夜が明けるまで嘘を抱く

第二章

2-12 違和感

　壱星と妙な雰囲気になってしまった日から数日後の金曜日。最終コマである座学の講義を聞きながらも、俺は上の空だった。

　今日はバイトがないため壱星の家に行くことになっているが、またあいつに何かしてしまいそうであまり乗り気じゃない。何かいい言い訳見つからないかな。

「えー、では、少し早いですが今日はここまでとします。それでは皆さんよい週末を――」

　あぁ、こんな時に限って20分も早く講義が終わってしまった。

「智暁君、帰ろっか」

　薄く微笑んだ唇を指でなぞりながら、立ち上がった壱星が俺を見下ろしてそう言った。

「あぁ、そうだな……」
「桜川！ちょっと待って！」

　重い腰を上げようとしたその時、教室の前の方から同じクラスの中村が駆け寄ってきて俺を呼び止めた。

　こいつは噂好きのお調子者だけど、顔も広いし悪い奴じゃない。俺がハマってるスマホゲームを教えてくれたのもこいつだ。

「サクちゃん、聞いて聞いて。酷いんだよ。戦仕掛けたら返り討ちに遭ってさー……」

　中村はわざとらしく顔を歪めながらゲームの話を始めた。

「ごめん、壱星。ちょっと中村の話聞いてくるわ」
「……わかった。出たとこのベンチで待ってるね、智暁君」

　たぶん壱星は中村のことが苦手だ。大人しい壱星とうるさい中村は根本的に合わないんだと思う。

　壱星を先に教室から出すと、俺は中村の話に耳を傾けた。どうやらゲームで大失敗をしてしまい、損失を取り戻すためにアイテムやらを分けてほしいとのことだった。

「見返りは？」
「桜川はやっぱ抜け目ないねー。で、何が欲しいわけ？」
「……今日飯奢って」

　中村に無理やり誘われたことにして壱星との約束を先延ばしにできないだろうか、俺の魂胆はそこにあった。

「しょーがねーなー！ただし今日は無理！サークル顔出さなきゃいけなくて。来週でいい？」

　しかし、その企みは呆気なく打ち砕かれてしまった。仕方なく何も知らずにニコニコしてる中村に頼まれたアイテムを送ってやると、俺は教室を出て壱星の元へ向かった。

「お待たせ」

　壱星は俺の声にサッと顔を上げたが、なぜか立ち上がろうとしなかった。

「……あのね」

　そう言いながら顔を俯けると、壱星は口元に手を添える。

「今日、お父さん来てるんだって」
「……え？マジか」

　壱星の父親は出張で時々こちらに来ることがあり、その都度こいつは食事に付き合わされている。厳しい人で逆らえないのは壱星の雰囲気を見ていればわかる。

「だから今日は、俺そっち行かなくちゃ。……ごめんね。急に」
「いや、いいよ。仕方ないことだし」

　内心ホッとしながらも、俺は落ち込んでいるであろう壱星を慰めようとその隣に腰を下ろした。

「壱星、それならさ……」

　あれ？壱星、笑ってる……？

　そっと顔を覗き込んだ俺は違和感を覚えて言葉を失った。伏せた目元は見えないが、白い頬は僅かに盛り上がり口角が上がっている。さらに、細い指が何度も揺れるようにその唇を撫でている。口元に触れるのは、嬉しい時の癖のはずだ。

　おかしい。父親に会うとき、いつもはもっと嫌そうにしているのに。今日は俺との約束を蹴ってまで行かなくちゃいけないのに、何で……。

「またね。ごめん、ちょっと急ぐから」

　そう言うと壱星は俺の顔も見ずに立ち上がり、小走りで駆け出した。

◇◇◇

　壱星の様子がおかしいと思ったのは気のせいだろうか。俺が中村と話をするまでは、いつもの壱星だったと思うんだけど。

　自分から逃げようとしてたくせに、いざ壱星から断られると何だか負けたような気持ちになる。というか、やっぱり寂しいかも。あんなことしちゃって気まずいけど、別に一緒にいたくなかったわけじゃない。

　ぼんやりとそんなことを考えながら、俺は皿の上から最後の1つのエビマヨを摘んで口の中に放り込んだ。壱星の家に泊まるつもりで母さんに晩飯いらないって言っちゃったから、地元駅前の中華料理屋で食事を済ませているところだ。

　エビマヨと餃子とご飯で合計1177円。大学の食堂に比べるとかなり高いけど、こっちの方が断然旨い。

　中華料理屋を出て、駅ビルの中を出口の方へ歩いていると、ちょうど前を通りかかった本屋から見覚えのある顔が出てきて目があった。

　何でまた、こんな時に、こんなところで……。

「おっ、智暁じゃん！やっほー」

　買い物袋を下げた蒼空が、満面の笑みで俺に手を振っていた。