陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・113 いざ、戦場へ

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「そう言ってくれるのは嬉しいけど、リヒトだってもう子供じゃないんだから」







―――――そうして、いつか。

リヒトは完全に、ヒューゴを必要としなくなるだろう。



ちくり、胸が痛んだ。

が、成長して親離れするのは、生き物である以上、当たり前の話だ。







いつだって真っ直ぐにヒューゴを映す、フィオナの紺碧の瞳に、ふと、悔しさがにじむ。

「あの方、あなたをあたしの護衛にする見返りに何を望んでいるの」



「君とディランの無事と、この件の解決だろうね」



「贅沢ね」



「皇帝だから」





「…そんな無茶な要望にきっと、あなたたちは応えてきたのよね」





「フィオナにだってできる。リヒトは、できない相手にできないことは望まない」

優しく言えば、とたん、フィオナの肩から力が抜けた。





誰かに頼るということがなかなかできない、いや、一人で解決できないのは、罪悪とすら考える女性だ。





気を張っていたのだろう。



フィオナは気が抜けたように微笑み、童女のような無垢な表情で、

「あたしはね、強くなりたいの」



「なんのために」





「傷つかなくて済むように、自分の傷のために誰かを傷つけなくて済むように」





祈るように、フィオナは目を伏せる。









「―――――かなうなら、…あなたみたいにね」









どくっ。



彼女の言葉を聞くなり、心臓が、嫌な脈打ち方をした。





フィオナの声に、かつての切実な祈りが重なる。容赦なく。影のように。











―――――強くなりたい。強くなりたい。傷つきたくない、傷つけたくない、人様に迷惑をかけてはいけない。そのためには―――――、











「だめだ」





ねじ込むような声を絞り出してしまって、ヒューゴは奥歯を食いしばる。

目の前で手を叩かれた猫のように目を瞠ったフィオナは、今、ヒューゴの顔に何を見ているのだろう。おそらく。



傷ついた、表情だ。



情けない気持ちを飲み込み、ヒューゴは弱く笑った。







「だめだよ。俺みたいになったら、いけない」







キミは今のままで十分なのに。



心から、告げれば。

フィオナは戸惑いも露に、だが気遣う態度でおそるおそるヒューゴに尋ねた。





「あたし、いけないことを言った?」





もじもじとドレスの布を手の内に手繰り寄せ、今にも謝りそうな表情になる。

ヒューゴは彼女を困らせたいわけではない。



今、ヒューゴが泣きたい気分になったのは、フィオナのせいではなかった。





そう伝えたかったが、うまい言葉が見つからず、ごく普通の物言いでやり過ごす。



「そうじゃないよ、ただ、悪魔みたいになりたいなんて、言っちゃダメだ」





この、情が深く善良だが、好戦的な皇妃さまをどうすればいいのか。



普段しっかりしているから、落ち込まれると、どうしてもヒューゴの胸が痛む。

つい叱るように言ってしまった手前、どう言えば元気を出してもらえるかな、と考えながら口を開いた。





「ああ、それから今回、俺がフィオナの護衛についた理由だけど、もう一つあって」





知らせるのは危険だが、いっそ先に知っておいてもらった方が、フィオナはうまく立ち回ってくれそうな気がする。

心を決め、ヒューゴは口を開いた。



「俺にも調査したいことがあったからなんだ」

「ヒューゴに? …でもヒューゴが個人的なことで皇宮から離れられるわけないし」

陛下が出さないでしょう?

言外にそう告げ、フィオナは眉をひそめる。



「となれば、背後に陛下や閣下がいる、…極秘任務よね」

上目遣いに、フィオナはヒューゴを見つめた。

「それって、あたしに知られちゃいけないことなんじゃない?」

「というか、怖がらせると思って言わないことにしようってことになったんだけど」





「怖がらせる、ですって?」



オウム返しに繰り返し、フィオナは薄く笑う。舐めないで、と言った、勝気な態度。





いつもの調子が戻ったことに、ヒューゴはにこりと微笑んだ。





「宴のとき、騎士棟の近くで起きた騒動も、フィオナは承知だろう?」





「皇宮にいて、知らない方がおかしいわ」

痛まし気に彼女は眉をひそめた。



「覚悟の上かもしれないけど、踊らされた捕虜たちが気の毒」



予想通り、フィオナは捕虜に同情的だ。

確かに彼女は、皇妃殿下である。



しかし、まかり間違えば、敗戦国出である彼女がそうなっていたかもしれないからだろう。



「彼らは、…―――――ちゃんと、人間の姿に戻れたの?」

「ああ、全員、きちんと。黒曜の刃で心臓を一突きしてね」



言った後で、失敗を悟る。

ここにいるのは、皇妃と皇子だ。



ただの女子供ではないとはいえ、配慮に欠ける発言だった。



「神聖力だったら死体を傷つけず、いっきにできたかもしれないけど、そんな、ある意味どうでもいい仕事、皇帝陛下にさせられないし」





「どうでもいいとは思いません」





意外にも、そう告げたのはディランだ。強い口調に、つい謝ってしまいそうになる。

こういうところはフィオナに似ていた。



「ん、はい」



「悪魔こそ、そんなこと、どうでもいいって思いそうなものよね。人間の尊厳なんか知ったことかって」





「どうかな?」





人間をバケモノの姿のまま、葬らせるのは、あまりにひどい辱めだとヒューゴが感じてしまうのは、人間だった記憶があるからだろうか。





「なんにしたって、そのとき捕虜たちが服用した薬を包んでた薬包紙が残ってたんだけど」



戸惑いつつ告げたヒューゴの言葉に、フィオナはすべて察した顔になる。

「その出所が、今日同行することで調べられるの?」



「残念だけど、魔法は万能じゃないし、俺が足で調べられることなんてたかが知れてる」

「でもある程度のめどは立ってるって感じよね。あれから一週間だし…」

フィオナの紺碧の目がきらとひかった。



「宰相閣下の配下なら調査できたわよね」



「ご明察。薬包紙なんてどこも同じに見えるけどさ」

無意識にヒューゴの手が動き、ディランの髪を撫でる。



戸惑いながらもディランはヒューゴの手を跳ね除けたりはしない。





「皇都一帯で使われてる薬包紙は特別に上質らしい。他とは違うんだってさ」





「残された薬包紙は、皇都で製造されたものってこと?」



「だからリュクスの配下じゃ調べられない店を今回、俺は調査するように言われてる。つまりは上流階級向けの店ってことだけど」



調査、と言われたところでヒューゴでは何ができるわけもないが、ヒューゴには悪魔の気配がはっきり感じ取れる。

「でも薬を作ったのは魔塔の魔法使いなんでしょう?」



「問題はそこなんだ。あの薬物の製作者は」

つい、ヒューゴは顔をしかめた。







「捕まえた魔塔の魔法使いじゃない。あいつらは購入しただけってことらしくて」







「それって」

フィオナは声を低める。

「色々厄介そうって言うか…売ったヤツは確信犯よね」



「売り先が魔塔の魔法使いって言うのがね。うっかり殺してたら、そこで行き止まりだったよ。作ったのはこいつらだと思い込んで。間違いなく、それが狙いだよね」



フィオナは細い指先で自身の前髪を無意識の動きでいじった。

「だからまずは薬包紙がどこのものかしっかり探れたら、その売り手の手がかりがつかめるかなって」





期待薄だが、とヒューゴが言うなり。





―――――ガタン。



馬車が停まった。御者が到着を告げる。

馬車の中で、寸前までの空気が消えた。



フィオナの表情が凜となり、完璧な皇妃殿下がそこに現れる。



ディランの髪から手を離し、停まった馬車の中で、彼を立たせた。

その時には、ディランの表情も皇子殿下そのものだ。



迂闊に可愛がれない高貴さをまとっている。





ヒューゴは馬車の扉に手をかけ、生真面目な騎士の態度で告げた。













「参りましょうか。いざ、戦場へ」

















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