陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・42 聖女

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聖女という存在がある。

強い神聖力を魂と肉体にまとって生まれた女性のことだ。無論、オリエス帝国の皇族ほどではないが。



神聖力とは、すんなり言えば、清浄な空気、ということだ。





が、その上に『異常な』と付け加えれば、持っている者が普通の人間と言うには異端であると伝わるだろう。





オリエス帝国に生まれる聖女は、また特別だ。



他よりさらに清浄さが色濃い。生まれ落ちた時から、分かりやすく異端である。

よって、即座に神殿に預けられ、一生を神殿に縛られて生きることになる。





その強烈な清浄さにおいて、皇帝の対として例えられることもあった。





そのせいだろうか。

歴代の聖女は、皇帝に惹かれる。まるで運命のように。今生の聖女もまた。











「…陛下に、お会いするのは久しぶりです」











オリエス帝国の聖女、エミリア・ハートネットは謁見の間に向かう廊下で、付き従う青年たちに聴こえるようにだけ、ひそりと声を潜めて囁いた。



聖女エミリアは小柄で細い。

その小さな少女の少し斜め後ろ、左右に、二人の青年が付き従っている。



聖女が小さなせいだろうか、均整の取れた体格の彼らはやけに大きく見えた。

右後ろに従っていた青年の、目深に被った外套の縁がゆらりと揺れる。

聖女と同じく白い外套を被った青年の肩口から、白金の長い髪がさらりと一房流れ落ちた。



彼には、エミリアの声が。







危うく響いた。少女らしい憧れ以上の熱が、その声に潜んでいる気がして。







対と呼ばれる皇帝と言う存在に、特別な感情がエミリアにあるのは確かだろう。

そこを言及するのは避け、青年は当たり障りのない問いを口にした。





「オリエス帝国の皇帝陛下とは、どのようなお方ですか」





青年は、今日、皇帝との謁見の場に、聖女の従者として同席する。

皇帝と会うのは初めてだ。









現皇帝は、本来、神殿の者が皇宮に入ることを好まない。



だが、再三の要請もあり、しかも今回の申し出はさすがに断りにくいものだった。

どのような名目だったかと言えば。





―――――半年前、巡礼に出た聖女が、帰還の挨拶と、各地の様子の報告のため、拝謁を望んでいる。





民のために尽力した聖女の申し出だ。



断れるはずがない。







少し考える沈黙を置き、エミリアは誠実さを感じさせる丁寧な口調で答えた。

「厳格で、冷酷な方です」



世間で言われる通りの言葉だ。

褒め言葉ではないが、聖女の声から思慕の熱に似たものは消えない。





「ですが」





言いながら、エミリアは、巨人でも通れるのではないかと思われるような巨大で豪奢な扉の前で足を止めた。



案内してきた侍従が、すっと脇へ退がる。



扉の前に控えた騎士たちが目を見交わした。次いで、儀式のように、騎士たちは互いの槍を扉の前で交錯させる。



物々しい雰囲気にも動じず、聖女は静かに言葉を続けた。







「それは、公明正大なお人柄の現れなのだと私は思います」







正道を進むからこそ、厳しく、冷酷にも捉えられると言いたいのか。

確かに元々の帝国の民は、皇帝を聖君とも崇める。



ただし、長年続いた戦争の結果、帝国に従属することになった国々では、オリエス皇帝は魔王と例えられる。







はっきりと、恐怖の対象だ。







それでも誰もが認めざるを得ない点が、一つあった。



(統治の手腕は、おそろしく巧い)







側近とされる宰相の頭脳、宰相を支える文官たち、そこから出される案がそれだけ高い評価を得るものであるわけだろうが、それらが議会を通るにせよ、最終的に採用するのは皇帝である。







これまで見たところによれば、これほど様々な案が速やかに可決され、より以上に素早く実行された例は歴史上あまり類を見ない。

戦時にも平時にも柔軟に対応し、計画を立てる行政、実行する軍部。政に対して、完璧なシステムが迅速に、各地の隅々まで緻密に敷かれている。

細かな失敗はあれど、そのすべてが、確実にいい方向へ向かっている。…良い方へ変わろうという熱意が、そこかしこから伝わってきていた。



皇帝に従えば、この大陸は間違いなく黄金期を迎えるだろう。





(有能であるのは間違いない)





エミリアは、なぜか、我が事のようの誇らしげに言った。

「お会いすれば、おそらくユリウスさまもそのように感じられるはず」

「…なるほど」

ユリウスと呼ばれた白金の髪の青年は頷いた。



扉の前に立ち止まった少女を中心にして、斜め後ろ左右に青年が二人、並び立つ。



その様子を一瞥した侍従が、慇懃に声をかけた。

「外套は外してお入りください」



三人は、素直に外套を脱いだ。



あらわになったエミリアの顔立ちは、儚いような美しさを湛えている。色白で線が細く小柄だからか、今にも折れてしまいそうな雰囲気があった。

愛らしい小鳥のような、庇護欲をそそる容姿だ。



その後ろに並び立つ青年二人もまた、輝くほどに端正である。

それまでエミリアと言葉を交わしていたユリウスは、白金の髪に、翠玉の瞳が印象的な、柔和な雰囲気。そして、…もう一人。



それまで一言も声を発さなかった彼が気になるように、もしくは慣れない獣の様子を探るように、聖女はちらとそちらへ視線を流す。

だが完全に振り向くことはせず、彼女の眼差しはすぐさま扉に向き直った。

ただ。



もう一人の青年が顔をあらわにした時。





控えていた侍従、そして厳しい眼差しで見守っていた騎士たちが、何かに驚いたように息を呑んだ。無論、エミリアとユリウスの面立ちにも似た反応をしたのだが、彼に対しては驚きの種類が異なるようだ。





青年は―――――褐色の肌をしていた。そして黒髪に、鉄色の瞳。

常に微笑んでいるような印象のもう一人に対し、厳格さを感じさせる王侯貴族然とした雰囲気だ。



聖女も含め、神殿側の三人全員が、惑う目を見交わした侍従と騎士たちの様子に気付いた。

が、このような場で詳しく理由を問いただせるわけもない。





幸い、微妙な間が空いたのは束の間。











「―――――ここから先は、帝国の主が坐す玉座の間」



我に返った騎士が、自身を奮い立たせるように声を張った。静かな廊下によく通る。





「相応しい礼儀と敬意をもってお進みください」





もう一人の騎士が言葉を続け、交錯していた槍が解かれた。











―――――扉が開く。











刹那。

(…なんだ、これは)





ぞわり、ユリウスの全身が総毛だった。





悪寒ではない。

意味合い的には、真逆の意味で。



それにしたって、尋常でない気配が息苦しいほど流れ出てきていた。



彼は素早く、もう一人の青年を一瞥。

彼は厳格な表情を髪一筋分すら崩していない。



声に出さず、案じる思念で彼を呼ぶ。





(サイファ)





鉄色の目が、ちらり、ユリウスを見た。



その目に映るユリウスもまた、動揺一つない表情をしている。



(行くぞ。…聖女が進んでいる)








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