40 / 60
第十七章 モモ
17-2 「りっくん」
しおりを挟む
手のひらに感じるぬくもりを、握り返して確かめる。ゆっくりと目を開けば、見慣れた笑顔がそこにあった。
モモ、と呼びかける前に、「起きたのか」という声が別の方向から聞こえてきた。
「おまえ、大丈夫かよ」
「りっくん……」
出した声は掠れていたが、なんとか相手に届いたようだ。理玖の顔が、少し緩む。
「なんか騒がしいと思ったら、階段の前で倒れてんだもんな。マジ、一瞬死んでるかと思った」
「りっくんが……運んでくれたの?」
見知らぬ天井。見知らぬ布団に寝かされている自分を自覚し、美邑はゆっくりと訊ねた。
「ん? まぁ……重かったけどな」
そう言って笑う理玖に「どーせ重いですよ」と口を尖らし。だがすぐに、顔から力を抜く。
「でも、ありがと」
「おう」とだけ返事をすると、理玖は頭を掻き、それから少し真面目な表情で美邑を見つめてきた。横になったまま、視線で疑問を投げかける美邑に「あのさ」と口を開く。
「最近、ちょいちょい調子悪そうだし。一度、ちゃんと病院とか、行った方が良いんじゃねぇの?」
おそらく、善意の言葉なのだろう。確かにはたから見れば、急に早退したり、転んで怪我をしたり、気を失って倒れていたりと、心配になる要素は充分だ。
もし――それには理由があると知ったら。もし、美邑が本当に鬼に成ると知ったら、理玖はどんな反応をするだろうか。
(やっぱり……馬鹿にされるのかな)
角を見せてみようかと思ったときも、似たようなことを考えたが。どうしたって、モモのように信じてもらえる気がしない。
昔だったら――一緒に遊んでいた十年前だったなら、そんな心配などいらなかっただろうに。
そうだ。あの日だって、理玖は美邑の手をぎゅっと握りしめていてくれた。
『ぜったい、はなすなよ』
そう言って――。
(あの日……?)
ふと、自分の思考に違和感を覚える。まだ、なにかを忘れているのだろうか。
だが、なにを思い出したところで。今更なにも変わりはしない。
「……あのね。あたし……もしかしたら、その。遠くに、行くことになるかも」
「は?」
急な美邑の言葉に、理玖がきょとんとする。美邑はたたみかけるように続けた。
「それで、最近ちょっと悩んでて。行ったら、帰ってこられるのか、よく分かんないし。それで」
「それ……あの不審者絡みか?」
不意に核心を突かれ、どきりとする。それは、理玖にも伝わったのだろう。はぁ、と一つ溜め息をつく。
「昨日も、帰り際おかしかったし。結局、親や他の大人に相談してねぇのかよ?」
「う、うん……相談しても、なんて言うか……どうしようもないっていうか」
「馬鹿。だからって、そんな倒れるほど一人で悩んでどうすんだよ」
濁そうとする美邑に、理玖はどこまでも正論を投げつけてくる。思わず、モモの手を握る力を強くする。ちらりと見やると、モモは苦笑に似た笑みを浮かべていた。
「ミクちゃんの、思う通りにした方が良いよ」
そう言われると、やはりダメもとでも、打ち明けたくなる。本当のことを。
理玖は、「まったく」という顔をしてこちらを睨むように見ていた。それだけ、心配してくれているのだろう。なら――。
「その。あたし……」
「ほんと、マジ死んでるかと思ったんだからな、こっちは」
美邑の決死の言葉に被さるようにして、理玖が言う。
「ご、ごめんなさい」
「謝んなよ。ほんと、お前はそうやって、すぐ謝ったりへらへらしてその場を誤魔化したりとか、多過ぎなんだよ。周りにいらない気ばっか使うから、アホどもがつけあがるんだ」
「アホ……って?」
思わぬ言葉にきょとんとなると、理玖は「きまってるだろ」と続けた。
「この辺の同級生どもだよ。ちょっと力が強いからって、化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信を、十年近く引きずりやがって」
それは。
美邑にとって、予想外の言葉であった。
「化け物」と罵られ続けてきた美邑からすれば、同級生たちがそう言ってくるのは当たり前のことであったし、理玖もその一人だと、そう思い込んでいた。理玖は罵ってこそこなかったが、長いこと傍観者だったからだ。
美邑の表情に気づいたのだろう、理玖は罰の悪そうな顔をして、少しだけそっぽを向いた。
「だから、おまえが一人でへらへらめそめそしてばかりいたから、そういうとこには俺だってむかついて……まぁ、ガキだったなって、今は思うけどさ」
「……」
そういうものなのだろうか――そういうものなのだろう。
閉鎖的な環境に置かれれば、視界が狭くなるというのは、きっと誰だってそうなのだ。美邑が、化け物と罵られるのをいつしか「仕方がない」と思っていたように。へらへらと笑って、波風立てないようにしていたように。
「……ごめん」
「謝んなよ。つか、俺こそ……悪かったな」
ぼそぼそと、理玖が呟くように言う。それに、美邑は寝たまま思いきり首を振った。頭はまだ少し痛かったが、そんなことが吹き飛ぶくらいに、今は胸がいっぱいだった。
「いや……まぁ、だからさ。あんま一人で抱え込み過ぎんなよ。そんな、倒れるくらいにさ」
「……うん」
理玖の言葉は心強いが、同時にきりりと首を絞められる心地がした。
(化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信――)
「田舎もん丸だしの迷信」に悩まされているのだと、どうして相談できるだろうか。その、迷信そのものに成り果てようとしているというのに。
息を深くつき、起き上がるために手を床につく。
「おい、まだ寝てろよ」
「でも、そろそろ帰らなきゃ」
幸い、痛みも堪えきれるほどになってきた。このタイミングを逃したら、また痛みだすかもしれない。それが、怖い。
だが、理玖は更に「いいから」と引き留めてきた。
「さっき、おまえん家に電話したから。親父さんが迎え来るって」
「そんな。すぐ近くだし、そんな迎えに来てもらうほどじゃ」
むしろ慌てて身体を起こそうとする美邑に、理玖は少し怒ったように「馬鹿」と語気を強くした。
「あんなとこに、一人でぶっ倒れてたヤツ、そのまま帰せるわけねぇだろ。じいちゃんも、迎え呼んでやれって」
「え……」
そのときだった。ぱたぱたと、慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。
モモ、と呼びかける前に、「起きたのか」という声が別の方向から聞こえてきた。
「おまえ、大丈夫かよ」
「りっくん……」
出した声は掠れていたが、なんとか相手に届いたようだ。理玖の顔が、少し緩む。
「なんか騒がしいと思ったら、階段の前で倒れてんだもんな。マジ、一瞬死んでるかと思った」
「りっくんが……運んでくれたの?」
見知らぬ天井。見知らぬ布団に寝かされている自分を自覚し、美邑はゆっくりと訊ねた。
「ん? まぁ……重かったけどな」
そう言って笑う理玖に「どーせ重いですよ」と口を尖らし。だがすぐに、顔から力を抜く。
「でも、ありがと」
「おう」とだけ返事をすると、理玖は頭を掻き、それから少し真面目な表情で美邑を見つめてきた。横になったまま、視線で疑問を投げかける美邑に「あのさ」と口を開く。
「最近、ちょいちょい調子悪そうだし。一度、ちゃんと病院とか、行った方が良いんじゃねぇの?」
おそらく、善意の言葉なのだろう。確かにはたから見れば、急に早退したり、転んで怪我をしたり、気を失って倒れていたりと、心配になる要素は充分だ。
もし――それには理由があると知ったら。もし、美邑が本当に鬼に成ると知ったら、理玖はどんな反応をするだろうか。
(やっぱり……馬鹿にされるのかな)
角を見せてみようかと思ったときも、似たようなことを考えたが。どうしたって、モモのように信じてもらえる気がしない。
昔だったら――一緒に遊んでいた十年前だったなら、そんな心配などいらなかっただろうに。
そうだ。あの日だって、理玖は美邑の手をぎゅっと握りしめていてくれた。
『ぜったい、はなすなよ』
そう言って――。
(あの日……?)
ふと、自分の思考に違和感を覚える。まだ、なにかを忘れているのだろうか。
だが、なにを思い出したところで。今更なにも変わりはしない。
「……あのね。あたし……もしかしたら、その。遠くに、行くことになるかも」
「は?」
急な美邑の言葉に、理玖がきょとんとする。美邑はたたみかけるように続けた。
「それで、最近ちょっと悩んでて。行ったら、帰ってこられるのか、よく分かんないし。それで」
「それ……あの不審者絡みか?」
不意に核心を突かれ、どきりとする。それは、理玖にも伝わったのだろう。はぁ、と一つ溜め息をつく。
「昨日も、帰り際おかしかったし。結局、親や他の大人に相談してねぇのかよ?」
「う、うん……相談しても、なんて言うか……どうしようもないっていうか」
「馬鹿。だからって、そんな倒れるほど一人で悩んでどうすんだよ」
濁そうとする美邑に、理玖はどこまでも正論を投げつけてくる。思わず、モモの手を握る力を強くする。ちらりと見やると、モモは苦笑に似た笑みを浮かべていた。
「ミクちゃんの、思う通りにした方が良いよ」
そう言われると、やはりダメもとでも、打ち明けたくなる。本当のことを。
理玖は、「まったく」という顔をしてこちらを睨むように見ていた。それだけ、心配してくれているのだろう。なら――。
「その。あたし……」
「ほんと、マジ死んでるかと思ったんだからな、こっちは」
美邑の決死の言葉に被さるようにして、理玖が言う。
「ご、ごめんなさい」
「謝んなよ。ほんと、お前はそうやって、すぐ謝ったりへらへらしてその場を誤魔化したりとか、多過ぎなんだよ。周りにいらない気ばっか使うから、アホどもがつけあがるんだ」
「アホ……って?」
思わぬ言葉にきょとんとなると、理玖は「きまってるだろ」と続けた。
「この辺の同級生どもだよ。ちょっと力が強いからって、化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信を、十年近く引きずりやがって」
それは。
美邑にとって、予想外の言葉であった。
「化け物」と罵られ続けてきた美邑からすれば、同級生たちがそう言ってくるのは当たり前のことであったし、理玖もその一人だと、そう思い込んでいた。理玖は罵ってこそこなかったが、長いこと傍観者だったからだ。
美邑の表情に気づいたのだろう、理玖は罰の悪そうな顔をして、少しだけそっぽを向いた。
「だから、おまえが一人でへらへらめそめそしてばかりいたから、そういうとこには俺だってむかついて……まぁ、ガキだったなって、今は思うけどさ」
「……」
そういうものなのだろうか――そういうものなのだろう。
閉鎖的な環境に置かれれば、視界が狭くなるというのは、きっと誰だってそうなのだ。美邑が、化け物と罵られるのをいつしか「仕方がない」と思っていたように。へらへらと笑って、波風立てないようにしていたように。
「……ごめん」
「謝んなよ。つか、俺こそ……悪かったな」
ぼそぼそと、理玖が呟くように言う。それに、美邑は寝たまま思いきり首を振った。頭はまだ少し痛かったが、そんなことが吹き飛ぶくらいに、今は胸がいっぱいだった。
「いや……まぁ、だからさ。あんま一人で抱え込み過ぎんなよ。そんな、倒れるくらいにさ」
「……うん」
理玖の言葉は心強いが、同時にきりりと首を絞められる心地がした。
(化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信――)
「田舎もん丸だしの迷信」に悩まされているのだと、どうして相談できるだろうか。その、迷信そのものに成り果てようとしているというのに。
息を深くつき、起き上がるために手を床につく。
「おい、まだ寝てろよ」
「でも、そろそろ帰らなきゃ」
幸い、痛みも堪えきれるほどになってきた。このタイミングを逃したら、また痛みだすかもしれない。それが、怖い。
だが、理玖は更に「いいから」と引き留めてきた。
「さっき、おまえん家に電話したから。親父さんが迎え来るって」
「そんな。すぐ近くだし、そんな迎えに来てもらうほどじゃ」
むしろ慌てて身体を起こそうとする美邑に、理玖は少し怒ったように「馬鹿」と語気を強くした。
「あんなとこに、一人でぶっ倒れてたヤツ、そのまま帰せるわけねぇだろ。じいちゃんも、迎え呼んでやれって」
「え……」
そのときだった。ぱたぱたと、慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる