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第二章 迎え
2-2 助け
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「ミクちゃんっ!」
声と共に後ろから抱き締められ、思わず「ぎゃあぁっ!?」と悲鳴を上げる。振りほどこうとするが、鼻先をくすぐる甘い香りと、続く言葉に、我に帰った。
「ミクちゃん、大丈夫。大丈夫だから」
「も……モモ?」
美邑を抱き締めているのは、今朝、電車で離れ離れになったモモだった。大きな目でにこりと笑いかけてきたかと思うと、そのままキッと男を睨む勇ましさに、美邑は身体を強ばらせた。
「モモ……あんまり、刺激しない方が」
「あんた。ミクちゃんを怖がらせたでしょ」
美邑のおどおどとした声を無視し、モモがきっぱりとした口調で男を詰問する。
「ミクちゃんに酷いことするなんて、許さないんだから」
男は仮面の向こうから、じっと美邑らを見つめていた。その目の静かさに、思わず、モモの腕をぎゅっとつかむと、抱き締めてくる力が増した気がした。
男はそんな二人からふと目を離すと、「やれやれ」といったふうに首を振り、ふわりと跳び上がった。そのまま、フェンスの上に着地する。体重を感じさせない動きに、美邑はただただ目を見張った。
「今回は出直す」
ぼそりと、男が言う。
「また来るまでに、ソレをなんとかしておけ」
言うなり、男の身が宙に浮いた。フェンスの外へ向かって。
「ひ……っ」
慌てて駆け寄り、下を見る――が、男の姿はもうどこにもなかった。
「う……そ」
「ミクちゃん、危ないよ」
フェンスに身を乗り出している美邑を、モモが少し怒った口調で注意する。「うん」と頷きつつも、美邑はその場から動くことができなかった。
「……なんだったの? 今の……」
屋上に、突然現れた仮面の男。それだけでも意味不明であるのに、更には飛び降りて消えてしまった。
「ミクちゃんが無事なら、なんでもいいけど」
言いながら、モモはしゃがみ、なにかを拾い上げた。
「これ、ミクちゃんのでしょ?」
そう差し出されたのは、ランチバッグだった。無意識に放ってしまっていたらしい。慌ててフェンスから降り、「ありがと」と受け取る。いつもと変わらぬ顔で、モモはにこりと笑っていた。
「……モモって、マイペースってゆーか」
「ちーがーうー。マイペースなんじゃなくて、ミクちゃんペースなのぉ。ミクちゃんが無事なら、それでいいの」
なんと言うか、随分と友達甲斐のある言葉だ。目の前で起きた訳の分からないできごとに、打ちのめされた気分の今は、とても心強く感じる。
「って言っても、また来るって言ってたね。アイツ」
そう、モモが口を尖らせて、男が去った方向を睨んだ。
「ミクちゃん、アイツ誰だか分かる?」
「え?」
急に訊ねられ、美邑は思いきり横に首を振った。
「まさか。全然。……あ、もしかしたら。今朝、神社で見かけた人かな? って、感じではあるんだけど」
「神社って、鏡戸の?」
「うん……顔は見えなかったけど。階段に、似たような人が座ってたんだよね、朝……」
「ふぅん」と、訊ねてきたわりに気のない言葉が返ってくる。なんとなく居心地が悪く、美邑は男に対してしたようにへらりと笑ってみせた。
「あの人、ほんとなんだったのかな。急に出てきて……飛び降りていなくなっちゃったし。格好も変だったし……もしかして、お化けかな?」
「なんだっていいよ。――不審者だろうがお化けだろうが変態だろうが、迷惑なことには変わらないしね」
不安げな美邑の反応を見てだろう。後半は声を和らげて、モモが少し笑う。
「うん……」
つられて笑い。だが、ふと頭の中で男の声がよみがえる。
――貴様を、迎えに来た。
(迎えって……なんだろう)
ただの、おかしな人物の戯言だと思うべきなのだろうか。ランチバッグを握る手が、小さく震えてしまう。
「……ミクちゃん」
先程までより優しい声で、モモに呼ばれる。「え? なに」と慌てて笑顔を上げると、モモがぎゅっと手を包み込むように握ってきた。柔らかな温もりに、肩の力がそっと抜ける。
「顔色、悪いよ。怖かっただろうし、疲れたし。今日はもう、早退した方が良いよ。明るいうちに帰った方が、怖くないしさ」
「……そう……かな」
授業が終わってすぐ帰れば、陽が長くなってきた今の時期、さほど暗くはならないだろう。だが、家に着く頃にはさすがに夕方で、周囲も薄暗くなるはずだ。
第一、モモの言うように、少し疲れてしまった。午後の授業にも、落ち着いて参加できる気がしない。
「なんなら、わたしも付き添おうか?」
「うぅん。まだ、明るいし。帰る途中も人いっぱいいるはずだし……大丈夫」
ありがとう、と言うと、モモは嬉しそうに微笑んだ。それはすぐにキリッとした表情へと変わり、「本当に気をつけて帰ってね」と念押ししてくる。
「モモってば、心配性」
「だーかーらぁ。違くて、ミクちゃん中心主義なだけ」
「さっきと変わってるし」と、思わず笑ってしまう。友人の明るさに、救われる想いがした。再び頭の中で男の声がした気がしたが、それは無視し、美邑はモモと歩き出した。
――貴様を、迎えに来た。
―――その時が来たら、迎えに行くから。
―――必ず行くから、待っていろ。
声と共に後ろから抱き締められ、思わず「ぎゃあぁっ!?」と悲鳴を上げる。振りほどこうとするが、鼻先をくすぐる甘い香りと、続く言葉に、我に帰った。
「ミクちゃん、大丈夫。大丈夫だから」
「も……モモ?」
美邑を抱き締めているのは、今朝、電車で離れ離れになったモモだった。大きな目でにこりと笑いかけてきたかと思うと、そのままキッと男を睨む勇ましさに、美邑は身体を強ばらせた。
「モモ……あんまり、刺激しない方が」
「あんた。ミクちゃんを怖がらせたでしょ」
美邑のおどおどとした声を無視し、モモがきっぱりとした口調で男を詰問する。
「ミクちゃんに酷いことするなんて、許さないんだから」
男は仮面の向こうから、じっと美邑らを見つめていた。その目の静かさに、思わず、モモの腕をぎゅっとつかむと、抱き締めてくる力が増した気がした。
男はそんな二人からふと目を離すと、「やれやれ」といったふうに首を振り、ふわりと跳び上がった。そのまま、フェンスの上に着地する。体重を感じさせない動きに、美邑はただただ目を見張った。
「今回は出直す」
ぼそりと、男が言う。
「また来るまでに、ソレをなんとかしておけ」
言うなり、男の身が宙に浮いた。フェンスの外へ向かって。
「ひ……っ」
慌てて駆け寄り、下を見る――が、男の姿はもうどこにもなかった。
「う……そ」
「ミクちゃん、危ないよ」
フェンスに身を乗り出している美邑を、モモが少し怒った口調で注意する。「うん」と頷きつつも、美邑はその場から動くことができなかった。
「……なんだったの? 今の……」
屋上に、突然現れた仮面の男。それだけでも意味不明であるのに、更には飛び降りて消えてしまった。
「ミクちゃんが無事なら、なんでもいいけど」
言いながら、モモはしゃがみ、なにかを拾い上げた。
「これ、ミクちゃんのでしょ?」
そう差し出されたのは、ランチバッグだった。無意識に放ってしまっていたらしい。慌ててフェンスから降り、「ありがと」と受け取る。いつもと変わらぬ顔で、モモはにこりと笑っていた。
「……モモって、マイペースってゆーか」
「ちーがーうー。マイペースなんじゃなくて、ミクちゃんペースなのぉ。ミクちゃんが無事なら、それでいいの」
なんと言うか、随分と友達甲斐のある言葉だ。目の前で起きた訳の分からないできごとに、打ちのめされた気分の今は、とても心強く感じる。
「って言っても、また来るって言ってたね。アイツ」
そう、モモが口を尖らせて、男が去った方向を睨んだ。
「ミクちゃん、アイツ誰だか分かる?」
「え?」
急に訊ねられ、美邑は思いきり横に首を振った。
「まさか。全然。……あ、もしかしたら。今朝、神社で見かけた人かな? って、感じではあるんだけど」
「神社って、鏡戸の?」
「うん……顔は見えなかったけど。階段に、似たような人が座ってたんだよね、朝……」
「ふぅん」と、訊ねてきたわりに気のない言葉が返ってくる。なんとなく居心地が悪く、美邑は男に対してしたようにへらりと笑ってみせた。
「あの人、ほんとなんだったのかな。急に出てきて……飛び降りていなくなっちゃったし。格好も変だったし……もしかして、お化けかな?」
「なんだっていいよ。――不審者だろうがお化けだろうが変態だろうが、迷惑なことには変わらないしね」
不安げな美邑の反応を見てだろう。後半は声を和らげて、モモが少し笑う。
「うん……」
つられて笑い。だが、ふと頭の中で男の声がよみがえる。
――貴様を、迎えに来た。
(迎えって……なんだろう)
ただの、おかしな人物の戯言だと思うべきなのだろうか。ランチバッグを握る手が、小さく震えてしまう。
「……ミクちゃん」
先程までより優しい声で、モモに呼ばれる。「え? なに」と慌てて笑顔を上げると、モモがぎゅっと手を包み込むように握ってきた。柔らかな温もりに、肩の力がそっと抜ける。
「顔色、悪いよ。怖かっただろうし、疲れたし。今日はもう、早退した方が良いよ。明るいうちに帰った方が、怖くないしさ」
「……そう……かな」
授業が終わってすぐ帰れば、陽が長くなってきた今の時期、さほど暗くはならないだろう。だが、家に着く頃にはさすがに夕方で、周囲も薄暗くなるはずだ。
第一、モモの言うように、少し疲れてしまった。午後の授業にも、落ち着いて参加できる気がしない。
「なんなら、わたしも付き添おうか?」
「うぅん。まだ、明るいし。帰る途中も人いっぱいいるはずだし……大丈夫」
ありがとう、と言うと、モモは嬉しそうに微笑んだ。それはすぐにキリッとした表情へと変わり、「本当に気をつけて帰ってね」と念押ししてくる。
「モモってば、心配性」
「だーかーらぁ。違くて、ミクちゃん中心主義なだけ」
「さっきと変わってるし」と、思わず笑ってしまう。友人の明るさに、救われる想いがした。再び頭の中で男の声がした気がしたが、それは無視し、美邑はモモと歩き出した。
――貴様を、迎えに来た。
―――その時が来たら、迎えに行くから。
―――必ず行くから、待っていろ。
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