アンドロイドと心中しようか

蓮見 七月

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アンドロイドと心中しようか 4

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 悲しみは一騎では来ない。良く沈む革製の椅子に座る父の前で、そんな言葉を思い出した。
「兄さんは大丈夫なんですか?」
「今すぐにどうという事は無い。よくある糖尿病だ」
 よわい70を数える老人とは思えないほど大きな肩を怒らせて、幸次の父、目黒吉勝よしかつは述べた。
「良かった。それを伝えるためにわざわざ僕の家まで?」
 和装の父は大きく息を吐いた。
「もう一度挑戦してみないか?」
「え?」
「仕事だ」
 驚きを隠せなかった。父はもう自分の事など忘れ去っていると幸次は思っていた。兄に万が一のことがあった時のスペア。そう言った考えが透けて見える。しかしそれでも父は自分の事を覚えていたのだ。
「仕事……。というと?」
 父は目を合わせようとしない。老いてなお大きく開く目の先は、しわの増えた手の甲だった。
「もう一度、営業へ」
 心臓の凍り付く思いがして、幸次は声を出せなかった。
「他人の失敗など、大衆はすぐに忘れるものだ」
 ゆったりと言った父。幸次は自分への配慮かもしれないと好意的に感じ取った。父にそんな親らしいことができるなんて。いや、実の兄の健康状態を知って、予備をどうするか考えているだけだろう。
 親心を信じたい気持ちと信用できないと言う思いが去来した。
「どうだ……。もう一度」
 一瞬だけ父は幸次を目の端で捉えた。
 悪くない話ではある。10年間必要とされない仕事を淡々とこなしてきた。この現状を変えてみたい気持ちもある。
 大失敗した時には恵も居なかった。たった一人の暗黒時代だった。今は妻が居る。2人で生きようと伝えた妻。もしうまくいけば、他の人間と同じように、人並みの生き方ができるかもしれない。
 他の人と同じように普通に生きたい。人間嫌いというコアは変わらなくとも、昔から幸次はそう祈って生きて来た。
 同じ35歳の社員と言えば、妻や子供が居て、職場でも尊敬されている。
 ふとした時に湧き上がる頭痛の様な劣等感。誰に言われるでもなく自分を責める自分の目。
 幸次はクローゼットの中でスリープモードになっている恵の事を想った。
 営業職に戻れば当然、自由に使える収入も増える。妻にももっと良い服を買える。旅行ももっと贅沢にできるはずだ。何より年を取って引退した後も、彼女と長く暮らせるかもしれない。
 年金制度は破綻して久しい。年老いて金がなくなれば安楽死というのが最近のベーシックな考え方だ。金があれば安楽死するまでの時間を引き延ばせる。ケイと一緒に。
 幸次の頭の中で人生計画がパズルのように組みあがっていく。
 あとは”やります”と声を出すだけだ。
「……。無茶か。お前には……。無理にやれとは言わんよ」
 父は椅子から立って歩き始めた。幸次は気付かれない様にクローゼットを見る。そして強く指を組んだ。
「やります。いや、やらせてください。父さん」
 父は背を向けたままだった。
「3日程で辞令が出る。準備しておきなさい」
 幸次は頭を下げて父を見送った。オートロックで玄関扉が施錠されてすぐ、幸次はクローゼットの扉を開けた。
「あなた」
 恵は目を開けてスリープモードを自力で解除した。それからすぐに笑顔になった。
「やってみるよ」
 心配の混ざった笑みを浮かべて幸次が言った。

 辞令を受けて一週間。幸次はフロア49と取引先を行ったり来たりして働いた。幸いにも最初の仕事はアンドロイド販売業者との取引だった。目黒不動産の管理する埼玉の穀倉地帯に、アンドロイドを労働者として本格導入するためのプロジェクト。
 向いている。49階から晴れ晴れとした空と、地上の世界を眺める時、幸次にはそう思うことができた。
 打ち捨てられた埼玉の土地。ほとんど人間も居ないだろう。導入するアンドロイドが現地人から不当な扱いを受けることはないはずだ。今想定すべき問題は、メンテナンスになる。アンドロイドのメンテナンスは人間にやらせるか。それともエンジニア・アンドロイドに頼るのか。
 幸次の頭の中は新規事業の事でいっぱいだった。スポーツで汗をかいたときと同じような疲れを幸次は感じていた。
 充実している。嫌ではない。できそうだ。
 頭の中で確認してから仕事を切り上げ、家路についた。

 自宅の玄関扉に浮かび上がる3Dホログラム。いつもの通り幸次はパスワードを打ち込んだ。普段なら扉が横に自動で開き、妻が出迎えてくれる。しかし薄水色のホログラム上には二重アクセスですとの警告文が、不快で短い音と共に表示された。
「おい! 誰かいるのか!?」 
 幸次はホロ・ウォッチで見た最新ニュースを思い出した。南米で逃亡したアンドロイドが住居に対して不正アクセスを働いて侵入したという話だった。
 侵入されたのかもしれない。焦りと怒りと心配が、幸次に扉を叩かせた。
「恵! 大丈夫か?」
 帰宅する時間帯にはスリープモードが解除される設定になっている。今、恵には意識があるのだ。
 幸次の拳が空を切る。扉が横に開いた。
 目の前に現れたのは恵でも、見知らぬアンドロイドでもない。母親だった。父と同じく、古めかしい和装で背筋を張って立つ老婆。
「なんで勝手に入った!」
 幸次は怒りを隠そうとはしなかった。昔からこの女は息子のプライバシーなど気にしなかった。息子を監視するためならば不正アクセスでもなんでもする女なのだ。
「入りなさい」
 母親は悪びれもせず、我が物顔でそう言った。
 いつもこうだ。長くはない廊下を歩きながら、幸次は頭の中で毒づいた。いつもこうして干渉してくる。幼いころからそうだった。遊ぶ友達も、進学先も、何一つ自分で決めさせてもらえなかった。学校や外出先での出来事はすべて報告させられる。
 そんな生活を続けた結果、幸次は常に母親に怯える子供時代を過ごしたのだ。
 思えば自分の臆病の原因はコイツにもある。小さな老婆の背を憎しみの目で刺しつつも、幸次は母親の誘導するままにダイニングに通された。
「恵!」
 恵はダイニングチェアに座らされていた。うつむく恵はアンドロイドとは思えないほど、悲しみ打ちひしがれている様に見えた。
 (この女!)
 幸次は心中で母親に怒りを向けた。
「どういう事です! これは!」
 本心では答えを聞く前に殴り殺してやりたかった。
「クローゼットに入ってました」
「勝手に覗いたのですか? 不正アクセスや不法侵入だけでなく!」
 今までに発したことのない様な怒声で幸次は話していた。母親が答える。
「私は母です」
「だから? だったらなんなんだよ! 勝手に入って来て強盗みたいなマネして……。母親だったら許されるのかよ!」
 妻への愛よりも、積年の恨みを込めて幸次は言った。ここまで強気で反抗したのは初めてだった。
 母親は驚いた様子を見せたが、怒りが浮かぶその目に徐々に憐みの色が混じり始めていた。
「説明しなさい」
「なにを?」
「このガラクタについてよ! このオモチャについてよ! 私はこんな……。こんな事をする子に育てた覚えは無いの……」
 これだからこの女は! こいつは死んでも治らない。一種の呪いだ。母という呪いなんだ。幸次は諦めたように言う。
「買ったんだよ」
「目的は?」
 心臓に響くような質問だった。この件の本質にして、幸次最大のウィークポイントだった。
「……」
 答えることができなかった。母親が、大きな大きな溜息をつく。そして幸次の肩を両手でつかんだ。老婆の腕を払い除けるくらい難しくない。しかし幸次には逆らえなくなるほどの圧迫感が、子供の頃から無意識に刷り込まれていた。膝が震えるほどの怖さだった。虐待を受けて来たと言う認識はない。しかし昔からとにかく、逆らえなかった。
 洗脳と同じだ! 心の中では分かっていても反抗できないでいた。
 母親の肩越しに涙する妻の姿が見える。彼女はガラクタではない。
「母さん。彼女は……。彼女はガラクタでもオモチャでもない」
 絞りだした声を聞いて、母親は不思議そうな視線を幸次に投げた。そして幸次に、無言で次の言葉を促す。
「彼女は……。僕の妻なんだ」
 言い切ると自分の意識が空中に浮かんだような気がした。状況を自分の物として捉えられない様なストレスがあった。
「おまえ……。病気なんじゃないかい?」
 憐れみと侮蔑だけが母親の視線だった。母親からの愛というのは幸次には昔から向けられていなかったし、今この時もそうだった。
「母さ……」
「ニュースくらい見なさい! いい年してアンドロイドと付き合っていた犯罪者! 何人も人を殺していたのよ! 他にも女性を襲ったり! 汚らわしい。恥を知りなさい! こんな事して……。恥ずかしい。目黒家の……。次男とは言えこんな……」 
 幸次は目の焦点が合わなくなるのを感じていた。
「病院に行ってきなさい。お金は出すから……」
 母親は答えも待たずに玄関へ向かった。
「待ってください!」
 言ったのは幸次ではなく恵だった。母親の後ろ姿にすがるようにしながら言う。
「違うんです! 幸次さんは……。幸次さんは病気なんかじゃなくて、私に優しくしてくれて」
 母親は汚れたものを見る様な目つきで振り返り、恵を振り払った。
「違うんです! お母さん! アイ、愛しているんです! 私は幸次さんを」
 恵は幸次の母親に左の頬を殴られた。
「お前が! アンドロイドごときが幸次を。目黒家の次男をたぶらかしたのか! やっぱりお前たちには意思があって人間様に歯向かおうとしているんだろう!」
「違うんです……。違うんです……」
 母は手動で玄関扉を開け、振り返らずに出て行った。
「恵」
 幸次は涙を流しながら、後ろから恵に抱き着いた。幸次の腕に包まれた恵も泣いていた。


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