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第十二章 隠された物語

12-2 鏡と注連縄

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「内緒の続き……?」


 おうむ返しをする美邑に、理玖は「あぁ」と頷き、ちらりと入口に視線を向けた。


「じいちゃんが言うには……鬼が本当に出たんだとしたら、その話が関係あるんじゃないかって」

「鬼が……本当に、出たなら……」


 美邑の呟きに、理玖は「いや、まぁ」などと、口の中でごにょごにょと繰り返した。眉を軽く寄せ、「俺は、鬼なんて信じてないけど」とわざわざ付け加えてくる。


「まぁただ、あの不審者がもし、その話をなんかで知って、わざわざそういうコスプレしてるんなら、一応おまえも知っといた方が良いんじゃないかなって、思ったからさ」


 隣をちらりと見ると、モモはじっと理玖を見つめていた。美邑の視線に気づくと、やや目の力を和らげる。


「わたしも……聞いた方が、多分、良いんだと思う。ミクちゃんが全部を、ちゃんと知りたいなら」


 そう、小声で言ってくるモモに一つ頷き。美邑は理玖に視線を戻した。


「教えて。その話」


 真剣な美邑の様子が伝わったのか、理玖も真面目な顔になった。茶化すこともなく、再び口を開く。


「――蛇鬼が祭られて、百年近く経った頃のことだ。それまでは収穫や家畜の一部を供物として受け取っていたはずの蛇鬼が、急に生け贄を要求しだしたんだ」

「生け贄って……えっと、なんか聞いたことあるな。なんだっけ」

「――人柱」


 顔をしかめる美邑に、モモがそっと呟く。


「この前、帰りに話したやつでしょ?」


 そうそう、と相づちを打つ間もなく、理玖が「あぁ」とこめかみを掻いた。


「氾濫する川に、人柱を立てて橋を掛けたら、その加護で蛇たちが集まってきて橋の支えを強くしてくれた……みたいな、この辺の民話のことじゃないか? 割りと有名だし。でも、うちに伝わるのは、逆だ」


 思わず首を傾げるが、理玖の説明はすぐに続いた。


「川が氾濫して、一番でかい橋を壊したとき、蛇鬼が言うんだ。『此度の氾濫はワシが起こした。再び橋を掛けたくば、生け贄の娘を差し出せ』ってな。しかも、白羽の矢のおまけつき」

「……蛇鬼の加護で橋が直るどころか、そもそも蛇鬼が橋を壊してたんだ」


 「そういうこと」と、人差し指を上に向けると、理玖は更に続けた。


「矢が立てられたのは、トモエっていう娘のいる家だった。トモエは嫁ぎ先も決まっていたけれど、村のために泣く泣く生け贄となったらしい。そのおかげで、一角にはまた平和が訪れた。
 だけど――その数年後。また、突然に白羽の矢が立てられた。しかも、今度は一角の住人の家、全てに」


 生け贄を指名する、神からの印。それが、節操なく全戸に立てられたとしたら。


「蛇鬼は最早、守り神ではなくなったと、人々は恐れた」


 そう、案の定の言葉を、理玖が続ける。


「その頃、蛇鬼と地域の人々の間を取り持っていたのが、ここの始祖の男だった」

「てことは、りっくんの家のご先祖さま」


 美邑の言葉に「そ」と軽く理玖が頷く。


「やばい、って思ったそいつは、蛇鬼やその手下たちが、もう余計なことをしないよう封印することにした。あの――鏡に」


 顎で示された先には、例の御神鏡が納められた箱があった。先日、鏡が見えていたことを思い出し、胸がどきりとする。


「ただ、鏡に閉じ込めるだけじゃ足りなかった。それくらい、蛇鬼たちの力は強くて。更に封印を強化するために、注連縄を使うことにしたんだ」


 そう言って、今度は注連縄が掛かっているはずの、入口を示してくる。今は、白い布が掛かっているばかりではあるが。
 理玖は顔をしかめると、美邑も思ったように「今はないけど」とつけ加えた。


「ここの注連縄は、普通の神社とは反対向きでさ。出雲大社とかと、同じなんだよな。つまり――神様を祭るためじゃなくて、封じ込めるための注連縄なんだ」

「封じ込めるための……注連縄」


(……神様をお迎えするのの――逆、ってこと? それって――結局、どういうこと?)

(さぁ?)


 ちらりと、もう一度モモを見る。モモは気づかず、ただじっと、理玖を見つめている。

 神を封じる注連縄。
 それが、今。切れている――。


「だから」


 理玖の声に、はっとする。理玖もまた、難しい顔でこちらを見ていた。


「じいちゃんが言うには、もし言い伝えが本当だったら、注連縄が切れた今、蛇鬼の手下がうろついててもおかしくないってさ」


 「まぁ、確かにタイミングは合ってるけど」と、理玖がちらりと笑ってみせる。美邑も口の端で笑い返しながら、(確かに)と心の中で頷いた。


(確かに、タイミングが合ってるんだよね……)


 美邑がここの階段で朱金丸を見かけたのは、注連縄が切れたその日だった。彼が屋上に現れたのも、昊千代が接触してきたのも、注連縄が切れてからのことだ。

 やはり、朱金丸たちは本当に鬼なのだろうか? それとも、ただの偶然なのか?


「強いて言うならさ、あの不審者たちが本当にこの話を知ってたとしたら、あいつらがわざと注連縄を切った可能性もあるんだよな。イタズラ、っつーかさ」


 確かに、彼らが人間だとしたら、その可能性も大いにある。ただ、そこまでする理由が分からないが。


「実は、おまえだけじゃなくて、この地域に住んでる女たちに、似たような感じで声かけて回ってるんかもしれないぞ。信心深いっつーか、迷信とか信じちゃうやつ、この辺多いし」


 「生け贄の話になぞらえてさ」と、理玖が言う。

 「迎えに来た」と、朱金丸は言っていた。昊千代は「家族だから」とも。鬼に成る前に云々というのは、その出来事自体が夢だったかもしれないので放っておくとしても――「家族だから迎えに来た」というのは、贄として迎えに来たのとは、ニュアンスが違うような気がする。


「その話って、内緒の話……なんだよね? だとしたらあの人たちは、なんで知ってるんだろ……」

「そりゃ……」


 美邑の呟きに、理玖が口を開きかけ――だが、すぐに眉間に皺を寄せ、口を尖らせた。


「分かんねぇけど……所詮、内緒にしてるのは身内だけだし。厳密に管理してるわけじゃねぇし」

「だけど。急にそんな話を知ってる人が現れて……コスプレして、神社の太い注連縄切って、大道芸みたいなことしてまでヒトを脅かしたりとか……なんかやっぱり、しっくりこないっていうか」

「それは、まぁ」


 美邑が言うと、理玖は半ば頷きかけたが、しかしすぐに「でも」と皺を深くする。


「だったら、なんなんだよ。あいつら。本当の鬼ってわけじゃ、あるまいし」


 その声と、表情に、美邑はぎゅっと手のひらを握りしめた。

 本当に鬼だというのは、やはりあり得ない? 美邑を苦しめる事柄が事実であるのを否定したくて――だからこそ真実が知りたくてここに来たが、朱金丸たちがただのコスプレ愉快犯だと考える方が白々しくて、心から納得などできそうにない。

 むしろ、神主が――どこまで本気なのかはともかく――言う通り、蛇鬼の手下である鬼の一部が、封印から逃げ出したのだと考える方が、感覚としては余程、説得力があるのだが。
 それは美邑が既に、彼らに毒されているからなのか。理玖のように考えるのが正常で、美邑がおかしいのだろうか。

 モモは、どう思っただろうか。ちらりと見遣ると、にこりとだけ微笑み、すぐに目をそらされてしまった。


(訊くな……って、ことなのかな)


 確かにここに来る前、自分自身が納得するように、ということを選んだ。それなのに、わざわざモモにお伺いを立てては、本末転倒だ。


「あたしは……」


 小さく呟くと、理玖が訝しげにこちらを見た。
 なにを言おうとしているのか、自分でもよく分からない。だが分からないなりに、ここまで来たからには、なにかを決めないといけないのだろう。それが、けじめというものだ。

 だが。


(けじめをつけられるほどの覚悟が、あたしにあるの……?)


 ふと浮かぶ、疑問。
 その答えは分かりきっているのだ。だからこそ、口がこれ以上動かない。動こうとしない。


(あたしは……)


 がたん。

 唐突な音に、その場にいた三人が、一斉にそちらを見た。拝殿正面に祭られた御神鏡の納められた箱――そのふたが、ズレて床に落ちている。


「あれ。ちゃんと閉まってなかったんかなぁ」


 ぼやきながら、理玖が立ち上がった。面倒そうに歩くその後ろ姿を見送ろうとし、そのまま鏡と目が合う。


「え……」


 鏡に反射した、三人のうちの誰かの目――ではない。確実に、視線を感じた。


「ん?」


 鏡の前で立ち止まった理玖が、美邑を振りかえって首を傾げた。


「どうかしたか?」

「う、ううん。なんでも……」


 首を振りながらも、美邑は一つの確信があった。


(この感じ……あたし、知ってる)


 それも、かなり昔から。
 胸が、ドキリドキリと大きく跳ねて止まらない。


「あたし……あたし、帰る」


 ぼそりとだけ呟き、美邑は立ち上がると、よろけながら拝殿を出た。


「おいっ、川渡!?」


 背中から、理玖の声が追いかけてくる。モモの声が聞こえてこなかったことに気づいたのは、神社の境内を出てしばらくしてからだった。


「……っ」


 頭が痛い。内側から割れてしまいそうなほどに、激しく打ちつけられているかのように。


 忘れてしまったことがある。
 思い出せないことがある。


 それでも、御神鏡と目が合ったときに感じた、あの感覚は知っている。

 あれは、きっと。そう。

 美邑が「化け物」と呼ばれるようになった、あの夏。
 神社で遊んでいたはずが、気がつけば大人たちに囲まれ、母親が泣いていたあの日――知ったはずのものだった。
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