陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・125 滅びと存続の天秤

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ヒューゴはフィオナを一瞥。

フィオナは強い目で、ヒューゴを見返した。

もちろん、言いたいことは分からない。

が、彼女の気持ちは想像がついた。



ヒューゴは小さく頷く。



フィオナのことだ、ある程度ハウエル家の事情を知っているはず。

ハウエル家は、権力者の都合で追い詰められていた。無実の罪で。





これ以上、ハウエル家が窮地に追いやられることなど彼女は望んでいない。





「殿下個人ではなく」

イーサンへ視線を戻し、ヒューゴは続けた。



「皇室に物申したいことでも?」



どうにか彼から言葉を取り出したい。だが、何をどう聞くべきか。

悩みながら見下ろせば、





「いえ。ただ…お願いが」





また言い淀み、イーサンは目を伏せた。しかしすぐ、彼はヒューゴに視線を固定した。



次いで、一息に言い切る。









「かなうならば、フィオナ皇妃殿下にお仕えすることをお許しいただきたく」









ヒューゴは目を瞠った。

フィオナを横目にする。





彼女は、呆気に取られて、イーサンを見ていた。ディランは、何が起こっているのか分からない、と言った黄金の目で、母と同じくイーサンを凝視している。





ヒューゴはつい、にやりと笑った。驚きはしたものの、









(―――――とても、いい)









真っ直ぐな目といい、行動といい、騎士としての実力といい、ヒューゴは彼が気に入った。

顔見知りであったとしても、詳しい為人までは知らなかったが、こういう男であったのか、と感心する。



つまるところ、イーサンは、たった今、こう断言したのだ。









皇后の、引いては、仕えるチェンバレン家の望みのままに、座して、唯々諾々と滅びを待つのはごめんだ、と。









よって、別の主を選ぶ。



それもよりによって、皇后が目の敵にしている皇妃―――――フィオナを。





騎士として、潔くない行動だという者もいるかもしれない。



裏切り者と後ろ指さす者もいるだろう。



定めた主家が望むならば、それに殉じるのが忠義と叫ぶ者もきっといる。ただ。



ヒューゴという悪魔の目から見た場合。

イーサンの行動は、彼の考えに、とても合った。









相手が、自身の忠義に値しないなら、別に構わないではないか。

捨てたところで、何を恥じることがあろうか。



悪いのは、相応しきを示さなかった相手だ。









「要するに」

機嫌よく弾む声で、ヒューゴは言った。



「フィオナ皇妃殿下とディラン皇子殿下なら、卿の忠誠に相応しいということか」



もっとぶっちゃければ。







―――――グロリアより、フィオナを選ぶ。







この騎士は、今、そのように、きっぱり言い切った。はっきり言おう。

彼の判断は、ヒューゴから見れば正しい。



彼が言いたいところを理解したからこその、フィオナの反応。





自信がないのか、厄介ごとが舞い込んだと思っているのか、だんだんと、彼女の表情が情けないものに変わっていく。





ヒューゴは内心、こみあげてくる笑いを必死で喉奥に押し込んでいた。









―――――最高だ。強く大きく拍手したい。いや、称賛の嵐を、彼に捧げよう。









魔竜の状態であったなら、上機嫌に尻尾をくるんくるん回しているところだ。

とはいえ、確かに、ハウエル家の現状は厄介である。



件の薬物に対する責任をなすりつけられている上に、疑惑の目の渦中にあった。



である以上、この場に居合わせた、という状況も、疑惑のやり玉に挙げられるだろう。

そら見ろ、やはりこいつらが企んだことだ、居合わせた場所でこんな騒動が起きたのがその証拠だ、と。



しかしそんなもの、どうにでもなる気がした。なにせ。





―――――彼は、皇妃と皇子の命の恩人である。



それすらも自作自演と言い出しそうな連中はいやになるほど思いつくが。





それがなんだ。

ここで帝国からハウエル家を失う方が、痛い。



「皇妃殿下」

片手で、馬車の扉を開けたまま、ヒューゴはにっこり。

嫌な予感を覚えたように、フィオナはディランを抱きしめたまま身を引いた。



開いた距離を詰めるように身を乗り出し、ヒューゴ。









「殿下もそろそろ、専属の騎士団を持ちませんか?」









唆すように言いながら、これはいい案だと思う。

グロリアとメリッサは専属の騎士団を持っているのだ。





忠誠を誓う相手に、フィオナを望む者たちがいるならば、フィオナに専属の騎士団がついてもおかしくはない。





それに彼らが、フィオナの下についたならば―――――いくらチェンバレン家が手を伸ばそうとしても、ことは容易くなくなるだろう。

その分、フィオナの肩の荷が重くなるわけだが。



なにより、彼らを従えることになったフィオナは、常に示し続けなければならない。







彼女が、彼らの主に相応しいことを。







何かを叫ぼうとしたのだろう、フィオナは大きく息を吸った。

しかし、吐きだす寸前で、息を止める。ここが外だと自重してくれたようだ。







「ハウエル家の剣技はお墨付きだ。きっと彼らは役に立ってくれる。…もう、孤軍奮闘しなくていいんだよ」







最後は小声で言ったヒューゴに、騙されないわよ、と言った目を向けるフィオナ。

「そのぶん、もっと厄介なことになるんでしょ」



ヒューゴは間近で一度、片目を閉じて見せ、すぐに身を放し、声を上げる。



「貴族の役目とお思い下さい、殿下」

もとより、フィオナはハウエル家に同情的だ。

情が深い彼女に、彼らを見捨てることなどできない。



しかも、話で聞いただけではない、目の前に本物のハウエル家がいるのだ。







「困っている者に手を差し伸べる、立派なお役目です」







ヒューゴは改めて、周囲を見渡した。



騎士たちが完全に、魔獣たちを制圧している。手早い。第二騎士団に負けないほど、ハウエルの騎士たちが有能ということだ。

視界の隅で、フィオナが困った顔でイーサン・ハウエルを見遣った。

イーサンは、跪いたまま、黙って目を伏せている。



どんな結論を下されても、彼はきっと、動じないだろう。



フィオナの紺碧の目に浮かぶのは、諦念。あとは、彼らが決める話だ。これ以上、ヒューゴが割り込めるものではない。









ちなみに、この時は、誰も想像すらしなかったことだが。



帝国の歴史の中で、以後、皇室の守護者として代々ハウエル家はその名を大陸に轟かせることとなる。









「ところで、フィオナ殿下」



店の中からクレトが出てくるのを見ながら、ヒューゴは尋ねた。

「この店は、薬包紙も取り扱っていますか」

フィオナは表情を引き締める。

「扱いはあるわね。回収しましょう」



「はい、念のため、」

言いさした、刹那。

何かに強く怒鳴りつけられた心地で、ヒューゴは弾かれたように振り向いた。皇宮の方だ。



振り向いた、ヒューゴの顔から、一瞬で表情が抜け落ちる。

「どうし…」

同じ方角を見遣ったフィオナが、眉をひそめた。







「いったい、アレはなに」



厳しい声を放つフィオナに、周囲の騎士たちも顔を上げ、―――――どよめく。







皇宮の上空に、漆黒の球体が浮かんでいた。

これほどの距離がありながら、人の目で確認できるほど、それは大きいということだ。



巨大な鉄球とも見えるその周囲には、輝くヒビが入っている。皇宮の結界に入ったヒビだ。

ヒューゴの中に、猛烈な不快感が湧き上がる。







巣穴を巨大な目で覗き込まれているような、嫌な感覚だ。







「行きなさい、ヒューゴ」



叱責に似た声で、フィオナは命じる。







「陛下の御身を守りなさい」







無表情のヒューゴが、フィオナとディランを見遣った。そして、跪くイーサンへ向く。

「ハウエル卿」

その顔へ手を伸ばし、ヒューゴは低く告げた。







「フィオナ殿下とディラン殿下を守れ」







指先で額に触れるが、イーサンは動かない。

逆らう様子もなかった。



「は」



彼が短く答えるなり。

「…っ」

触れた指先から走った衝撃に、イーサンは奥歯を食いしばる。







「今、卿に呪いをかけた」







感情なくそう告げ、ヒューゴは手を引いた。



「再びお二人が皇宮の門を潜るまで、五体満足でいなかった場合、卿は死ぬ」

そう告げる自分勝手さを、だれよりよく、ヒューゴは自覚している。

心配ならば、ヒューゴが最後まで二人に責任を持つべきだ。だが、ヒューゴの優先順位は最初から決まっている。





最悪の状態の中での、これが妥協案だった。









「分かったな」









イーサンは、黙って深く頭を下げる。

その顔を上げた時には。









ヒューゴの姿は、大通りから消えていた。



















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