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第五章 「家族」
5-3 昊千代
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朝の白い光を浴びながら、自転車を漕ぐのは心地好い。起伏の多い道はなかなかに一苦労だが、その分、下りは勢いよく滑るように降りていく。
(勢いつけすぎて、昨日みたいに段差で跳ねないようにしなきゃね)
そう意識して少し、ブレーキに指をかけたときだった。
人影が、ひょいと道に飛び出してきた。
「っ!?」
いきなり道を塞がれる形になり、美邑は慌ててブレーキを思いきりかけた。キキキッと不快な高い音を鳴らし、自転車が停まる。
「――ごめん。びっくりした?」
声をかけられ、ドキドキとうるさい胸を押さえながら、ちらりとそちらを見遣る。
驚いたのは、急に道を塞がれたからだけではなかった。飛び出してきたのは、着物姿の男だったのだ。しかも、場所が鏡戸神社の真ん前。
例の不審者がまた現れたのかと、確かにそう思った。
その男は、白色の髪を後頭部で一つに束ね、紅い瞳をにこりと人懐っこげに弛めてみせた。確かに、髪と目の色は例の不審者と同じだが、しかし着物の色は鮮やかな青だ。
「あなた……は」
「僕は昊千代。はじめまして、美邑」
名前を呼ばれた。それだけのことなのに、なんだか妙な心地がした。少し、泣いてしまいそうな気分だ。
取り敢えず、「はじめまして」ということは、この昊千代とかいう男は例の不審者ではないのだろう。不審者は面を被っていたため顔こそ見えなかったが、そもそもまとう雰囲気もだいぶ違う。
だからと言って――教えてもいない名前を呼んできた、この初対面の男を、安心して良いわけもないだろうが。
「えっと……あの、あたし」
「あ。そう言えばこの前、朱金丸が迎えに行ったけど、怖がられちゃったんだって? 大丈夫、僕の方が彼より全然怖くないでしょ?」
にこにこと、昊千代がぺらぺら喋りかけてくる。朱金丸というのは、話からするとおそらく、あの鬼面の不審者のことだろうか。似たような姿なだけあって、関係者ではあるようだ。
(得体が知れないのは、どっちもどっちだけど)
心の中で呟きながら。確かにどこか、恐ろしいと思いきれないなにかが、昊千代にはあった。
もっとも、昊千代にあるのは、そんな曖昧ななにかだけではなかった。じろじろと見るつもりはなかったが、それでも見過ごせないものが、左右のこめかみの上に一本ずつ生えている。――角だ。
(なんなんだろ……着物といい、髪とか目の色とかも……コスプレかな? 名前だって、変わってるし……コスプレのための芸名的な?)
こんな田舎で、こんな往来で。ハロウィンだって、まだまだ先なのに――そんなことを頭の中で、早口に思いながら。だがどこかで「そうではない」と感じる自分がいた。頭のてっぺんより後ろがぞわぞわと、なにか違和感を訴える。
コスプレなんかじゃない。
――人間なんかじゃない。
「美邑」
名前を呼びながら、昊千代がスタスタと近づいてくる。
逃げないと。心臓が、先程とは違う理由で早鐘を打つ。
せめて、なにか言わないと。なのに、足も口も、目すらも動かず、ただ昊千代に釘付けになっている。
「美邑」
また、名前を呼ばれる。その響きは、ひどく優しい。近くに立つと、昊千代は低い下駄をはいていても、朱金丸よりずっと背が高いのが分かった。
自転車のハンドルを持つ手に、そっと白い手が重ねられる。ひんやりした手のひらは、思いのほか固い。
美邑を見つめる紅い目は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。素直に、綺麗だと思う。白い髪も反射して、銀色に光っている。
「迎えに来たんだ」
朱金丸と同じことを、優しい笑顔で言う。
「僕と一緒に行こう?」
思わず「うん」と言ってしまいそうな気安さで、昊千代が言う。美邑は固まった口をようやく動かして、「でも」とつっかえながらも呟いた。
「あたし、これから学校行かないと。電車も、来ちゃうし」
半分くらい動いていない頭で、それでもなんとか言葉を紡ぐ。
「電車、本数少ないから。乗り過ごしたら、一時間近く待たないといけなくて。そしたら、遅刻だし」
いや、そもそもなんで一緒に行く必要があるんだと、自分自身にようやく突っ込みを入れられるようになったところで、昊千代がくすくすと笑った。
「美邑は真面目なんだね」
手の上に置かれた手のひらが、わずかに力を加えてくる。
「学校なんて、行かなくて良いんだよ。美邑の居場所は、そこじゃない」
「あたしの……居場所?」
ふっ、と。それまでとは違う笑みを、昊千代が見せる。楽しそうなのとも、優しそうなのとも違う。それがなんなのか思いつく前に、昊千代の両手が美邑の右手を包み込んだ。それを、自分の頬にそっとあてる。
「一緒に行こう、美邑。そのために、僕は来たんだ」
初対面の相手に、手を掴まれ、あまつさえ顔を触らせられているというのに。何故だか、嫌悪感はなかった。ただ、いよいよ泣き出してしまいそうな気持ちは高まっている。
「……あの。あたしを、迎えにって……どういうこと、ですか?」
問うべきことはたくさんあったが、なによりもそれが気になった。初対面とは言え、名前を呼ばれているのだから、別人との間違いというわけでもないのだろう。だとしたら、何故。
昊千代が、ふっと笑う。
「だって」
愛しそうに、美邑の手を撫でながら。
「僕らは、家族だもの」
(勢いつけすぎて、昨日みたいに段差で跳ねないようにしなきゃね)
そう意識して少し、ブレーキに指をかけたときだった。
人影が、ひょいと道に飛び出してきた。
「っ!?」
いきなり道を塞がれる形になり、美邑は慌ててブレーキを思いきりかけた。キキキッと不快な高い音を鳴らし、自転車が停まる。
「――ごめん。びっくりした?」
声をかけられ、ドキドキとうるさい胸を押さえながら、ちらりとそちらを見遣る。
驚いたのは、急に道を塞がれたからだけではなかった。飛び出してきたのは、着物姿の男だったのだ。しかも、場所が鏡戸神社の真ん前。
例の不審者がまた現れたのかと、確かにそう思った。
その男は、白色の髪を後頭部で一つに束ね、紅い瞳をにこりと人懐っこげに弛めてみせた。確かに、髪と目の色は例の不審者と同じだが、しかし着物の色は鮮やかな青だ。
「あなた……は」
「僕は昊千代。はじめまして、美邑」
名前を呼ばれた。それだけのことなのに、なんだか妙な心地がした。少し、泣いてしまいそうな気分だ。
取り敢えず、「はじめまして」ということは、この昊千代とかいう男は例の不審者ではないのだろう。不審者は面を被っていたため顔こそ見えなかったが、そもそもまとう雰囲気もだいぶ違う。
だからと言って――教えてもいない名前を呼んできた、この初対面の男を、安心して良いわけもないだろうが。
「えっと……あの、あたし」
「あ。そう言えばこの前、朱金丸が迎えに行ったけど、怖がられちゃったんだって? 大丈夫、僕の方が彼より全然怖くないでしょ?」
にこにこと、昊千代がぺらぺら喋りかけてくる。朱金丸というのは、話からするとおそらく、あの鬼面の不審者のことだろうか。似たような姿なだけあって、関係者ではあるようだ。
(得体が知れないのは、どっちもどっちだけど)
心の中で呟きながら。確かにどこか、恐ろしいと思いきれないなにかが、昊千代にはあった。
もっとも、昊千代にあるのは、そんな曖昧ななにかだけではなかった。じろじろと見るつもりはなかったが、それでも見過ごせないものが、左右のこめかみの上に一本ずつ生えている。――角だ。
(なんなんだろ……着物といい、髪とか目の色とかも……コスプレかな? 名前だって、変わってるし……コスプレのための芸名的な?)
こんな田舎で、こんな往来で。ハロウィンだって、まだまだ先なのに――そんなことを頭の中で、早口に思いながら。だがどこかで「そうではない」と感じる自分がいた。頭のてっぺんより後ろがぞわぞわと、なにか違和感を訴える。
コスプレなんかじゃない。
――人間なんかじゃない。
「美邑」
名前を呼びながら、昊千代がスタスタと近づいてくる。
逃げないと。心臓が、先程とは違う理由で早鐘を打つ。
せめて、なにか言わないと。なのに、足も口も、目すらも動かず、ただ昊千代に釘付けになっている。
「美邑」
また、名前を呼ばれる。その響きは、ひどく優しい。近くに立つと、昊千代は低い下駄をはいていても、朱金丸よりずっと背が高いのが分かった。
自転車のハンドルを持つ手に、そっと白い手が重ねられる。ひんやりした手のひらは、思いのほか固い。
美邑を見つめる紅い目は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。素直に、綺麗だと思う。白い髪も反射して、銀色に光っている。
「迎えに来たんだ」
朱金丸と同じことを、優しい笑顔で言う。
「僕と一緒に行こう?」
思わず「うん」と言ってしまいそうな気安さで、昊千代が言う。美邑は固まった口をようやく動かして、「でも」とつっかえながらも呟いた。
「あたし、これから学校行かないと。電車も、来ちゃうし」
半分くらい動いていない頭で、それでもなんとか言葉を紡ぐ。
「電車、本数少ないから。乗り過ごしたら、一時間近く待たないといけなくて。そしたら、遅刻だし」
いや、そもそもなんで一緒に行く必要があるんだと、自分自身にようやく突っ込みを入れられるようになったところで、昊千代がくすくすと笑った。
「美邑は真面目なんだね」
手の上に置かれた手のひらが、わずかに力を加えてくる。
「学校なんて、行かなくて良いんだよ。美邑の居場所は、そこじゃない」
「あたしの……居場所?」
ふっ、と。それまでとは違う笑みを、昊千代が見せる。楽しそうなのとも、優しそうなのとも違う。それがなんなのか思いつく前に、昊千代の両手が美邑の右手を包み込んだ。それを、自分の頬にそっとあてる。
「一緒に行こう、美邑。そのために、僕は来たんだ」
初対面の相手に、手を掴まれ、あまつさえ顔を触らせられているというのに。何故だか、嫌悪感はなかった。ただ、いよいよ泣き出してしまいそうな気持ちは高まっている。
「……あの。あたしを、迎えにって……どういうこと、ですか?」
問うべきことはたくさんあったが、なによりもそれが気になった。初対面とは言え、名前を呼ばれているのだから、別人との間違いというわけでもないのだろう。だとしたら、何故。
昊千代が、ふっと笑う。
「だって」
愛しそうに、美邑の手を撫でながら。
「僕らは、家族だもの」
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