陛下が悪魔と契約した理由

野中

文字の大きさ
上 下
64 / 196

幕・64 剣で勝負

しおりを挟む
リュクスに報告を、と思ったが、彼は国の宰相だ。

約束もないのだから、会うのも難しいだろう。



だめなら、あの部署の人間か、もしくはヒューゴに、連絡をしなければ。



エイダンは、扉の前でいっとき立ち止まった。外の様子を窺う。

だが、戦いと言う面では鍛えたことのないエイダンが、見えもしない外の様子を把握することは難しい。





しばらく、待って。







ままよ、と飛び出した、その腕を。







「…きさま」







騎士の外套が掠めた。



エイダンは聴こえなかったフリで、一目散に駆け抜ける。

声で分かった。さきほど、貴族たちを殺したあの騎士だ。



一緒にいた貴族の青年と、最初にいた見張りの騎士はいない。

どこに行ったかは知らない。

が、外にいたのが一人だけだったことは、運がいい。



誰もいないのが一番よかったけれど、そこまで望むのは贅沢だろう。







「待て!」







鋭い声に、エイダンの身体が、びくっと跳ねた。

だが、間違いない、足を止めれば殺される。

エイダンは、背負っていた籠を投げ出した。証拠品が入っているが、背負ったままではエイダンが死んでしまう。仕方がなかった。



宴の人込みに隠れられたら最適なのだが、ここは皇宮内でも、きらびやかな場所からは程遠い北の外れだ。それなら。







(騎士の棟が一番近い…!)







とはいえ、それで、誰かが助けてくれる可能性は低い。むしろ、エイダンが殺される可能性だってある。

ただ、将軍のリカルドとは幸い、ヒューゴを通して顔見知りだ。しかし、おそらく彼は、戦勝の宴に参席する。



代わりにリカルドの部下が、騎士の棟に居残っているはずだ。誰か、エイダンを覚えている者がいてくれたらいいのだが。



騎士たちが常駐している棟へ向かったのは、それでもエイダンにとっては、ほとんど賭けだった。

地下牢から騎士の棟までの間は、木々で埋め尽くされている。



「く…っ」



背後で、苛立った声が上がった。

木が邪魔をして、剣を振り回すことができないからだろう。

捕まることだけはないように、できる限り予測できない動きで逃げることにエイダンは注力した。





追ってくる気配に泣きたいくらい怯えながら、震える足を叱咤して、必死に騎士の棟へ向かう。





やがて肩で息をし始めた頃、

「あ…っ」







木が、途切れた。







夕暮れ時、茜色の光の中を、濃い影を引き連れながらエイダンは全力で駆け抜ける。



騎士の棟は目の前だ。

だが、木々の間から追手が出てくる前に、隠れなければ。

こんな何もないところで追いつかれてしまえば、抵抗のしようもない。



塀と塀の間に身体を押し込みながら、エイダンは泣きそうな心地で思う。―――――すぐ目の前なのに、飛び込めない。その距離がもどかしかった。



「くそ、どこに行った…!」

離れた場所から、あの騎士が、悪態をつくのが聴こえた。





(どうか、こっちに来ませんように…っ)





いくら隠れたと言っても、目の前を通られては一巻の終わりだ。

エイダンがいる場所から、追手の影が見えた。今、伸びたその影は、エイダンからは、頭の部分が見えている。



それが、首、肩、と進んでいくにつれ、悲鳴を上げそうになり、エイダンは口を両手で覆った。冷や汗が顎を伝った、その時。







目の前に見える騎士の棟から、ひょいと誰かが出てきたのが見えた。







ろくに息も吸えず、霞みそうになる視界と意識の中、震えながらエイダンが認めたその姿は。











どうしても本能的に恐怖してしまう―――――だが、誰よりも頼れる姿。











とたん、エイダンの鳶色の目が輝いた。だが。

追手の騎士は、すぐそばにいる。新たに現れた騎士は、遠い。



今から駆け出してもきっと、間に合わない。







―――――だが、声なら!







思うと同時に、エイダンは叫んだ。















「ヒューゴさん、助けて!!」







「そこか!」















追手の騎士は、その時、もう目の前にいた。怯え切った顔を上げると同時に。

エイダンは、自分に振り下ろされた剣を見た。



目を固く閉じ、頭を庇って小さく縮こまって衝撃を待ち―――――、















「おぅ」















目前になった死に、敏感になった意識の端っこに、飄然とした声が届く。刹那。





―――――ギィンッ!





鋼同士がぶつかる音。衝撃に、鋭く火花が散った。

へたりこんだエイダンが、咄嗟に顔を上げた先に見えたのは。





真新しい騎士服に包まれた、頼もしい、背中。







「あぁ? …なんだ?」







振り下ろされた剣を、掻い潜るように低い姿勢で受け止めたヒューゴは、相手を見上げてせせら笑った。

「また奴隷虐めかよ、クライヴくん?」



「きさま…っ」



クライヴ・ハウエル。皇后直属の第一騎士団所属の騎士。





彼がたった今、エイダンに剣を振り下ろした男だ。





(なるほど、それなりに使える。だが)

目を合わせ、ヒューゴは手首の動き一つで、合わせていた相手の剣を斜め下へ流した。



唐突にバランスを失ったところへ、





「…く!」





腹へ膝をたたき込もうとしたのだが、相手もさるもの、後ろへ跳んで避ける。

「…野蛮だな!」



剣でなく、足を使ったことを言っているようだ。



ヒューゴはつい、鼻で笑う。命懸けの戦いにおいて、野蛮も何もない。勝てば正義だ。





「野蛮な相手だと勝てないか?」





不敵に返せば、ひやりとした表情で、クライヴが剣を構えながら肩を引いた。

「…なんだ? お前…」





まるで始めて見る相手を前にした態度で、彼は蒼白になる。







「お前が、本当にあの奴隷、なのか…? 剣は苦手、だと」







言いさして、語尾を飲んだ。



死神でも見た様子に、自分が剣を握っていることをヒューゴは思い出した。



からかう態度で返す。







「苦手だが、使えないわけじゃない」







エイダンを背に庇ってまっすぐ立ち、剣を構えた。

隙だらけに見えて、まるで攻めどころがない。どころか。





うっかり攻め込めば、攻撃すべてが命の喪失につながる、そんな切羽詰まった危機感に、クライヴはドッと全身に冷や汗をかいた。





「剣で勝負しろってあの時言わなかったか? いいぞ、今してやるよ」



ヒューゴはあくまで自然体。だが。

既にクライヴの目には、ヒューゴが人間の姿として映っていない。







巨大な岩の壁―――――もしくは飛び込んだら戻って来られない死の淵に見えた。







構えた剣先が揺れる。



その時。







「…ん?」







ヒューゴが顔をしかめた。クライヴから視線を外す。とたん。

彼は弾かれたように踵を返し、駆けだした。やってきた方向へ脱兎の勢いで駆け戻っていく彼の姿は、もうヒューゴの目に入っていない。



向き合うなり、戦意を喪失したクライヴはとっくにヒューゴの敵ではなかった。



それより。

構えを解き、剣を鞘に納める。







「変な気配がする…なんだこれ」







ここのところ、こんなの続きだな、とクライヴが消えた方へ顔を向ければ。

「ヒューゴさん、変な気配って…向こう、ですか?」



「ああ。あっちにあるとしたら、捕虜を収容してる地下牢、だよな。それ以外は特に」







「―――――ヒューゴさん!」







腰を抜かしたか、座り込んだまま、いきなりエイダンはヒューゴの前へ這って回り込んできた。

「うお、どうしたっ?」



運んでやろうか、と両手を伸ばし、子供のように抱え上げようとすれば、エイダンは必死に首を横に振る。



「ぼ、ぼくのことより、すぐ、捕虜がいる地下牢を見てきてください。彼らが、変な薬物を飲んだ可能性があります。それがどんな変化を起こすか分かりませんが、嫌な感じがするんです」

ヒューゴは真剣にエイダンを見下ろし、次いで、クライヴが消えた方を見遣った。



すぐ、エイダンに顔を戻し、尋ねる。











「手短に、詳しく」











しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

俺は触手の巣でママをしている!〜卵をいっぱい産んじゃうよ!〜

ミクリ21
BL
触手の巣で、触手達の卵を産卵する青年の話。

処理中です...