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第八章 鬼の面

8-2 変異

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「あたしが……人間じゃ、ない?」


 告げられた言葉の意味を確かめるように、美邑はたどたどしくおうむ返しをした。


(わたしが、人間じゃない? わたしが?)


 なんだか可笑しくなってしまい、ふふっと笑う。一体、何を言っているのか。全くもって意味不明だ。

 「なんだ、自覚なしなのか」と、朱金丸がぼそりと呟く。


「信じられないのは、物の怪の存在自体か? それとも、自分がその仲間だといことか?」

「そんなの」


 両方に決まってる。

 そう、言おうとしたときだった。

 ――朱金丸が、面を外した。

 想像していたよりも白い肌に、涼しげな紅い両目が、輝いている。それは、今朝の記憶にある昊千代のものよりも更に濃く、深い色味をしていた。紅を差したような色をした口は小さく、きゅっと結ばれている。

 なによりも印象的なのは、額に一つ突き出た角。それから、目から顎にかけて彫られた刺青だ。蔦が絡み合うような図柄が、緻密に描かれている。


「……きれい」


 思わず、ぽつりと言葉が漏れた。
 ぴくりと、朱金丸の細い眉が跳ねる――が、すぐに無表情に戻ると、朱金丸は口を開いた。


「俺の姿を、紛い物だと思うか?」

「え……?」


 ぱちくりと瞬きをする美邑に、朱金丸は淡々と続ける。


「この角も、目も。作り物だと思うかと訊いている」


 問われて、まじまじとその顔を見つめる。先に素顔を見た昊千代にも、角はあったし目も朱金丸と同じ色であったが、作り物かどうかしっかりと見るような余裕はなかった。

 だが、改めて見たところで、やはりよく分からない。

 作り物にしては精巧過ぎると同時に、その角も目も更には刺青も、本物にしては美しすぎた。


 答え惑う美邑に、朱金丸はやれやれとばかりに首を振る。


「なら、ここまで貴様を抱えて跳んだのは、どう解釈する? 貴様を追いかけてきたナラズ――あの化け物は? あれも、作り物か?」


 問われ、思い出して背中に寒気が走る。ナラズ。あの、奇怪さは。作り物なんかではない。同時に、生き物ですらない。存在そのものの歪さ――それが、その形に表れているようだった。

 作り物でも、生き物でもないアレを、物の怪と呼ぶのなら。確かに物の怪というものは存在するのかもしれない。
 そして、朱金丸らがその枠組みに括られる存在だというのなら――それはそれで、受け入れるべきなのだろう。それ以外に、見た目はともかくあの跳躍力を解釈しようがない。


「でも……だからって。あたしが、人間じゃない、とか。そんな」


 半笑いを浮かべながら、美邑は一歩後ずさった。


「確かに、ちょっとヒトより力ありますけど。それで……同級生からも、化け物って言われたり、とか。でも、それは」


 美邑にとっては、ほんの少し、思いきった言葉だった。人間でないなどと因縁をつけられるとしたら、原因はそれしか思いつかなかった。
 ――が。


「力が強いだの、そんな程度ではどうということはない」


 美邑が長年悩んできたことを、朱金丸はあっさりと切って棄てた。さすがに、美邑も「はぁ?」と声を上げてしまう。
 他人ひとのコンプレックスを、なんだと思っているのか。


(いや、別に化け物だって肯定してほしいわけじゃないんだけど)


 複雑な心持ちで、せめて二、三なにか言ってやろうと、とにかく口を開きかけたときだ。


「だから俺たちも、今まで放っていた」

「え?」


 出鼻を挫かれ、頓狂な声が上がる。朱金丸は気にもとめず、美邑の顔を指差した。


「問題は、その目だ」

「目……?」


 繰り返してから、はっとする。ずきりと痛んだ右目――赤く変色した目を、思い出す。思わず、意味もないのに手で隠してしまう。


「気づいているだろうが。その目は、俺たちと同じモノだ」

「あなたたち、と?」


 言われて、見返す。鮮やかな、紅い瞳――確かに、ガラスに映ったのを見て自分もそう思ったことを、美邑は口の中が苦くなるような思いで認める。


「でも……これは、急にで。それで、今から眼科に行くところなんです」

「変異が始まったんだろう」


 聞き分けの悪い子どもにでも諭すように、朱金丸はゆっくりと言った。


「変異、って」

「昊千代に、会ったんだろう? 奴は貴様に触れなかったか?」


 そう問われれば、確かに今朝、手を握られた。そのまま、頬に触れさせられもした。思い起こせば、よくもまあ自分もされるがままだったものだと、呆れてしまう。

 朱金丸は、美邑の顔から読み取ったのだろう。「それが切っ掛けだ」と頷いた。


「貴様はすでに、緩やかに変異へと向かっていた。それが、昊千代に触れたことで奴の妖気に触発され、一気に加速したのだろう」

「いや、だから。変異って。意味、分からないんですけど」


 朱金丸の眉が、またぴくりと歪む。


「変異とは、つまり――おまえの性質が、ヒトから物の怪へと、変化していっているということだ」

「……は……」


 最早、言葉が出なかった。朱金丸も、一旦言葉を切り、じっと美邑を見つめてくる。その目を――自分の右目と同じ、紅い目を見返しながら。美邑はぎゅっと、右目を覆う手に力を込めた。


「なんで、そんな。なんで」


 自分は人間なのに。どうして、そんなモノにならなければならないのか。――半笑いを浮かべつつ戸惑う美邑に、朱金丸は辛抱強く続ける。


「さっきも言ったが、物の怪は自然物や人間などが変じたモノだ。変じ損ねると――あの哀れなナラズに成り下がる」


 溜息混じりに、朱金丸が言う。


「あんなモノは、いたる所に在る。だが、まぁ、貴様も。下手を打てば、ナラズに変化しないとも言い切れない」

「あんな……のに?」

 信じられない。信じたくない。そんな荒唐無稽な話。笑いとばしてしまえば良い――なのに、何故か身体はぞわりと警告を発してくる。


「だからこそ、俺が貴様を迎えに来た」


 その言葉に、美邑ははっと朱金丸を見た。朱金丸の顔は、相も変わらず仏頂面ではあったが。


「迎えって……この前、言ってた」

「そうだ。本来なら、本格的に変異が始まる前に、保護すべきだったのだが」


 「保護」と、口の中だけで言葉を転がす。この不審者は、美邑を「保護」するつもりらしい。


「待ってください……。そんなこと、急に言われても」

「変異は待たない。このままだと貴様、変異が進んで、下手をすればナラズになるぞ」 


 あの、ぶよぶよとした醜悪な怪物を想像し、背中が冷える。あんなものに、自分が。


「……あなたと行けば、その変異ってやつは、止められるんですか?」

「それは無理だ」


 きっぱりと、朱金丸が小さく首を振る。


「川の流れを遡らせられないように。変異を止めることは、摂理に反する。おそらくだが、今こうして俺とかかわっていることでも、変異はますます速まるだろう」


 冷たく告げる朱金丸に、美邑は自分でも驚くほど、カッと頭に血が昇った。


「だったら、なんであなたと行かなきゃいけないの。だいたい、結局あなたたちのせいってことじゃない。あなたや昊千代とかいうヒトが来たから、あたしの目が赤くなったりしちゃったってことでしょ!?」

「俺たちが来なくても、変異はすでに始まっていた。あとは、単なる時間の問題だ」


 朱金丸の目は、あくまで静かだ。同情も、焦りも、なに一つ見えない。当然だ。彼にとっては、ただ事実を述べているだけなのだろうから。そのままの調子で、朱金丸は「それに」とつけ加えた。


「物の怪に成れば、人間の側になど、居場所がなくなる」


 ごくりと、自分の喉が鳴るのを、美邑は聞いた気がした。


「居場所、が」

「人間は人間と。物の怪は物の怪と在るのが、今となっては定めだ」


 それを聞いて。思い出したのは、小学生の頃のできごとだ。

 からかってきたクラスメイトを突き飛ばして、大きな怪我させた。そんな美邑を、「化け物」と呼んで悲鳴を上げる他のクラスメイトたち。無邪気に騒ぎ立てる彼らに、怒りがふつふつとわいてきて。気がつけば、教室中の窓ガラスが割れていた。

 真っ赤に染まった、自分の腕。悲鳴すら止めて、恐怖に引きつったクラスメイトたちの顔。


「……居場所、なんて」


 そんなもの。

 頭を振り、美邑はじとりと、朱金丸を見遣った。


「俺は、いわゆる鬼だ。もちろん、昊千代も」

「おに……」


 繰り返しながら、「なにをバカな」と思う自分と、「まぁそうだよな」と頷く自分とがいた。本数は違えど、面に生えた角と同じものを、朱金丸も昊千代も持っていた。


「そして」


 と。朱金丸が仮面を美邑に差し出してくる。反射的に受けとる美邑に、朱金丸は変わらず平坦な口調で告げた。


「貴様も、いずれ鬼に成る」
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