それ以上は、リヒトはなにひとつとしてヒューゴに頼んでいない。望んでもいない。

なのに。







いつだって、ヒューゴが状況を見て、必要だと思う行動を取っていた。

ただそれらはすべて。



――――――ヒューゴは本当に、自分がやりたいことをやりたいようにやっていただけなのだ。







これこそ、驚異的な事実だろう。

















彼はただ他人のために動いた。何の損得勘定も関係なしに。無償で。

















何かお返しをしたい、と遠回しに一度だけ、リュクスは言ったことがあった。

それをヒューゴは。



理由がないし、いらない、と言った。これで終了だ。



ヒューゴには―――――何かをしてあげた、という気持ちが全くないのだ。

やりたいことをやった、それだけ。



恩着せがましい気持ちなどひとつもない。



(まったくもって、残酷な悪魔だよね)

結果、リュクスは何も返せていない。



ルシアに対しては、少しは素直になれるのだが、ヒューゴに対しては難しい。







「…ばかげた話だ」



不意に、リヒトが言った。



それは、先ほどのサイファに対する言葉だろう。















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