上 下
3 / 35

第1話 たい焼き屋『こちょう』②

しおりを挟む
「え?」
 頭の上から声が降ってくる。ドスの効いた声に、説教を垂れる上司の顔が一瞬脳裏を過って背筋が凍った。恐る恐る顔を上げると、頭一つ分ほど高い位置からサングラスの青年が見下ろしている。
 しかし、彼の首からはまるで幼稚園児が作った工作のような『奉納』と書かれた小さな段ボール箱がぶら下がっていて、一見チャラそうな外見からは随分と浮いていた。そんな見覚えのある恰好にあっと声が漏れる。
「たい焼き買わねーのに店の前でボーッと突っ立ってんじゃねぇ。営業妨害だ」
「和泉さん、私です。結貴です」
「あ? あぁ、尭の孫!」
 尭、とまるで友人のようにおじいちゃんの名前を呼ぶ和泉さんの白い頬に、さらりと艶やかな黒髪がかかる。なぜか年中かけている薄い水色のサングラスのせいで瞳の表情は分かりづらい。しかし、サングラスの奥からこちらを見つめているというのは肌で感じられた。
「なんだ孫かぁ、久しぶりだな。悪ぃが尭なら朝出ていったきりでさ。今日はデートなんて言ってなかったんだが、ま、そのうち帰ってくるだろ」
 最初の威圧感が嘘のように、あっけらかんと彼は笑う。笑った表情は、以前顔を合わせた時にも見覚えのあるそれだった。むしろ、数年経っても全く変わらない彼の若々しさに違和感すら覚える。童顔というわけでもない精悍な顔つきなのに、こうも年を感じさせないものだろうか。
「せっかくだし、待ってる間にたい焼きでも食うか?」
 慣れた手つきで和泉さんが鉄のたい焼き器に油を引き始め、慌てて待ったをかけた。
「もしかして、聞いてませんか?」
「何が?」
「おじいちゃん、入院したんです。階段で転んで……あ、でも脚以外は元気なので」
 おじいちゃんから言わせれば転んでない、と反論されそうだが、今はとにかく入院したという事実が伝わればいい。口の中で小さく入院、と言葉を繰り返した和泉さんはピタリと固まって動かなくなる。
 店長であるおじいちゃんが急に入院となったら、雇われている側としてはやはり不安だろう。だからと言って、代理店長を引き受けるとも決めていないし、何より引き受けたところで店のことを何も知らない私がいても、彼にはお荷物なだけだ。
 なんと言葉をかけたものかと悩む私の耳に、突然、くくっと喉を揺らすような笑い声が聞こえてくる。
「ってことは実質、しばらくは俺がこの店の店長ってことでいいんだよな?」
「え、あ、いや……?」
 店長代理の話はした方がいいのだろうか。
 そんなことを悩んでいるうちに、彼は力強く拳を握った。
「いよっし!」
 驚く私をよそに、彼は受取口に出していたポスターを掴むとマジックで何か書き込んでいく。次に店頭に出されたポスターには『たい焼きひとつ一二〇円』だったものが『たい焼きひとつ四九〇円』と書き換えられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お節介鬼神とタヌキ娘のほっこり喫茶店~お疲れ心にお茶を一杯~」

GOM
キャラ文芸
  ここは四国のど真ん中、お大師様の力に守られた地。  そこに住まう、お節介焼きなあやかし達と人々の物語。  GOMがお送りします地元ファンタジー物語。  アルファポリス初登場です。 イラスト:鷲羽さん  

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました

卯月みか
キャラ文芸
両親を交通事故で亡くした月ヶ瀬美桜は、叔父と叔母に引き取られ、召使いのようにこき使われていた。ある日、お金を盗んだという濡れ衣を着せられ、従姉妹と言い争いになり、家を飛び出してしまう。 そんな美桜を救ったのは、幽世からやって来た龍神の翡翠だった。異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだという翡翠に、美桜はついて行く決心をする。 お菓子作りの腕を見込まれた美桜は、翡翠の元で生活をする代わりに、翡翠が営む万屋で、洋菓子店を開くことになるのだが……。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

結婚して四年、夫は私を裏切った。

杉本凪咲
恋愛
パーティー会場を静かに去った夫。 後をつけてみると、彼は見知らぬ女性と不倫をしていた。

処理中です...