上 下
44 / 60
第十八章 優しい夢と閉じた現

18-1 夢

しおりを挟む
 夢を見ていた。

 美邑はまだ幼く、小高い丘の上に一人ちょこんと座っていた。


「――誰だ」


 急に後ろから声をかけられ、びくりと震えながら振り返る。その顔には、大量の涙が流れていた。

 声の主は、驚いたように「なんだ」とうめいた。


「人間の童が、どうしてこんなところに」


 よく分からないが、自分のことを言っているのだろうと、美邑は見当づけた。だが、それは美邑の方が訊きたい問題だった。

 今日は神社へ遊びに来て、ついさっきまで友達と一緒にいたはずであった。それがいつの間にか眠ってしまっていて――起きたときには、独りぼっちだった。


「あたし……帰りたいよぉ」


 ぐずぐずと口にすると、その人は「参ったな」とぼやきながら近づいてきた。銀色の髪に、紅い瞳。そして、緋色の着物。髪の色と格好から年寄りかと判断しかけたが、それにしては祖父母のようなシワがないことに、美邑は首を傾げた。


「おじちゃん、ダレ?」


 若者と年寄りの間をとって呼んでみたが、特に反論もなく「ここの者だ」と答えが返ってきた。


「おまえは?」

「あのね、美邑ね。気づいたらここで寝てた」


 「美邑か」と、その人は小さく繰り返した。


「美邑。取り敢えず、降りろ。そこの上にいてはいけない」

「なんで?」


 訊き返しながらも、美邑は手の甲で涙を拭いつつ、ゆっくりと丘から降りた。目が腫れぼったく、じりじりと痛む。


「……ここは、貴なる方の眠る場所だからだ」

「寝る場所……ベッドなの? お布団?」


 首を傾げる美邑に、彼は苦笑のような表情を浮かべながらも「そうだな」と頷いた。鼻をすすりながら、「ふぅん」と美邑が声を上げる。


「じゃあ、あてなる、っていうのは、どういう意味?」

「そう……だな。簡単に言えば、偉いヒトという意味だ」


 子供の質問に、律儀に答える彼に、美邑は「そっかぁ」と手を叩いた。


「じゃあ、お母さんみたいな人のことだね」

「母親?」


 今度は不思議そうに眉を上げる相手に対し、「おじさん、知らないの?」と美邑はちょっと得意になった。


「お母さんはねぇ、一人でみんなのごはん作ってね。偉いんだよ」


 そう言って、美邑が胸を張ると、彼は「そうか」と小さく笑ってみせた。ちらりと、視線を丘へと向ける。


「確かに……似たようなものかもな」


 美邑も、首を傾げながら丘を見、次いで彼の顔を見上げた。短い指をその顔に向けながら、「ねぇ」と声をかける。


「うん?」

「その模様、なぁに? 葉っぱみたい」


 美邑が指したのは、目から顎にかけて精緻に彫られた、刺青だった。「葉っぱ」と言ったのは、模様が蔦かなにかに見えたからだった。

 彼はそっと自分の頬に触れると、もう一度、丘を見上げた。


「……これは、罪の証だ」

「つみ?」

「罪とは、背負わなければならない悪いことだ」


 美邑はまた首を傾げた。じっと彼を見つめ、むぅと眉を寄せる。


「変なの。そんな、キレイなのにねぇ」

「綺麗……か?」


 呆気に取られる彼に、美邑は思いきり「うんっ」と頷いてみせた。手を大きく伸ばし、刺青に思いきり触る。


「なんかね、なんかね。顔にお花が咲いてるみたいで、キレイよ」


 子供ならではの無遠慮な触れ方ではあったが、彼は嫌がりもせず、ただされるがままになって美邑をじっと見ていた。
 だが、美邑はまた首を傾げると、今度は更に額へと手を伸ばした。届きはしなかったが、じろじろと見る目は止めない。


「ねぇ、こっちは?」

「これは……角だ」


 額から突き出たそれを、美邑はまじまじと見つめながら「ふぅん」と頷いた。


「一本だけ。ユニコーンみたい」

「ゆにこん?」


 これには、彼も不思議そうに首を傾げた。反対に、美邑は「うんっ」と大きく頷く。


「おじちゃん、なんにも知らないねぇ。ユニコーンはね、心がキレイな女の子が好きで、助けてくれるんだよ」

「ほう? 心が綺麗な女子おなごをか」


 にやりと笑う彼に、美邑は「うんっ」と大きく頷いた。


「ユニコーンはね、ほんとの姿はお馬さんで、おでこから長い角が一本生えててね」

「――俺は馬ではないが、お前のことは、ちゃんと帰れるようにしてやる」


 それを聞いた途端。美邑の目に、みるみる涙がたまっていった。


「おい、どうした?」

「……おうち、帰りたい……ッ」


 ぐずぐずとまた泣き出す美邑に、彼は頭を掻きながら一つ息をついた。右手で、くしゃりと美邑の頭を撫でる。
 それから腰を落とし、正面から美邑の顔を覗き込んできた。紅い真っ直ぐな目に射られ、美邑はしゃくりあげながらもきょとんとそれを見返した。


「いいか。ここは、お前の家があるのとは別の世界だ」

「別の……世界?」


 美邑が、ちょこんと首を傾げる。


「ユニコーンがいる世界?」

「だから馬ではないが……まぁ、そんなものだ。まとにかく、おまえを帰すには、元の世界へ戻さねばならない」


 「分かるか?」と問われ、美邑は「うーん」と曖昧な声を出した。


「……まぁ、良い。表の世界から迷い込んで来た奴自体は、今までもいる」


 「だから、戻るにもそんなに心配はいらない」と。そう、その人が美邑の頭をもう二、三度と軽く撫でたときだった。


「それはあたわぬ」

「――は?」


 突然の言葉に、彼の顔がきょとりとしたものになる。発言は――幼い美邑がしたものだった。
 美邑はとろりとした顔で、ただじっと上目遣いに彼を見ていた。


「美邑……?」

「こやつは、最早人間に非ず」


 表情を変えないまま、口だけが淡々と動く。その異様さに、彼のこめかみがぴくりと震えた。


「――初代」

「こやつは、既に実を食ろうた。我等が墓所の実を。貴様なら、分かるであろう。実は最早、こやつの身体に溶け込んだ」


 言われて、彼は丘の上を見た。蛇鬼と彼の妻であるトモエが眠るその場所に生える、植物。それを確認して焦った顔になるのを、美邑は遠い遠い意識の中で見ていた。


「いつの間に――」

「こやつが人ならざるモノに成るのは、必定。表に帰すことなどできぬ」


 「諦めよ」と、意思に反して自分の口が動くのを、美邑はわけも分からずに、押し込められた意識の中だけで首を傾げた。


「だが、初代よ。彼女はまだ幼い。幼すぎる。己がしたことも分かっておらん」

「それがどうした」


 変わらぬ無表情のまま、声だけが少し高くなる。


「貴様は分からぬか。こやつは、おれの子孫よ。元より、鬼の血を引く者だ」

「だが、まだ人間だ。人間の血も引いている」


 きっぱりと、彼はそう言いきった。


「実を食べても、完全に鬼に変ずるまでは何年かかかる。そうなってからでも遅くはない」

「寝惚けたことを。たかが数年、瞬き程の時間ではないか」

「眠りすぎて寝惚けているのは、初代だ」


 そう、彼は美邑ではなく丘をじっと見つめる。美邑を正面から見つめたときと同じ、真っ直ぐな目で。


「我等にとって瞬き程の時間が、人間にとってどれ程意義の深いものか――知らぬ貴方ではないだろう」


 ずきりと。胸の奥が、不意に痛む。だが美邑の顔は、かえってにやりとした笑みを浮かべた。


「痴れ者が。貴様になにが分かる」

「分かる。俺は――貴方だから」


 「ふん」と、美邑の鼻が鳴るような音を立て――次の瞬間、身体ががくりと傾いだ。同時に、意識がすぅと表へ戻ってくる。

 なにが起きているのか、美邑にはよく分からなかった。だが、傾ぐ美邑の身体を支えてくれた彼の顔は、優しかった。


「大丈夫だ」


 冷たい手が、そっと額を撫でてくる。


「家族の元へ帰れ」


 手はそっと降りてきて、美邑の目を覆った。ひんやりとした心地の良い暗闇が、聞こえてくる声を子守唄に変える。


「その時が来たら、迎えに行くから」


 だから安心しろと、声は言う。どこか優しい響きで。


「必ず行くから、待っていろ」


 独りになんて、しないから。


 そう言われている気がして、美邑は笑って、闇に身を委ねた。

 ――これは夢だ。

 幼い自分を離れた場所で俯瞰しながら、美邑は自分に言い聞かせた。

 これは夢。現実にあったことかなんて、分かりはしない。
 それなのに、泣けてきてしまうのは何故なのか。
 ユニコーンなんてもう信じられない美邑には、分からなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚したくない腐女子が結婚しました

折原さゆみ
キャラ文芸
倉敷紗々(30歳)、独身。両親に結婚をせがまれて、嫌気がさしていた。 仕方なく、結婚相談所で登録を行うことにした。 本当は、結婚なんてしたくない、子供なんてもってのほか、どうしたものかと考えた彼女が出した結論とは? ※BL(ボーイズラブ)という表現が出てきますが、BL好きには物足りないかもしれません。  主人公の独断と偏見がかなり多いです。そこのところを考慮に入れてお読みください。 ※この作品はフィクションです。実際の人物、団体などとは関係ありません。 ※番外編を随時更新中。

怪しい二人 夢見る文豪と文学少女

暇神
キャラ文芸
 この町には、都市伝説が有る。  「あるはずのない電話番号」に電話をかけると、オカルト絡みの事件ならなんでも解決できる探偵たちが現れて、どんな悩み事も解決してくれるというものだ。  今日もまた、「あるはずのない電話番号」には、変な依頼が舞い込んでくる……  ちょっと陰気で売れない小説家と、年齢不詳の自称文学少女が送る、ちょっぴり怖くて、でも、最後には笑える物語。

神楽坂学院高等部祓通科

切粉立方体
キャラ文芸
県立猫毛高校に無事合格し、鈍った身体を鍛え直そうと海沿いのロードワークを始めた。 舞姫大橋で不思議な霧に遭遇し、家に戻ると受験した覚えの無い高校からの合格通知が届いていた。 高校の名は神楽坂学院高校部、学科は聞いた事も無い名前の祓通科。 雷夢雷人(らいむらいと)十五歳、陰陽師として鬼と戦う不思議な高校生活が始まった。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

美しくも残酷な世界に花嫁(仮)として召喚されたようです~酒好きアラサーは食糧難の世界で庭を育てて煩悩のままに生活する

くみたろう
ファンタジー
いつもと変わらない日常が一変するのをただの会社員である芽依はその身をもって知った。 世界が違った、価値観が違った、常識が違った、何もかもが違った。 意味がわからなかったが悲観はしなかった。 花嫁だと言われ、その甘い香りが人外者を狂わすと言われても、芽依の周りは優しさに包まれている。 そばに居るのは巨大な蟻で、いつも優しく格好良く守ってくれる。 奴隷となった大好きな二人は本心から芽依を愛して側にいてくれる。 麗しい領主やその周りの人外者達も、話を聞いてくれる。 周りは酷く残酷な世界だけれども、芽依はたまにセクハラをして齧りつきながら穏やかに心を育み生きていく。 それはこの美しく清廉で、残酷でいておぞましい御伽噺の世界の中でも慈しみ育む人外者達や異世界の人間が芽依を育て守ってくれる。 お互いの常識や考えを擦り合わせ歩み寄り、等価交換を基盤とした世界の中で、優しさを育てて自分の居場所作りに励む。 全ては幸せな気持ちで大好きなお酒を飲む為であり、素敵な酒のつまみを開発する日々を送るためだ。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

Hate or Fate?

たきかわ由里
キャラ文芸
Storm in the Nightfall 第1作 26歳の優哉は、サポートドラマーやスタジオミュージシャンとして活動する、実力派ドラマー。 ヘヴィメタルを愛してやまない優哉がひょんなことから加入したヴィジュアル系バンド・ベルノワールは、クールなワンマンベーシスト宵闇がリーダーとして牽引する、見た目だけで演奏力がないバンドでした。 宵闇と真正面からぶつかり合いながら、ベルノワールの活動にのめり込んでいく「夕」こと優哉。 そして迎える初ライブ! 音楽に恋に駆け回る優哉の、燃えるように熱いヴィジュ根(ヴィジュアル系根性)ストーリー!! 全36話。毎日20:30更新です。

処理中です...