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幕・78 これに、敵意を抱くのは難しい
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あのとき。
囚われたサイファは、地獄の地面に這い蹲っていた。
周囲を、入れ代わり立ち代わり、様々な悪魔が現れ、消えて。
サイファの身体はずっと、貫かれ、弄り回され、…内臓は、悪魔の体液という毒で日々ボロボロになって行った。
幸か不幸か翼は残されていたが、飛び立つ気力すら湧かなかった。
翼を残された理由は一つ。
純白の羽が散る様が楽しいから。
そして、その純白を踏みにじるのがたまらない、と。
悪魔らしい、腐った理由だ。
皮膚もところどころ毒にただれ、次第に腐り落ちていくサイファを、それでも悪魔たちは飽きず苛んだ。
ただ死を待つだけの日々の中。
ある日、はじめて見る悪魔が、手を伸ばした。
どういうわけか、周囲にいた悪魔たちを容易く殴り飛ばして。
その悪魔は、苛立っているように見えた。
自分はもっとひどく殴られるだろう。
痛みの予感に、サイファは身を固くした。
いや、連日の拷問とも言える、肉体への苦痛に、身体は強張り切っていた。
彼の腕を掴んだその悪魔は、しかし。
掴んだとたんに肌が腐り、苦痛の声を上げたサイファに―――――喜ぶどころか、戸惑ったようだ。そして何を思ったか、すぐに離してしまった。
地に投げ出され、ぐったりとしたサイファは、腫れあがった顔の中、よく見えない目に何かひかるものが映ったことに、ぼんやり焦点を合わせる。
それが、最初は何かわからなかった。
だがその目が映したものは、確かに。
(―――――…涙…?)
どういうわけか、その悪魔は、ぐずぐずと鼻を鳴らして泣いていた。
周囲にいたどの悪魔より強さを見せつけたというのに。
そして、子供のような声で言った。
『痛いよな、ごめんな、すぐ帰してやるから』
それが、まさか悪魔の放った声とはすぐに理解できずにいるうちに。
サイファの身体は、そこらで千切れて放置されていた埃臭い布にくるまれた。
次いで、ひょいと抱き上げられる。
今度は、痛みも何もない。
『お、想像通りだな』
また別の声がして、信じがたいことを言った。
『人間の姿を取れば、悪魔の身体でも相手を毒さない』
…まさかサイファの身体に痛みを与えないためだけに、悪魔が人間の姿を取っているというのだろうか?
力が絶対の、悪魔が。
その軽妙な声は、さらに続く。
『まったく、だからお前には捕まった御使いがどんな扱い受けてるかなんて見せたくなかったのに。殴り殺された連中は自業自得だな』
『ああ、良かった、よかった。これで連れて行ってやれる』
次いで、涙交じりの、心底嬉しそうな声がするなり。
周囲の景色が、信じられない速さで、視界を流れた。
サイファを抱き上げた悪魔が移動しているのだと、遅れて気付いたときには。
―――――扉は目の前にあった。当時、楽園と地獄を繋いでいた扉だ。
その時、扉は固く閉ざされていたが。
悪魔は、力任せに扉を蹴り開けた。
凄まじい音が、地獄と楽園に響き渡り、それを気にした様子もなく、悪魔はサイファを楽園側へ放り出す。
『じゃあな、もう捕まるなよ』
悪魔は困ったような声で告げて―――――あとは、あまり楽しい思い出ではない。
楽園から追放され、堕天したのち、サイファはずっと地上を放浪していた。
最近になって、皇帝に縛られた悪魔の話を聞いた。
興味などなかったが、かつて、戦場で解き放たれた悪魔の力の残滓に触れる機会があり。
皇帝の悪魔が、あの時の悪魔と同じだとサイファは確信した。
そして。
その存在をずっと追っていたのは、…知りたかったからだ。
悪魔がなぜ、サイファを助けたのか。
―――――苦しめるためだったのかもしれない。ずっと、そこが引っかかっていた。
そう、だったのなら。
たとえ殺されるだけだと分かっていても、命を賭して戦いを挑もうと思った。だが。
今、その悪魔は。
どこまで堕ちていたとしても、サイファの命が守られたことを、心から喜んでいた。
目の前で、魔竜の目の輝きを見れば、疑いたくても疑うことなどできない。
同時に、気付く。否応なく。
サイファは、これがほしかったのだ。
自身の命への、祝福が。
サイファの中で―――――すべてのわだかまりが解けていく。
楽園から追われたことも、どうでもよくなった。
あのとき、楽園へ戻されたことを恨まなかったと言えばうそになる。
そのまま死んだほうがましだったと何と思ったか。けれど。
「…ありがとう」
サイファが生きていてよかった、と言ってくれた、その真心には、感謝しかない。
――――あの時死ねば良かったのだ。
何度、その言葉を繰り返されたことか。
何度、自身の命を呪いそうになったことか。
だが、今の言葉で、…すべて、泡のように消えてしまった。
妙に、気持ちがすっきりしていた。
「礼はこっちが言わないと。生きててくれてありがとう」
これが本当に悪魔だろうかと思うほど、純粋な態度で魔竜はふくふくと笑う。
笑っているのが分かる。
これに、敵意を抱くのは難しい。
それにしても。
サイファは目を開け、改めて魔竜を見上げた。
あの時の悪魔が、まさか、魔竜とは。
実のところ、先刻、サイファは皇宮にいた。
聖女と、御使いユリウスと共にいたのだが、聖女が言う『悪魔の気配』に違和感を覚えて、少しの間、彼女たちと別行動をした。
騎士が相手にしている悪魔を見に行ったのだ。
案の定、それは人間の成れの果てとしか思えなかった。
もちろん、サイファは、聖女と皇后の先日のやり取りを聞いていた。
その時、皇后はこう告げている。
―――――宴の日、騒ぎが起きて、騎士たちがその対処に追われることになる。
それを彼女が仕掛ける、と。
それがどういうものかまでは知る由もなかったが。
先ほど皇宮で見たあの有様は、命の冒涜としか思えない。
(あのような者が皇后とは)
驚きながらも、すぐ、聖女たちと合流すべくサイファは踵を返した。
だが、彼女たちがいる場所へ行きついた時には、既に。
悪魔の胸に漆黒の刃が刺さり、当の悪魔は、空間移動で連れ去られる寸前だった。
ぎりぎりでその力に介入し、やってきた場所が。
(魔塔)
囚われたサイファは、地獄の地面に這い蹲っていた。
周囲を、入れ代わり立ち代わり、様々な悪魔が現れ、消えて。
サイファの身体はずっと、貫かれ、弄り回され、…内臓は、悪魔の体液という毒で日々ボロボロになって行った。
幸か不幸か翼は残されていたが、飛び立つ気力すら湧かなかった。
翼を残された理由は一つ。
純白の羽が散る様が楽しいから。
そして、その純白を踏みにじるのがたまらない、と。
悪魔らしい、腐った理由だ。
皮膚もところどころ毒にただれ、次第に腐り落ちていくサイファを、それでも悪魔たちは飽きず苛んだ。
ただ死を待つだけの日々の中。
ある日、はじめて見る悪魔が、手を伸ばした。
どういうわけか、周囲にいた悪魔たちを容易く殴り飛ばして。
その悪魔は、苛立っているように見えた。
自分はもっとひどく殴られるだろう。
痛みの予感に、サイファは身を固くした。
いや、連日の拷問とも言える、肉体への苦痛に、身体は強張り切っていた。
彼の腕を掴んだその悪魔は、しかし。
掴んだとたんに肌が腐り、苦痛の声を上げたサイファに―――――喜ぶどころか、戸惑ったようだ。そして何を思ったか、すぐに離してしまった。
地に投げ出され、ぐったりとしたサイファは、腫れあがった顔の中、よく見えない目に何かひかるものが映ったことに、ぼんやり焦点を合わせる。
それが、最初は何かわからなかった。
だがその目が映したものは、確かに。
(―――――…涙…?)
どういうわけか、その悪魔は、ぐずぐずと鼻を鳴らして泣いていた。
周囲にいたどの悪魔より強さを見せつけたというのに。
そして、子供のような声で言った。
『痛いよな、ごめんな、すぐ帰してやるから』
それが、まさか悪魔の放った声とはすぐに理解できずにいるうちに。
サイファの身体は、そこらで千切れて放置されていた埃臭い布にくるまれた。
次いで、ひょいと抱き上げられる。
今度は、痛みも何もない。
『お、想像通りだな』
また別の声がして、信じがたいことを言った。
『人間の姿を取れば、悪魔の身体でも相手を毒さない』
…まさかサイファの身体に痛みを与えないためだけに、悪魔が人間の姿を取っているというのだろうか?
力が絶対の、悪魔が。
その軽妙な声は、さらに続く。
『まったく、だからお前には捕まった御使いがどんな扱い受けてるかなんて見せたくなかったのに。殴り殺された連中は自業自得だな』
『ああ、良かった、よかった。これで連れて行ってやれる』
次いで、涙交じりの、心底嬉しそうな声がするなり。
周囲の景色が、信じられない速さで、視界を流れた。
サイファを抱き上げた悪魔が移動しているのだと、遅れて気付いたときには。
―――――扉は目の前にあった。当時、楽園と地獄を繋いでいた扉だ。
その時、扉は固く閉ざされていたが。
悪魔は、力任せに扉を蹴り開けた。
凄まじい音が、地獄と楽園に響き渡り、それを気にした様子もなく、悪魔はサイファを楽園側へ放り出す。
『じゃあな、もう捕まるなよ』
悪魔は困ったような声で告げて―――――あとは、あまり楽しい思い出ではない。
楽園から追放され、堕天したのち、サイファはずっと地上を放浪していた。
最近になって、皇帝に縛られた悪魔の話を聞いた。
興味などなかったが、かつて、戦場で解き放たれた悪魔の力の残滓に触れる機会があり。
皇帝の悪魔が、あの時の悪魔と同じだとサイファは確信した。
そして。
その存在をずっと追っていたのは、…知りたかったからだ。
悪魔がなぜ、サイファを助けたのか。
―――――苦しめるためだったのかもしれない。ずっと、そこが引っかかっていた。
そう、だったのなら。
たとえ殺されるだけだと分かっていても、命を賭して戦いを挑もうと思った。だが。
今、その悪魔は。
どこまで堕ちていたとしても、サイファの命が守られたことを、心から喜んでいた。
目の前で、魔竜の目の輝きを見れば、疑いたくても疑うことなどできない。
同時に、気付く。否応なく。
サイファは、これがほしかったのだ。
自身の命への、祝福が。
サイファの中で―――――すべてのわだかまりが解けていく。
楽園から追われたことも、どうでもよくなった。
あのとき、楽園へ戻されたことを恨まなかったと言えばうそになる。
そのまま死んだほうがましだったと何と思ったか。けれど。
「…ありがとう」
サイファが生きていてよかった、と言ってくれた、その真心には、感謝しかない。
――――あの時死ねば良かったのだ。
何度、その言葉を繰り返されたことか。
何度、自身の命を呪いそうになったことか。
だが、今の言葉で、…すべて、泡のように消えてしまった。
妙に、気持ちがすっきりしていた。
「礼はこっちが言わないと。生きててくれてありがとう」
これが本当に悪魔だろうかと思うほど、純粋な態度で魔竜はふくふくと笑う。
笑っているのが分かる。
これに、敵意を抱くのは難しい。
それにしても。
サイファは目を開け、改めて魔竜を見上げた。
あの時の悪魔が、まさか、魔竜とは。
実のところ、先刻、サイファは皇宮にいた。
聖女と、御使いユリウスと共にいたのだが、聖女が言う『悪魔の気配』に違和感を覚えて、少しの間、彼女たちと別行動をした。
騎士が相手にしている悪魔を見に行ったのだ。
案の定、それは人間の成れの果てとしか思えなかった。
もちろん、サイファは、聖女と皇后の先日のやり取りを聞いていた。
その時、皇后はこう告げている。
―――――宴の日、騒ぎが起きて、騎士たちがその対処に追われることになる。
それを彼女が仕掛ける、と。
それがどういうものかまでは知る由もなかったが。
先ほど皇宮で見たあの有様は、命の冒涜としか思えない。
(あのような者が皇后とは)
驚きながらも、すぐ、聖女たちと合流すべくサイファは踵を返した。
だが、彼女たちがいる場所へ行きついた時には、既に。
悪魔の胸に漆黒の刃が刺さり、当の悪魔は、空間移動で連れ去られる寸前だった。
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