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第十九章 ひとり
19-1 さよなら
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ぺたりぺたりと、裸足で歩く早朝のアスファルトは、ややひんやりと冷たく心地よい。
美邑はただただぼんやりと、坂道を登っていた。
今朝はかなり早く、ほとんど着の身着のままで家を出た。母親が美邑を起こしに来るまで、部屋で待っていることなどできなかった。また、母親の視線が自分を素通りするところなど、見たくもなかった。玄関を出るとき、靴を穿こうともしたが、足の爪が鋭く尖り上手くいかなかったため、仕方なく裸足だ。
もう、なにが妄想でなにが現実かなど、分からなかった。いるべき場所も、いられる場所も失った。今、神社に向かっているのも、ただの惰性に近い。
ほんの少しの、希望は込めている。昊千代は今日の夕方に迎えに来ると言ってきたし、朱金丸もおそらく神社の付近にいる。
この際、鬼らでも良かった。とにかく、誰かと話したくて仕方がない。
神社の階段を昇ると、境内で竹箒をかけている理玖がいた。気持ちのよい朝だというのにふてくされた顔をしている。きっと、またくだらないことで神主に叱られ、掃除を手伝わされているのだろう。思わず、ふっと笑ってしまう。
「りっくん……」
声をかけるも、理玖は気づいた様子もなく、箒を動かし続けている。大してゴミがあるわけでもないため、かなり適当だ。それに、また笑う。
「りっくん」
今度は、目の前まで近づいてみた。やはり、ちらりとも美邑を見ようともしない。
もし、見えたとしても――髪の色も目の色も変わり、角が二本も生えた姿では、怖がらせるだけで美邑だなんて分かってもらえないだろう。
神隠しにあったあの頃。
幼稚園に入る前から親同士も仲が良く、美邑と理玖はずっと友達だった。
美邑はこの神社が好きだったし、それは今でも変わらない。なんとなく心が落ち着かないときは、この神社でぼんやりとした時間を過ごす。それは、幼い頃からここを遊び場にしていた美邑にとって、当たり前のように身に染みついたことだった。
幼かったは頃いつだって、理玖は美邑の手を握っていた。「みくちゃんは、俺がいなきゃだめなんだから」と、そう言って。
そんな理玖が頼もしく、美邑は理玖のことが大好きだった。小学生に上がる頃には、「男の子」として見ていたかもしれない。
あの夏の日だって。二人は、いつものように遊んでいた。そして、そうだ――こんなことを理玖は言っていた。
「ぜったい、はなすなよ。俺といれば、だいじょうぶだから」
――口を尖らせながら、箒を動かす理玖を見つめながら、思いを馳せる。
もし、あの日。神隠しなどにあわなければ。いったいこの十年は、どんなふうに変わっていただろうか。
化け物と周囲から言われることもなく、変な劣等感を抱くこともなく、両親に心配をかけることもなく、理玖と距離が離れることもなく――それはもしかしたら、今よりはるかに幸せな毎日だったのだろうか。
それとも。幼い日の関係など、事件のあるないに関わらず時間の流れと共に朽ちて、結局理玖との関係は、今と大して変わらなかったりするものなのだろうか。
どちらだとしても、今となっては知りようもないことだが。
それを惜しむほど、今の自分は理玖を好きなのだろうかと、自問する。常に不機嫌そうな細い目は、昔から変わらない。
(そうだね、たぶん。やっぱり、好きは好きかも)
だが、その視線が素通りしても、親の時ほどには傷つかない。むしろ、どこか安心している美邑もいる。
朝の空気に冷えた、その頬に触れてみる。当然ながら気づかれない。美邑は少しだけ口の端を持ち上げ、踵を浮かせた。ほんの一瞬、ただほんの一瞬、唇が理玖の頬に触れる。
ほとんど同時に、理玖の顔が美邑の方を向いたのは、単なる偶然かもしれない。理玖はきょとんとした顔で、じっと美邑のいる方を見つめ――家の方から聞こえてきた呼び声に「へーい」と返事をすると、頭を掻きながらそちらへ歩き始めた。
(りっくん……)
去っていく背中を見つめていると、一筋だけ涙がこぼれた。
美邑はただただぼんやりと、坂道を登っていた。
今朝はかなり早く、ほとんど着の身着のままで家を出た。母親が美邑を起こしに来るまで、部屋で待っていることなどできなかった。また、母親の視線が自分を素通りするところなど、見たくもなかった。玄関を出るとき、靴を穿こうともしたが、足の爪が鋭く尖り上手くいかなかったため、仕方なく裸足だ。
もう、なにが妄想でなにが現実かなど、分からなかった。いるべき場所も、いられる場所も失った。今、神社に向かっているのも、ただの惰性に近い。
ほんの少しの、希望は込めている。昊千代は今日の夕方に迎えに来ると言ってきたし、朱金丸もおそらく神社の付近にいる。
この際、鬼らでも良かった。とにかく、誰かと話したくて仕方がない。
神社の階段を昇ると、境内で竹箒をかけている理玖がいた。気持ちのよい朝だというのにふてくされた顔をしている。きっと、またくだらないことで神主に叱られ、掃除を手伝わされているのだろう。思わず、ふっと笑ってしまう。
「りっくん……」
声をかけるも、理玖は気づいた様子もなく、箒を動かし続けている。大してゴミがあるわけでもないため、かなり適当だ。それに、また笑う。
「りっくん」
今度は、目の前まで近づいてみた。やはり、ちらりとも美邑を見ようともしない。
もし、見えたとしても――髪の色も目の色も変わり、角が二本も生えた姿では、怖がらせるだけで美邑だなんて分かってもらえないだろう。
神隠しにあったあの頃。
幼稚園に入る前から親同士も仲が良く、美邑と理玖はずっと友達だった。
美邑はこの神社が好きだったし、それは今でも変わらない。なんとなく心が落ち着かないときは、この神社でぼんやりとした時間を過ごす。それは、幼い頃からここを遊び場にしていた美邑にとって、当たり前のように身に染みついたことだった。
幼かったは頃いつだって、理玖は美邑の手を握っていた。「みくちゃんは、俺がいなきゃだめなんだから」と、そう言って。
そんな理玖が頼もしく、美邑は理玖のことが大好きだった。小学生に上がる頃には、「男の子」として見ていたかもしれない。
あの夏の日だって。二人は、いつものように遊んでいた。そして、そうだ――こんなことを理玖は言っていた。
「ぜったい、はなすなよ。俺といれば、だいじょうぶだから」
――口を尖らせながら、箒を動かす理玖を見つめながら、思いを馳せる。
もし、あの日。神隠しなどにあわなければ。いったいこの十年は、どんなふうに変わっていただろうか。
化け物と周囲から言われることもなく、変な劣等感を抱くこともなく、両親に心配をかけることもなく、理玖と距離が離れることもなく――それはもしかしたら、今よりはるかに幸せな毎日だったのだろうか。
それとも。幼い日の関係など、事件のあるないに関わらず時間の流れと共に朽ちて、結局理玖との関係は、今と大して変わらなかったりするものなのだろうか。
どちらだとしても、今となっては知りようもないことだが。
それを惜しむほど、今の自分は理玖を好きなのだろうかと、自問する。常に不機嫌そうな細い目は、昔から変わらない。
(そうだね、たぶん。やっぱり、好きは好きかも)
だが、その視線が素通りしても、親の時ほどには傷つかない。むしろ、どこか安心している美邑もいる。
朝の空気に冷えた、その頬に触れてみる。当然ながら気づかれない。美邑は少しだけ口の端を持ち上げ、踵を浮かせた。ほんの一瞬、ただほんの一瞬、唇が理玖の頬に触れる。
ほとんど同時に、理玖の顔が美邑の方を向いたのは、単なる偶然かもしれない。理玖はきょとんとした顔で、じっと美邑のいる方を見つめ――家の方から聞こえてきた呼び声に「へーい」と返事をすると、頭を掻きながらそちらへ歩き始めた。
(りっくん……)
去っていく背中を見つめていると、一筋だけ涙がこぼれた。
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