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幕・47 なまめかしい装飾
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ソラと呼ばれた女は、嬉しそうにそっと微笑んだ。
―――――彼女は、精霊。ヒューゴの涙の湖から生じた、地獄の底に住まう存在である。
ヒューゴはソラを見るたび不思議でならない。
なぜ、ヒューゴのような子供っぽくて情けないヤツの涙から、こんなに大人びて優雅で優しい精霊が生じたのだろうか。
「水を通して出てきたのか?」
波風を立たせず、すぅっと近寄ってくるソラに合わせ、ぎりぎりまで近寄りながら、ヒューゴは尋ねる。
ソラはなぜか、申し訳なさそうに言った。
『…空間の均衡が乱れやすくなるので、滅多には使いませんが、水を通してお父さんが見えたので、会いたくて』
「なんて可愛いんだ」
声を心の中でとどめられず、真顔でヒューゴは力強く言う。
『まあ』
ソラは頬を両手で押さえ、はにかんだように微笑みながら目を逸らした。
オリエスの皇宮は強固な結界に守られているが、精霊の出入りは自由だ。
普通、精霊と言えば、自然界の中に漂う、ほのかな意思を持ったちいさな存在、なのだが。
時にはソラのように、高い知性を持った規格外の存在が生じることがあった。
彼女のような存在は、一般的に、精霊王と称せられる。
ただ、当然のことながら、数はそれほど多くない。
ソラを合わせて、世界で五柱程度、ではなかったろうか。
ソラの周囲で、その、ありふれたちいさな精霊たちがきゃこきゃこはしゃいでいるのが分かる。当たり前だが、水の精霊が多い。
「俺も会いたかったぞ」
万感を込めて、ヒューゴ。ソラは深く一度頷いた。
『皆も、お父さんに会いたいと思っておりますわ。…あと』
はにかんだように微笑んだ精霊は、口元をおさえ、言いにくそうに上目遣いになった。
頷いたヒューゴが先を促せば、ほっとしたように彼女は口を開く。
『…混沌の御方も、早く帰って来い、とお父さんに伝えておけと』
「俺の娘をこき使うなってんだ、まったく」
ヒューゴはついボヤいた。合わせて。
ソラが生じた瞬間、すぐそばに混沌と呼称される悪友がいたことを思い出す。
しくしく泣いていたヒューゴの鼻先で、いきなり白く輝く光の玉が生じたとき、いったい何事かと思ったものだ。
可愛がっていた一族をなくし、悲しみに暮れた魔竜の泣きっ面を飽きもせず長いことそばでバカにしていた悪友と、揃ってぎょっとした。
―――――え、なにソイツ。
―――――知るか。ええい、飛んでけー…って、鼻息でも飛んで行かないんだけど。
―――――ばっか、物質じゃないんだよ。ってことは?
―――――新しい悪魔…とも思えないよな。あ、もしかして…まさか…。
精霊。
ヒューゴと悪友は、思わず目を見交わした。互いに、驚きしかない。
なにしろ彼らがいたのは、地獄の底だったのだから。互いの表情に浮かんだのは、間違いなく同じ感情だった。
えー、ほんとに? 涙でできた湖から? ないわー。
ついていけない悪魔二体の反応など気にもとめず、何の形も持たなかった光の塊だったソラは『いたいの?』と繰り返しながら、ヒューゴを『ごしゅじんさま』と呼んだものだ。
ヒューゴはつい、「違う、お父さんと呼べ」と反射で返した。
素直なソラは頑張った。結果。
『お、おと…おと…おと…っちゃんっ』
嚙んだ。
思わぬ失敗だったか、固まるソラ。
射抜かれるヒューゴの胸。
――――――KA・WA・I・I。
なんだこの可愛い生き物。
ヒューゴが見つめる先で、失敗に、光の玉は泣きそうになっている。
光の塊に過ぎないが、わかった。雰囲気がそれだ。
さすが、ヒューゴの涙から生じただけはある、泣き虫のようだ。
悪友は、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
―――――おとっちゃん! おとっちゃんだってさ、あはははははははっ!!
からかいに、ソラは我慢できず、
『う…うええええええええぇぇぇんっ』
とうとう、泣き出した。
ヒューゴは遠慮なく悪友を尻尾で引っ叩き、まずは黙らせ、なじまない地獄の空気に、今にも消えてなくなりそうな精霊を守るために頑丈な結界を張った。
ちなみにその結界の中へ、悪友は入ってこられないようにしたのは蛇足である。
その時から、ヒューゴは結界作りにのめり込んだ気がする。
オリエスの皇宮が異世界並みに違う空気感を醸し出すようになったのは、ヒューゴが結界作りのオタクとも言えるような知識を持っていたせいだろう。
今となっては懐かしい思い出である。
「人間の寿命は短いんだから、それまで我慢しろって伝えといて。あ、いちいち訪ねてまで伝えてやる必要ないからな」
混沌。
悪友の呼称に、つい、ヒューゴは唇を尖らせた。それも、すぐ笑みに綻ぶ。懐かしさがこみあげてきて止まらない。
近くにいなかったのは、たった十数年の話なのに、随分長く離れている気がする。
「にしたって、ソラに会えて嬉しいよ。みんな元気か? 危ないと思ったら、結界の中から出るなって伝えとけ。…あー、ほんっと」
ため息をつくように、腹の底から、本音がこぼれた。
「地獄に帰りてえなあ」
彼の目の前で、ソラが寂しげに微笑み、目を伏せる。
『皆、待っております』
心の底からの声だった。
「会いたいな。帰ったら、まずは、巣穴に潜って十年くらい、寝ていたい」
『契約中でも里帰りはできるのでは?』
里帰り。
微妙な表現に、ヒューゴは面白そうに笑う。
「あーだめだめ、俺神聖力の鎖で縛られてるし」
精霊のソラはともかく、この状態で他の悪魔たちに会えば、一発で消滅してしまう。
見えるか? とヒューゴはその場でくるり。
じっと見つめたソラは、なぜかポッと頬を赤らめた。視線を逸らす。
『…気のせいでしょうか。縛り方が…えっちです』
赤らんだ頬を左右から押さえ、目を閉じてしまった娘の反応に、ヒューゴは自分の身体を見下ろした。
言われてみればそうかもしれない。
竜体の時はあまり感じないが、人間の身体の時はまるでなまめかしい装飾だ。
―――――彼女は、精霊。ヒューゴの涙の湖から生じた、地獄の底に住まう存在である。
ヒューゴはソラを見るたび不思議でならない。
なぜ、ヒューゴのような子供っぽくて情けないヤツの涙から、こんなに大人びて優雅で優しい精霊が生じたのだろうか。
「水を通して出てきたのか?」
波風を立たせず、すぅっと近寄ってくるソラに合わせ、ぎりぎりまで近寄りながら、ヒューゴは尋ねる。
ソラはなぜか、申し訳なさそうに言った。
『…空間の均衡が乱れやすくなるので、滅多には使いませんが、水を通してお父さんが見えたので、会いたくて』
「なんて可愛いんだ」
声を心の中でとどめられず、真顔でヒューゴは力強く言う。
『まあ』
ソラは頬を両手で押さえ、はにかんだように微笑みながら目を逸らした。
オリエスの皇宮は強固な結界に守られているが、精霊の出入りは自由だ。
普通、精霊と言えば、自然界の中に漂う、ほのかな意思を持ったちいさな存在、なのだが。
時にはソラのように、高い知性を持った規格外の存在が生じることがあった。
彼女のような存在は、一般的に、精霊王と称せられる。
ただ、当然のことながら、数はそれほど多くない。
ソラを合わせて、世界で五柱程度、ではなかったろうか。
ソラの周囲で、その、ありふれたちいさな精霊たちがきゃこきゃこはしゃいでいるのが分かる。当たり前だが、水の精霊が多い。
「俺も会いたかったぞ」
万感を込めて、ヒューゴ。ソラは深く一度頷いた。
『皆も、お父さんに会いたいと思っておりますわ。…あと』
はにかんだように微笑んだ精霊は、口元をおさえ、言いにくそうに上目遣いになった。
頷いたヒューゴが先を促せば、ほっとしたように彼女は口を開く。
『…混沌の御方も、早く帰って来い、とお父さんに伝えておけと』
「俺の娘をこき使うなってんだ、まったく」
ヒューゴはついボヤいた。合わせて。
ソラが生じた瞬間、すぐそばに混沌と呼称される悪友がいたことを思い出す。
しくしく泣いていたヒューゴの鼻先で、いきなり白く輝く光の玉が生じたとき、いったい何事かと思ったものだ。
可愛がっていた一族をなくし、悲しみに暮れた魔竜の泣きっ面を飽きもせず長いことそばでバカにしていた悪友と、揃ってぎょっとした。
―――――え、なにソイツ。
―――――知るか。ええい、飛んでけー…って、鼻息でも飛んで行かないんだけど。
―――――ばっか、物質じゃないんだよ。ってことは?
―――――新しい悪魔…とも思えないよな。あ、もしかして…まさか…。
精霊。
ヒューゴと悪友は、思わず目を見交わした。互いに、驚きしかない。
なにしろ彼らがいたのは、地獄の底だったのだから。互いの表情に浮かんだのは、間違いなく同じ感情だった。
えー、ほんとに? 涙でできた湖から? ないわー。
ついていけない悪魔二体の反応など気にもとめず、何の形も持たなかった光の塊だったソラは『いたいの?』と繰り返しながら、ヒューゴを『ごしゅじんさま』と呼んだものだ。
ヒューゴはつい、「違う、お父さんと呼べ」と反射で返した。
素直なソラは頑張った。結果。
『お、おと…おと…おと…っちゃんっ』
嚙んだ。
思わぬ失敗だったか、固まるソラ。
射抜かれるヒューゴの胸。
――――――KA・WA・I・I。
なんだこの可愛い生き物。
ヒューゴが見つめる先で、失敗に、光の玉は泣きそうになっている。
光の塊に過ぎないが、わかった。雰囲気がそれだ。
さすが、ヒューゴの涙から生じただけはある、泣き虫のようだ。
悪友は、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
―――――おとっちゃん! おとっちゃんだってさ、あはははははははっ!!
からかいに、ソラは我慢できず、
『う…うええええええええぇぇぇんっ』
とうとう、泣き出した。
ヒューゴは遠慮なく悪友を尻尾で引っ叩き、まずは黙らせ、なじまない地獄の空気に、今にも消えてなくなりそうな精霊を守るために頑丈な結界を張った。
ちなみにその結界の中へ、悪友は入ってこられないようにしたのは蛇足である。
その時から、ヒューゴは結界作りにのめり込んだ気がする。
オリエスの皇宮が異世界並みに違う空気感を醸し出すようになったのは、ヒューゴが結界作りのオタクとも言えるような知識を持っていたせいだろう。
今となっては懐かしい思い出である。
「人間の寿命は短いんだから、それまで我慢しろって伝えといて。あ、いちいち訪ねてまで伝えてやる必要ないからな」
混沌。
悪友の呼称に、つい、ヒューゴは唇を尖らせた。それも、すぐ笑みに綻ぶ。懐かしさがこみあげてきて止まらない。
近くにいなかったのは、たった十数年の話なのに、随分長く離れている気がする。
「にしたって、ソラに会えて嬉しいよ。みんな元気か? 危ないと思ったら、結界の中から出るなって伝えとけ。…あー、ほんっと」
ため息をつくように、腹の底から、本音がこぼれた。
「地獄に帰りてえなあ」
彼の目の前で、ソラが寂しげに微笑み、目を伏せる。
『皆、待っております』
心の底からの声だった。
「会いたいな。帰ったら、まずは、巣穴に潜って十年くらい、寝ていたい」
『契約中でも里帰りはできるのでは?』
里帰り。
微妙な表現に、ヒューゴは面白そうに笑う。
「あーだめだめ、俺神聖力の鎖で縛られてるし」
精霊のソラはともかく、この状態で他の悪魔たちに会えば、一発で消滅してしまう。
見えるか? とヒューゴはその場でくるり。
じっと見つめたソラは、なぜかポッと頬を赤らめた。視線を逸らす。
『…気のせいでしょうか。縛り方が…えっちです』
赤らんだ頬を左右から押さえ、目を閉じてしまった娘の反応に、ヒューゴは自分の身体を見下ろした。
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