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番外編 森で見つけたあの子(宇迦目線)

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──……宇迦。私に何かあったら、和泉のことお願いね。

 定期的に見るその夢は、かつての主の優しい声を思い出させてくれる。
 彼女の少し柔い、白い手に撫でられるのが好きだった。そんな彼女は不器用な龍を愛してしまったけど。自分が抱くこの感情は多分、彼女と龍が互いに寄せ合う感情とは違うから、それはそれでいいのだ。
 それに、彼女が僕に遺してくれたものは多い。この温かな気持ちとか、普通の狐よりもずっと長い寿命とか。そんな彼女の想いを汲むかのように、家族は祠まで作ってくれた。
 そして毎日、みすずさまの系譜である彼女が散歩ついでにお参りへ来る。いつもニコニコと微笑みながら、こちらの姿は見えないはずなのに大事そうに家族の話をしてくれるのだ。
 少し前には孫ができたなんて報告をしてくれた。その時は彼女と同じくらい嬉しかったのを覚えている。
 でも、今日の彼女は少し様子が違った。
「あの子が帰ってこないんです! どうか、どうかお狐さま……」
 彼女、杏子さんが言うあの子が、もうすぐ七つになる孫のことだとすぐに分かった。二十年ほど前までは、杏子さんが言うあの子は娘のことだったけれど、ここ最近では『あの子』と言えばもっぱら孫のことだから。
「分かったよ、杏子さん」
 こちらの声は聞こえないし、姿も見えない。分かっているけれど、彼女の背をそっと撫でて森へと入っていった。
「変なのに食べられてないといいんだけど」
 もうすぐ日も暮れる。妖たちが動き出すには絶好の時間だった。とは言え、この時代にそれほど力のあるモノもいないのだけれど。
 特に、この森には和泉の社がある。下流の社は取り壊されたが、上流にある社と商店街の中にあるという社はまだ無事らしい。和泉が目を光らせている間は、そう簡単に悪さをするやつも現れないだろう。
「おや」
 木々の先に、おろおろと辺りを見回す子供がいた。こんな時間に森で1人でいるところを見ると、あの子が杏子さんの孫だろう。
「随分と深いところまで迷いこんで、なかなか度胸がある子だね」
「え……」
 こちらの声に気付いたのか、その子ははっきりと僕を捉えた。
 七つまでは神の子、なんて今はもう廃れた言葉かと思っていたが、案外そうでもないらしい。まだ時折、こうしてこちらの存在に敏感な人間もいるようだ。
「お兄さん、誰?」
 でもきっと、もう何年かしたらそんなものが見えたことなど忘れてしまうのだろう。
「通りすがりのお兄さんだよ。森から出たいなら、案内してあげるからおいで?」
「でも、知らない人についていっちゃダメだって……」
 迷子になるような子供だからと油断していたが、教育はしっかりしているらしい。
「そうだね……じゃあ名前を教えてあげるよ。僕は宇迦」
「……結貴、です」
「これで知らない人がじゃなくなった?」
「うん……」
 まだまだ警戒は解いていないようだが、それくらいで良いのかもしれない。一定の距離以上は近付かない彼女に、くるりと背を向ける。
「こっちだよ」
 このまま東へ真っ直ぐ進めば森を抜けるだろう。そうなれば、後は杏子さんたちが見つけてくれるはずだ。
「うか」
「何?」
「ここ、さっきも通った」
「ふふっ、実は僕もそう思ってたところだよ」
 いつの間に術に嵌まっていたのだろう。先ほどから行けども行けども、同じ景色へと戻ってくる。どんどん辺りは暗くなってきて、さすがに彼女もお疲れ気味だ。
「……ホイホイ」
 突然聞こえてきた声に、隣にいた彼女は小さな肩を跳ねさせた。木から木へと飛び移っているのか、嘲笑うような奇妙な鳴き声が暗い木々の隙間からこだまする。
「なんだ、意外と元気な子がいるんだね」
 顔の前で立てた人差し指の先に、ぽうっと火の玉が浮かび上がる。指先をくるくると回すと、彼女ごと僕たちを囲うように火の玉が増えていった。
「うわぁ……綺麗」
 足元から聞こえてきた声に、つい苦笑してしまう。こんな状況で怖いではなく、綺麗、とは。小さいながら、なかなか肝が据わっている。
 まるで、みすずさまのように。
「燃やされたくなかったら、早く道を開けてくれないかな」
「ホイホイ……」
 先ほどまでご機嫌だった声から勢いが消える。しかし、術の消える様子はなく、むしろ当てられるものなら当ててみろ、とばかりに木々を飛び交う速度を速めた。
「交渉決裂かな」
 指先を宙に彷徨わせ、妖へと狙いを定める。火の玉をその場所へと放ろうとした瞬間だった。
 上空から降ってきた黒い塊が、ばくりと木の枝ごと妖を飲み込む。じろりとこちらを見た黄金色の瞳に、つい笑みが零れてしまった。
「和泉、助けに来てくれたの?」
「見回りしてたら目障りなやつがいただけだ」
 そんな軽口と共に、辺りの木の葉を振り落としてしまいそうな風が吹き荒れる。
 足にしがみつく彼女の身体を手で支えた瞬間、はっとした。
 確かにこの子は、みすずさまの血を継ぐ子。生まれ変わりなんて期待していなかったのに、わずかに感じた魂の波長はひどく懐かしいものだった。
「迷子ってそいつか?」
 和泉の声が目の前から飛んできて、現実へと引き戻される。龍から人間の姿へと戻った和泉は、その長身を屈めてその子を真正面からじろじろと眺めていた。
 今は僕よりも和泉を警戒しているのか、ぎゅっと縋るように服を握りしめてくる。
「大丈夫だよ。こう見えて悪い人じゃないから」
「こう見えてって何だよ」
「だって、迷子って聞いて探しに来たんでしょ?」
「社の周りまで探しにくるやつらがいてうるさかったんだよ。寄り道してないで、さっさと返すぞ」
「はいはい」
 素直じゃないな、と思いつつも、これで無事に森も抜けられそうだった。
 和泉が長身なこともあってか、彼女はあまり和泉に近寄ろうとしなかったけれど、おかげで僕の手を離してくれなかったのは役得かもしれない。
 彼女も、みすずさまのように美しく成長するのだろうか。その時まで、僕はここで待っていられるだろうか。
「おら、チビ。あの明かりが見えるだろ。あそこに向かっていけば家に帰れるぞ」
「あ、ありがと……」
 そう言いながら、彼女は小さなリュックの中から紙袋に包まれた何かを取り出す。それを僕と和泉にそれぞれひとつずつ分けてくれた。
「これ、おじいちゃんのたいやき。たすけてくれて、ありがと」
「お礼なら、改めて参拝に来てから言え」
 和泉の言葉に彼女は『参拝』の意味が分からなかったのか、困ったように首を傾げる。
「今度は社に遊びにおいで、ってことだよ」
「遊びにじゃねー!」
 和泉は吼えるが、彼女は嬉しそうに頷く。そして人間の明かりが灯る道へと駆けていくのだった。
 なんだかんだと和泉は最後まで彼女の背中を見送っていた。そんな彼の手にあるたい焼きを指差す。
「食べ物のお供えだって、立派な参拝でしょ」
「あ? これ食い物なのか?」
「え、もしかしてたい焼き知らない? 甘くて美味しいよ」
「ふ~ん?」
 ぱくりとたい焼きを頭から食べた瞬間、和泉は目をきらきらと輝かせた。
「なんだこれ! 美味いな!」
「だから、たい焼きだって」
 出来立てが一番美味しいのだと杏子さんが言っていた。しかし、リュックの中で冷えたたい焼きですら十分に美味しい。これより美味しいとなると、想像するだけで唾液が口の中に溢れてきた。
「そんなに気に入ったなら、自分で作ってみれば?」
「作るってどうやって?」
 確かに作り方までは聞いたことがない。和泉と首を捻りながら、改めてたい焼きを見つめる。
「とりあえず、小豆は必要そうだね」
 それから和泉にも満足してもらえる小豆を見つけるのは、もう少し先の話。
 そして、みすずさまの面影を残す彼女と再会するのは、さらにもう少し先の話だ。
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