千切れた心臓は扉を開く

綾坂キョウ

文字の大きさ
上 下
51 / 60
第二十一章 幻視――或いは過去の話

21-2 放逐

しおりを挟む
 次の場面になると、またもや世界は一変していた――家が、燃えている。


「朱金丸様っ」


 両手に小さな赤子を二人抱いたトモエが、パタパタと駆けている。そこに走り寄ってきたのは、時彦だった。


「トモエさん、こちらへ!」

「時彦……」


 言われるがまま、トモエは時彦に駆け寄った。


「一体、なにが」

「どうやら、蛇鬼様を放逐しようと企む者共の仕業のようで。焼き討ちです」

「朱金丸様を放逐ッ!?」


 信じられない――という顔をするトモエに、時彦は神妙な面持ちで頷いた。


「とにかく、こっちへ」


 言いながら、時彦が火の手が弱い方へと歩き出す。トモエも、赤子を抱く手に力を込めながら、その後ろについた。


「朱金丸様は……初彦も」

「分かりません」


 やたらきっぱりと、時彦は言いきった。振り返りもせず、どんどん進んでいく。


「奴らは、例の橋ができてから他所との交流が活発になった今、未だに鬼を神として奉っているのは時代遅れだと。むしろ、貴女のように贄として要求される人間か今後増えるのではないかと懸念して、このような騒ぎが起きたそうです」

「そんな……あの橋だって、朱金丸様の助力でできたのに。それに、わたしだって」


 トモエの声が震える。美邑には、その気持ちが痛いほど伝わってきた。――自分が嫁いだことがきっかけで、こんなことになってしまうなんて、と。そう、震えながら泣くのを必死に堪え、小さな二人を抱き締めている。赤ん坊二人は、なにが起きているかも分からずに、すやすやと眠っている。


「わたし、朱金丸様を探さないと」

「安全な場所に向かうのが先です」


 家の端まで来ると、縁側から飛び降り、時彦が手を差し出してきた。


「御子を」


 トモエはわずかに迷った顔をしたが、火の手の熱さと縁側の高さに頷き、子供を一人手渡した。直ぐさま、自分も縁側から飛び降りる。


「こちらです」


 赤子を一人抱いたまま、時彦はまた走り出した。


「森の中へ」


 言われるまま走るが、トモエはちらちらと後ろを振り返った。赤い炎が、遠ざかっていく。


「あの、この辺りで」

「いえ、あと少し行った場所で、待ち合わせているので」


 時彦が足早に駆けていく。美邑も二人を追いながら、何故か気持ちが焦っていくのを自覚した。


「あの、待ち合わせって……」


 もしかして、初彦か朱金丸とだろうか、と。そう、トモエが訊きかけた――そのときだった。
 時彦とトモエの前に、男が三人ほど現れた。


「時彦」

「やあ、皆さん」


 いつもの人懐こい笑顔を浮かべて、時彦が男らに笑いかける。が、トモエも美邑も不安だった。男らの手には、鍬や弓など、物騒な物が握られている。


「時彦……」


 トモエの声を遮るように、時彦が「お待たせしました」と、さっと身体をトモエに向けた。


「約束通り、連れてきましたよ」

「よくやった」


 男らが、満足げに頷く。


「化け物が来る前に、さっさとやっちまおう」


 男のうちの一人の言葉に、トモエが後ずさった。時彦をじっとにらむ。


「時彦。どういうこと?」

「大丈夫です。トモエさんには、危害なんて加えない」


 「そうとも」と請け負ったのは、また別の男だった。


「贄として犠牲になったあんたに、これ以上悪さなんてしねぇよ」

「あぁ。俺らが用があるのは、その化け物の子供だけだ」


 そう言って男らが示したのは、トモエが抱いている赤子だった。額から、角の二本生えた鬼の男児。トモエは、ぎゅっと子供を抱きしめた。


「なにをする気……?」

「まだ赤ん坊とは言え、化け物を受け継いだ子だ。早めに始末しねぇと」

「時彦、そっちのガキもだろう? こっちに寄越せ」


 手を伸ばしてくる男を軽く避けながら、時彦は苦笑した。自分の腕の中で眠る赤子を、トントンと背中を叩いてあやす。


「それは、約束違反だろう。この子は人間の女の子だ」

「だが、あの化け物の娘なんだろう?」


 言い募る男に、「くどい」と時彦が苛立った声を上げる。


「無駄な殺生は、なしだ。この子とトモエさんは、俺が保護する」

「なにを……っ」


 トモエは男らと時彦を共に睨んだ。逃げたいが、赤子の一人を時彦に預けた状態では、そういうわけにもいかないのだろう。早く、取り返さなければと、美邑も焦ってきた。蛇鬼は――朱金丸は、どうしただろうか? 無事だろうか。


「いいから、早くガキを渡せ」


 苛立った調子で、男の一人がトモエにつかみかかりに来る。


「いやっ! 止めてッ」


 慌ててそれを避けるも、残り二人の男も寄ってくる。まずい――トモエが、子供に覆い被さるように、その場にうずくまったときだった。


「――止めろ」


 声と共に、男らが吹き飛ばされる。


「朱金丸様ッ」


 ハッとした顔で立ち上がり、トモエは朱金丸のそばに駆け寄った。朱金丸はちらっとそちらを見て、「大丈夫か」と確認する。


「怪我は」

「ありません。けど」


 トモエが時彦を見る。時彦はにこりと笑って、赤子を抱く力を強めた。


「時彦」


 やや遅れて合流してきたのは、初彦だった。左肩を怪我したのか、反対の手でかばいながら、焦った表情で駆け込んでくる。


「おまえ、いったいなにを」

「父上。お怪我は大丈夫ですか」


 飄々と言ってくる息子に、初彦は険しい顔で向き合った。


「おまえ、なにをしてるか分かってるのか? 代々、社の護り手たる身でありながら、朱金丸の放逐を目論むなど……!」

「社の護り手を継ぐ立場だからこそ、蛇鬼様の存在は今後、村のためにならないと思い、協力したまでです」


 そう語る時彦の顔は、いつもと同じ人懐こい笑顔だ。トモエが、震えながら「なんでよ……」と悲鳴じみた声で呟く。


「今まで散々、朱金丸様のお世話になってきて……それなのにっ」

「そう言う貴女の父上も、一枚噛んでらっしゃるんですよ」


 時彦の言葉を聞き、「え」とトモエは目をしばたかせた。


「可愛い娘を大切なところでなす術なく奪われて、当然の反応だとは思いますけどね」

「そんな……」


 足まで震えてしまい、トモエはその場にへたりこんだ。


「……僕だって。貴女が他所に嫁ぐと聞いたときは、それでも仕方ないと諦めたのに。それを、無理矢理奪ってモノにし――あまつさえ子供まで孕ませた化け物なんて。許せないですよ」

「時彦……」


 いやいやをしながら、トモエは時彦の名を呼んだ。


「お願い、それ以上は止めて。わたしは、望んで朱金丸様に」

「分かってる。村の奴らは騙されてるけど。貴女が本気で幸せそうだからこそ、僕は許せない。――化け物に抱かれて、悦んでいる貴女なんて。見たくもなかった」

「時彦ッ」


 初彦が怒鳴るが、時彦はまたへらりと笑った。


「父上こそ、目を覚ましてください。所詮、元は蛇の化け物ですよ? それをありがたがって、どうするんです」

「おまえ……っ」


 初彦が、言葉もなくす。そこでようやく、それまで黙っていた朱金丸が口を開いた。


「時彦」

「なんですか? 蛇鬼様」


 朱金丸の表情は、静かだった。ただただ静かに、呟くように語りかける。


「これ以上、俺とおまえの大切な者たちを、傷つけてくれるな」


 「おまえたちの気持ちは分かった」と、朱金丸は頷く。


「それが、村人たちの総意であるなら、我はこの村を出ていこう。だからこれ以上、我の妻と友人を、傷つけてくれるな」

「……」


 時彦の表情が、笑みから無へと変わる。じっと朱金丸を見つめる目だけが、強い色をたたえていた。


「――単に出ていかれるだけで、皆が納得するとでも? 化け物の報復を、恐れないとでも?」

「我は報復など、考えていない」

「貴方の考えなんて、どうでも良いんです。実際に、皆がどう思うかが問題だ――ねぇ?」


 トモエがハッとして、腕の中の赤子を初彦に押しつけるようにして渡した。反射的に受け取った初彦が顔を上げたときには、トモエはすでに立ち上がり、朱金丸の背に抱きついていた。


「……っ!?」


 朱金丸が振り返る。それに合わせて、トモエの身体がぐらりと傾いだ。
 慌てて抱き止めた手が、ぬるりと濡れる。


「トモエ……?」

「朱金丸、さま……」


 にこりと、トモエが微笑む。その背からは、血が。その背後には、鋤を持った男が、震えながら立っていた。


「お、俺は……化け物を狙っただけで。この女が、勝手に邪魔を……っ」


 真っ赤に染まった鋤を持ったまま、男が後ずさる。他の男らも、互いに顔を見合わせて、不測の事態にどうすべきか悩んでいるようだった。


「トモエ」

「朱金丸さま……」


 トモエが両手を伸ばし、真っ赤な手で朱金丸の頬を包み込む。


「ごめん、なさい……わたし、の。せいで……こんな、ことに」

「なにを言ってる。おまえのせいなどではない。決してない」


 苦しいだろうに。痛いだろうに。トモエは、嬉しそうに微笑んだ。離れたところで見ている美邑にも、その気持ちが流れ込んでくるようだった。

 ただ、愛しい。その想いだけが、胸の中に満ちている。


「わたし。しあわせ、です。だから……」


 ふっ、と。
 両手が朱金丸の頬から離れ、下に垂れる。


「トモエ……?」


 頬を真っ赤に染めた朱金丸が、動かなくなったトモエに呼びかける。


「トモエ……」


 トモエは微笑みを浮かべたまま、朱金丸を見つめるようにして動かなくなっていた。その目を見つめ返しながら、朱金丸が呟く。


「トモエ……大丈夫か? 痛むのか……? トモエ、なぁ。後生だから、返事をしろ。なぁ、トモエ……っ」


 どうあっても反応のないトモエを抱き締めて、朱金丸はぐっと縮こまった。その場にいる皆が、その様子をじっと見守っている。


「あ、ぁ……ぁああああああッ!!」


 悲痛な咆哮が、森の中に響き渡った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正石華恋蕾物語

響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る 旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章 ――私は待つ、いつか訪れるその時を。 時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。 珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。 それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。 『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。 心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。 求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。 命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。 そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。 ■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る 旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章 ――あたしは、平穏を愛している 大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。 其の名も「血花事件」。 体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。 警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。 そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。 目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。 けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。 運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。 それを契機に、歌那の日常は変わり始める。 美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。 ※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...