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幕・93 俺が悪かった
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全く遊びのない声。
これは、真剣に怒っている。
ヒューゴを伴って宴の場に戻るなり、グロリアの首を跳ねなかっただけ、リヒトにしては堪えた方だろう。
ここまで来て、ヒューゴは先ほどの、シンディの反応を思い出し、目の前のリヒトと重ねた。
要するに、リヒトもヒューゴを心配したのだ。シンディと同じく。それも相当。心配し過ぎて、腹が立ってくるほど。
ヒューゴはもともと強い存在だから、心配されると言うのが心外で、意外なことだ。
だからと言って怒りが湧くと言うことではなく、戸惑いの方が強い。
そこまで心配しなくても、大丈夫なのに、と。
だが、そういう問題ではないのだ。ヒューゴがつい、リヒトと案じてしまうのと同じこと。
困った気分で、ヒューゴのリヒトへ手を伸ばした。宥めるように抱きしめる。
「はなせ」
言いながら、リヒトは抵抗しない。だが、身体に反発するような力がこもっていた。
「わかった、わかったよ。俺が悪かった。刺されるなんて、油断してたよな」
ほとほと参った気分で囁きながら、背中を優しく撫でれば、氷が解けるように次第に力が抜けていく。
「刺された時、俺が死んだと思ったか? 俺は簡単に死なないって知ってるだろ。刃は肺を傷つけただけだし、俺って本体は魔竜なんだから」
ゆえに、本来、そう簡単に刃は通らない肉体だ。
人間の身体に見えても、本体は巨大な生き物なのだから、小さな肉体になったとき、ひとつひとつの細胞の質量がとんでもないことになっている。
よって、そこらの刃では、決して傷つけられないのだが。
今回は、黒曜の刃だった。だから、あれほど簡単に刃が肉体を通ったのだ。
(怪我したのって、ほんとう、久しぶりだったなぁ…)
最後にケガをしたのは、いつだったろう。ヒューゴは遠い目になった。
(そうそう、守護する一族の子供が、俺の鱗を剥いだ時だ)
ヒューゴは子供が好きだから、小さな子供を、尻尾であやすことがよくあった。
そうしているうちに、興奮した子供が本気でかぶりついてくる。
鱗を剥がれたのもその時だ。
その子が、今や一族の長になっているのだから、感慨深いものがある。
「…うん、生きている」
リヒトが呟いた。その声は、普段の彼を知っていれば、想像もつかないほど弱い。
確かめるように、リヒトはヒューゴの背に手を伸ばした。
(…すがる、感じ)
この感覚は、昔から変わらない。
自身では思うように操れない、強い神聖力で、ヒューゴを縛った時も。
あの小さな幼い手で、ヒューゴに縋ってこようとするから。
避けきれないと思った時、ヒューゴは慌てて人の姿になった。
人間の姿になれば、たとえ悪魔の身体でも相手に毒にならずに済むことは、御使いの件で立証済みだった。
一生懸命、全力で抱き着いて来た腕に絆されて、…まだ、ヒューゴは絆され続けているらしい。
「生きてるよ」
頬に頬を押し付ける。
甘えかかるようにして、こめかみに口づけた。その時。
「…ん?」
ヒューゴが顔を上げる。部屋の前を、何か黒いものが行き過ぎるのを感じたからだ。
それは、べたり、べたり、壁を這うようにして進んでいる。
リヒトもそれを感じたか、顔を上げた。
「これは…」
「呪詛だな。さっき、結界を開いた一瞬に入ったんだろう」
ツクヨミに掃討は命じてあるが、多すぎて駆逐するのに時間がかかっているようだ。
誰が放ったかは知らないが、
「オリエス帝国は人気者だな」
ヒューゴが茶化せば、リヒトが舌打ちし、低く言った。
「…邪魔な…」
ずいぶん、黒い呟きである。
ヒューゴは聞かなかったフリをした。
「一応、部屋の前へ縫い止めとくか? そのうち、ツクヨミがくるだろ」
あの兎は、人工精霊と名称を付けたが、前世で言うところの人工知能を意識したものだ。
ヒューゴは、魔力の針で、内側から、アメーバのように壁を移動するそれを縫い止める。
ちなみにあれは、誰を狙って放たれたのだろう。
「感じからして、命を奪うものじゃないな。だろ?」
尋ねれば、リヒトは無表情でじっと扉の方を眺めやった後、
「…負の感情を増大させる作用がありそうだ」
「使いようによっては厄介な、強烈な精神作用のある呪詛か」
なんにしたって、呪詛とは結局そういうものだ。心に作用し、弱い者は簡単に蝕まれ、命を落とす。
「縫い止めたなら、その扉を通り過ぎても問題ないだろう」
「よっぽど負の感情が強いヤツが通ったら、問題だけどな」
要するに相性が良すぎた場合、引っかかってしまう。
けれどそれは、よっぽどでなければ起こらないことだ。あの呪詛を放った相手も、ダメもとだったはずだ。
引っかかればラッキー、くらいの。
迷惑な話だが、そんな嫌がらせをする程度には、帝国を嫌っているのだろう。
心当たりは内にも外にも多すぎて、いちいち相手にしていてはきりがない。
「なあ、リヒト」
ヒューゴは、リヒトの額に額を押し付けた。
とりあえず、今、目の前にとても重要な問題がある。
「俺お腹すいた」
これは、真剣に怒っている。
ヒューゴを伴って宴の場に戻るなり、グロリアの首を跳ねなかっただけ、リヒトにしては堪えた方だろう。
ここまで来て、ヒューゴは先ほどの、シンディの反応を思い出し、目の前のリヒトと重ねた。
要するに、リヒトもヒューゴを心配したのだ。シンディと同じく。それも相当。心配し過ぎて、腹が立ってくるほど。
ヒューゴはもともと強い存在だから、心配されると言うのが心外で、意外なことだ。
だからと言って怒りが湧くと言うことではなく、戸惑いの方が強い。
そこまで心配しなくても、大丈夫なのに、と。
だが、そういう問題ではないのだ。ヒューゴがつい、リヒトと案じてしまうのと同じこと。
困った気分で、ヒューゴのリヒトへ手を伸ばした。宥めるように抱きしめる。
「はなせ」
言いながら、リヒトは抵抗しない。だが、身体に反発するような力がこもっていた。
「わかった、わかったよ。俺が悪かった。刺されるなんて、油断してたよな」
ほとほと参った気分で囁きながら、背中を優しく撫でれば、氷が解けるように次第に力が抜けていく。
「刺された時、俺が死んだと思ったか? 俺は簡単に死なないって知ってるだろ。刃は肺を傷つけただけだし、俺って本体は魔竜なんだから」
ゆえに、本来、そう簡単に刃は通らない肉体だ。
人間の身体に見えても、本体は巨大な生き物なのだから、小さな肉体になったとき、ひとつひとつの細胞の質量がとんでもないことになっている。
よって、そこらの刃では、決して傷つけられないのだが。
今回は、黒曜の刃だった。だから、あれほど簡単に刃が肉体を通ったのだ。
(怪我したのって、ほんとう、久しぶりだったなぁ…)
最後にケガをしたのは、いつだったろう。ヒューゴは遠い目になった。
(そうそう、守護する一族の子供が、俺の鱗を剥いだ時だ)
ヒューゴは子供が好きだから、小さな子供を、尻尾であやすことがよくあった。
そうしているうちに、興奮した子供が本気でかぶりついてくる。
鱗を剥がれたのもその時だ。
その子が、今や一族の長になっているのだから、感慨深いものがある。
「…うん、生きている」
リヒトが呟いた。その声は、普段の彼を知っていれば、想像もつかないほど弱い。
確かめるように、リヒトはヒューゴの背に手を伸ばした。
(…すがる、感じ)
この感覚は、昔から変わらない。
自身では思うように操れない、強い神聖力で、ヒューゴを縛った時も。
あの小さな幼い手で、ヒューゴに縋ってこようとするから。
避けきれないと思った時、ヒューゴは慌てて人の姿になった。
人間の姿になれば、たとえ悪魔の身体でも相手に毒にならずに済むことは、御使いの件で立証済みだった。
一生懸命、全力で抱き着いて来た腕に絆されて、…まだ、ヒューゴは絆され続けているらしい。
「生きてるよ」
頬に頬を押し付ける。
甘えかかるようにして、こめかみに口づけた。その時。
「…ん?」
ヒューゴが顔を上げる。部屋の前を、何か黒いものが行き過ぎるのを感じたからだ。
それは、べたり、べたり、壁を這うようにして進んでいる。
リヒトもそれを感じたか、顔を上げた。
「これは…」
「呪詛だな。さっき、結界を開いた一瞬に入ったんだろう」
ツクヨミに掃討は命じてあるが、多すぎて駆逐するのに時間がかかっているようだ。
誰が放ったかは知らないが、
「オリエス帝国は人気者だな」
ヒューゴが茶化せば、リヒトが舌打ちし、低く言った。
「…邪魔な…」
ずいぶん、黒い呟きである。
ヒューゴは聞かなかったフリをした。
「一応、部屋の前へ縫い止めとくか? そのうち、ツクヨミがくるだろ」
あの兎は、人工精霊と名称を付けたが、前世で言うところの人工知能を意識したものだ。
ヒューゴは、魔力の針で、内側から、アメーバのように壁を移動するそれを縫い止める。
ちなみにあれは、誰を狙って放たれたのだろう。
「感じからして、命を奪うものじゃないな。だろ?」
尋ねれば、リヒトは無表情でじっと扉の方を眺めやった後、
「…負の感情を増大させる作用がありそうだ」
「使いようによっては厄介な、強烈な精神作用のある呪詛か」
なんにしたって、呪詛とは結局そういうものだ。心に作用し、弱い者は簡単に蝕まれ、命を落とす。
「縫い止めたなら、その扉を通り過ぎても問題ないだろう」
「よっぽど負の感情が強いヤツが通ったら、問題だけどな」
要するに相性が良すぎた場合、引っかかってしまう。
けれどそれは、よっぽどでなければ起こらないことだ。あの呪詛を放った相手も、ダメもとだったはずだ。
引っかかればラッキー、くらいの。
迷惑な話だが、そんな嫌がらせをする程度には、帝国を嫌っているのだろう。
心当たりは内にも外にも多すぎて、いちいち相手にしていてはきりがない。
「なあ、リヒト」
ヒューゴは、リヒトの額に額を押し付けた。
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