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第十章 不安の決意
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「仕方ないよ」と呟いたのは、モモだった。
美邑の部屋に、モモが遊びに来るのは久しぶりだ。ベッドに腰かけながら、すっかりくつろいだ様子でいる。
モモには、昨日あったことをすっかり話した。昊千代のこと、右目のこと、襲ってきたナラズのこと、朱金丸の言葉、そして――右目が再び元に戻ったこと。
モモに話すことに、不安はなかった。両親よりも、こういうときに美邑の気持ちを理解してくれるのは、モモだという確信があった。
案の定、モモは美邑の話を止めることも、笑い飛ばすこともなく、最後まで相槌を打ちながら聞いてくれた。
「お母さんとお父さんは、ミクちゃんのことが心配なんだし。だって二人から見たら、ミクちゃん高校入ったのに新しい友達も作んないで、わたしとばっか遊んでるし。大したこともないのに午前中で早退して、元気ない様子なんだもん。そりゃ、心配しない方がおかしいでしょ?」
「それは……そうかも、だけど」
犬の顔が大きく印刷されたクッションを抱き締めながら、美邑はむぅと口をへの字に曲げた。
「だからって、病院……とか。大袈裟過ぎ」
「ミクちゃん、病院キライだもんね」
クスクスと、楽しそうにモモが笑う。
「眼科とか歯医者さんとかなら、別に。でも、病院ってなんか暗いって言うか、イメージ良くないし」
ぶつぶつと言い訳じみたことを言うも、モモに「はい、はい」とそれを流される。頬を膨らませた美邑は、手前のテーブルに置いてある饅頭をばくりと頬張った。
「……良いんじゃない? 夢ってことで」
「え?」
急に話が戻され、美邑は急いで麦茶を煽った。大きな餡のかたまりが、喉を流れていく。
モモはけろりとした顔で、美邑を見ていた。
「だからさ。全部、夢だったで良いんじゃない? 右目だって、今は見る限り普通だし」
「そうだけど……」
モモにそう言われると、確かにそうなのかもしれない、という気になってくる。昨日までは、全てが夢だったかもしれないと思うのすら、現実と夢の境界がなくなるようで怖かったのに。
「結局それで、ミクちゃんの気持ちが楽になるなら、良いじゃない。怖いでしょ? 鬼に成るかも、だなんて。そんなの」
「う、うん……」
怖い――その通りだ。
自分が人間でなくなるのも、家族が家族でなくなってしまうのも、モモと一緒にいられなくなってしまうのも。
夢だったならば。ここ数日のできごとが全て、なかったことになるのなら。そうすれば、昨日無くしてしまったと思った美邑の日常が、返ってくる。
「でも……モモも、見たよね? その、朱金丸……」
「見たけど。はじめに言ってたみたいに、ただの不審者かも。屋上から飛び降りたフリして、実はなんか仕掛けがあったりして」
なんということにいように言うモモの言葉は、無茶苦茶なようだが、そもそも朱金丸が鬼だということの方が、ずっと荒唐無稽なのかもしれないと、美邑に思わせてくれる。
「ミクちゃんが鬼だなんだって言うのも、結局その朱金丸とか昊千代っていう、グルになってる二人でしょ? だったら、信じる必要ないじゃん。ただ二人の不審者に影響されて、変な夢見ちゃっただけかも」
「そう……かな」
聞きながら、ぼんやりと頷きかける。もしそうだとしたら。もし、モモの言う通りだとしたら。
「――でも、駄目なんだ」
「ダメ?」
美邑の言葉を、モモがおうむ返しに訊き返してくる。それに、こくりと首を縦に振る。
「モモがね。心配して、そう言ってくれるよは嬉しいけど。実際モモの言う通り、あたしすごく怖いし。全部、夢ってことにして忘れちゃえば……きっと、楽になれる」
「でもそれじゃ駄目なんだ」と、美邑は繰り返した。
「夢なら夢で、ちゃんと確信したいし。万が一……本当のできごとだとしたら。どうするのが一番良いのか考えないと……いけないんだと、たぶん、思う」
恐ろしいのは。
もし、夢だと信じきって――いつか忘れた頃に、人でなくなってしまうこと。鬼どころか、ナラズのようなモノになってしまうこと。
そんな不安を抱えながら、今後を生きていかなければいけないということ。
それではいつまで経っても、日常は帰ってこない。
「これ以上、怖いことなんて、嫌だから。だからこそ、目や耳を塞いで知らないふりしてるのは、駄目なんだと思う」
「……そっか」
モモが溜め息まじりに頷いた。
「ミクちゃんがそう言うなら、わたしも手伝わなきゃね」
「モモ……」
やはり、モモは優しい。美邑の決意は、所詮「これ以上、怖いのは嫌だ」マイナスからのものでしかない。それを馬鹿にしたり否定したりせず、正面から受け止めてくれる。
「だから、モモのこと大好き」
「わたしもミクちゃんのことが一番だから、お互いさまね」
くすりとモモが笑い、かと思えばすくりと立ち上がった。
「それじゃ、行こうか」
「行くって……どこに?」
きょとんとする美邑に、モモはほんの少し眉を寄せながら、しかしきっぱりと言った。
「こういうのは、最初におかしなことがあったとこに行くのがセオリーってものでしょ」
言われて思い出すのは、朱金丸が「迎えに来た」と現れた屋上だ。あのとき、美邑の日常が突然、壊された思いがしたものだ。
「でも、今日は学校休みだし」
「校舎に入れないよ」と言う美邑に、「違う、違う」とモモが首を振った。
「ミクちゃんの話だと、もっと前にあったでしょ。えっと……朱金丸? に、初めて会った場所」
首を傾げながら、美邑は考え込んだ。朱金丸と初めて会話をしたのは、確かにがっちりの屋上だったはずだが――
はっとした顔になる美邑に、モモがにやりと笑った。
「行くよ。鏡戸神社に」
美邑の部屋に、モモが遊びに来るのは久しぶりだ。ベッドに腰かけながら、すっかりくつろいだ様子でいる。
モモには、昨日あったことをすっかり話した。昊千代のこと、右目のこと、襲ってきたナラズのこと、朱金丸の言葉、そして――右目が再び元に戻ったこと。
モモに話すことに、不安はなかった。両親よりも、こういうときに美邑の気持ちを理解してくれるのは、モモだという確信があった。
案の定、モモは美邑の話を止めることも、笑い飛ばすこともなく、最後まで相槌を打ちながら聞いてくれた。
「お母さんとお父さんは、ミクちゃんのことが心配なんだし。だって二人から見たら、ミクちゃん高校入ったのに新しい友達も作んないで、わたしとばっか遊んでるし。大したこともないのに午前中で早退して、元気ない様子なんだもん。そりゃ、心配しない方がおかしいでしょ?」
「それは……そうかも、だけど」
犬の顔が大きく印刷されたクッションを抱き締めながら、美邑はむぅと口をへの字に曲げた。
「だからって、病院……とか。大袈裟過ぎ」
「ミクちゃん、病院キライだもんね」
クスクスと、楽しそうにモモが笑う。
「眼科とか歯医者さんとかなら、別に。でも、病院ってなんか暗いって言うか、イメージ良くないし」
ぶつぶつと言い訳じみたことを言うも、モモに「はい、はい」とそれを流される。頬を膨らませた美邑は、手前のテーブルに置いてある饅頭をばくりと頬張った。
「……良いんじゃない? 夢ってことで」
「え?」
急に話が戻され、美邑は急いで麦茶を煽った。大きな餡のかたまりが、喉を流れていく。
モモはけろりとした顔で、美邑を見ていた。
「だからさ。全部、夢だったで良いんじゃない? 右目だって、今は見る限り普通だし」
「そうだけど……」
モモにそう言われると、確かにそうなのかもしれない、という気になってくる。昨日までは、全てが夢だったかもしれないと思うのすら、現実と夢の境界がなくなるようで怖かったのに。
「結局それで、ミクちゃんの気持ちが楽になるなら、良いじゃない。怖いでしょ? 鬼に成るかも、だなんて。そんなの」
「う、うん……」
怖い――その通りだ。
自分が人間でなくなるのも、家族が家族でなくなってしまうのも、モモと一緒にいられなくなってしまうのも。
夢だったならば。ここ数日のできごとが全て、なかったことになるのなら。そうすれば、昨日無くしてしまったと思った美邑の日常が、返ってくる。
「でも……モモも、見たよね? その、朱金丸……」
「見たけど。はじめに言ってたみたいに、ただの不審者かも。屋上から飛び降りたフリして、実はなんか仕掛けがあったりして」
なんということにいように言うモモの言葉は、無茶苦茶なようだが、そもそも朱金丸が鬼だということの方が、ずっと荒唐無稽なのかもしれないと、美邑に思わせてくれる。
「ミクちゃんが鬼だなんだって言うのも、結局その朱金丸とか昊千代っていう、グルになってる二人でしょ? だったら、信じる必要ないじゃん。ただ二人の不審者に影響されて、変な夢見ちゃっただけかも」
「そう……かな」
聞きながら、ぼんやりと頷きかける。もしそうだとしたら。もし、モモの言う通りだとしたら。
「――でも、駄目なんだ」
「ダメ?」
美邑の言葉を、モモがおうむ返しに訊き返してくる。それに、こくりと首を縦に振る。
「モモがね。心配して、そう言ってくれるよは嬉しいけど。実際モモの言う通り、あたしすごく怖いし。全部、夢ってことにして忘れちゃえば……きっと、楽になれる」
「でもそれじゃ駄目なんだ」と、美邑は繰り返した。
「夢なら夢で、ちゃんと確信したいし。万が一……本当のできごとだとしたら。どうするのが一番良いのか考えないと……いけないんだと、たぶん、思う」
恐ろしいのは。
もし、夢だと信じきって――いつか忘れた頃に、人でなくなってしまうこと。鬼どころか、ナラズのようなモノになってしまうこと。
そんな不安を抱えながら、今後を生きていかなければいけないということ。
それではいつまで経っても、日常は帰ってこない。
「これ以上、怖いことなんて、嫌だから。だからこそ、目や耳を塞いで知らないふりしてるのは、駄目なんだと思う」
「……そっか」
モモが溜め息まじりに頷いた。
「ミクちゃんがそう言うなら、わたしも手伝わなきゃね」
「モモ……」
やはり、モモは優しい。美邑の決意は、所詮「これ以上、怖いのは嫌だ」マイナスからのものでしかない。それを馬鹿にしたり否定したりせず、正面から受け止めてくれる。
「だから、モモのこと大好き」
「わたしもミクちゃんのことが一番だから、お互いさまね」
くすりとモモが笑い、かと思えばすくりと立ち上がった。
「それじゃ、行こうか」
「行くって……どこに?」
きょとんとする美邑に、モモはほんの少し眉を寄せながら、しかしきっぱりと言った。
「こういうのは、最初におかしなことがあったとこに行くのがセオリーってものでしょ」
言われて思い出すのは、朱金丸が「迎えに来た」と現れた屋上だ。あのとき、美邑の日常が突然、壊された思いがしたものだ。
「でも、今日は学校休みだし」
「校舎に入れないよ」と言う美邑に、「違う、違う」とモモが首を振った。
「ミクちゃんの話だと、もっと前にあったでしょ。えっと……朱金丸? に、初めて会った場所」
首を傾げながら、美邑は考え込んだ。朱金丸と初めて会話をしたのは、確かにがっちりの屋上だったはずだが――
はっとした顔になる美邑に、モモがにやりと笑った。
「行くよ。鏡戸神社に」
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