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悟の世界

暮らし。Ⅲ

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「この時間なら酒場はまだ開いているよ。さぁ飲みに行こう」

サトルはさわやかに言った。

酒場は例のホームレス集団のたまり場からそう遠くないところにあった。

いかにも大衆酒場といった感じで店内に入る前からガヤガヤと大声が聞こえてきた。店内に入ると一層、ガヤガヤと賑わいを見せていた。

サトルは1人の青年を見つけ近づいていく。ミノルももちろんそれに続いた。サトルは青年の方をポンと軽くたたくと挨拶した。

「やぁ こんばんは。今日の調子はどうだい?」

またもなれた口調で話しかけていた。

そしてミノルは驚かなくてはならなかった。なぜならその青年は、自分の元居た世界の新人部下、秋田ツルギその人であったからだ。

見間違いかと思い目をこする。しかし、彼の見た目は新人、秋田アキタであった。思わず割り込んで声をかける。

「新人!いや秋田、秋田じゃないか!奈緒美ナオミさんばかりでなく、なぜお前までここにいるんだ!?」

ミノルは不思議に思った。奈緒美さんに似たナオミさんだけでなく秋田に似た人物まで現れた。どうもこの世界は不思議だ。自分に関係する人物がこれで3人も現れた。

自分のよく読んだファンタジーライトノベルでは元の世界に登場した人物名が再登場することなんて無かった。ミノルはこの人物が本当に秋田なのか尋ねなければならかった。

「お、お前は誰なんだ!?」

つい口が悪くなってしまっていた。彼は焦っていた。この世界が元居た世界なのかそれともやはり新しい世界なのか自信がなくなっていた。それにはかまわず相手はサトルに応答した。

「誰です?この人?新しい僕らの仲間か何かです?サトルさん?」

彼は調子良くそういった。ミノルにも分からなかった。彼が実際は誰であるのか、新しい仲間とは何なのか。またミノルは混乱することとなった。困惑しているミノルを見てサトルが助け舟を出す。

「彼は僕と一緒で降って来た人だよ。でも僕とは少し違うかな。」

サトルは簡単に説明した。ミノルは落ち着いて状況を整理する時間を得ることができた。まず、見た目は完璧に秋田剣アキタ ツルギその人だった。

それに良く聞いたその声色と調子の良さげな態度。完璧に秋田剣アキタ ツルギであった。ミノルは彼もナオミさんと同じくただ見た目や性格が似通っているだけ課も知れないと思った。そこで彼はサトルと秋田に似通った人物の話を聞くことにした。

「今日は彼と幸せについて話してもらいたいんだ。彼はまだ視野が狭いようだからね。」

ミノルはサトルに子ども扱いされたことに少し苛立ちを覚えながらもその意味を理解しようとした。そしてその意味とは、さっき会った例のホームレスたち同様、自分に何かを伝えたいということだと思った。

「君は今、幸せかな?ケン君。」

ミノルは聞き漏らさなかった。彼がケン君と呼ばれていることに。

名前は違うが、確か元居た世界での秋田のあだ名は秋田犬だった。

その下の名前。ケンと一緒だった。

彼もまた、福島奈緒美フクシマ ナオミ同様にそっくりな別人なのだろうか。そんなことを考えているとサトルは唐突に幸せについてケンと呼ぶ男に問うた。

「はい!幸せっす!」

ケンは何のためらいもなくそう答えた。

それに対してミノルは不思議に思った。この決して高級そうではない大衆酒場で騒ぎながら飲むことが彼の幸せなのだろうか?

幸せと言うのはレールの上に沿って順風満帆な人生を送ることじゃないのか?普通にしていれば手に入るそういうものじゃないのか?そして自分は?と考えた。

自分は親友の”死”によって人生を狂わされたといっても過言ではない。

サトルが死んでからさらにファンタジーライトノベルやアニメソングに耽溺した。これは自分を幸せのレールから遠ざけた。彼はそう思っていた。ゆえに、眼前で簡単に幸せですと言う彼が憎たらしかった。そして口を開いた。

「なぜそう言える!?こんな大衆酒場でガヤガヤ騒いで飲むだけで幸せなのか!?」

彼は大きな声を上げたことで周囲から注目を浴びた。この店内には20名ほどの男女が居座っていた。彼らの視線がミノルに注がれる。

「おもしろいから見ているといいよ!」

サトルは大きな声で皆に向かってそう言った。ミノルは親友に対して鋭い目線を送った。しかし、サトルは泰然とし
ていた。これからわかるよ。とでも言いたげな態度であった。そしてケンはふっとまじめな顔つきになった。

「幸せっすよ。こうやって仲間と騒いで楽しいと思える。それはここまで来るのに俺達が苦労したからだ!サトルさんやみんなと一緒にこの大衆酒場で騒げる環境を作ったからだ!」

ケンには自信があった。飲んでいるとは言え本音から出た言葉であった。周囲が静まり返った。彼は興奮して続けた。

「あなたから見たらただのバカ騒ぎかもしれない!でも俺達はこうなるまで団結して頑張ってきたんだ!だからここでみんなと一緒に騒げることが幸せなんだ」

彼の最後の言葉はかみ締めるように発せられた声であった。

ミノルは自分の無知を恥じた。

彼らにも何か事情が会あったのだと理解したからだ。

こんなところで騒ぐだけしか楽しみの無いバカ者どもと思っていた。

しかし、彼らにも事情があったのだ。しかもそれを団結して解決したという。

翻って自分はどうだろう?

ただ普通に育ち自然の成り行きで警察官となり、ファンタジーの世界に耽溺するだけだった。彼らに比べて自分の方が返って矮小な人間に思えた。

そして、彼らを馬鹿にしたのは自分自身が何もしてこなかった人間だということを無意識に自覚し、自力で何かを成し遂げた者たちを本当は羨んでいたからだと気がついた。

周囲を沈黙が覆った。そして、ミノルは言わなければならなかった。

「教えてくれるかな?どうやってこの酒場を作ったのか。どうやって幸せを作り出したのか」

周囲が一度に盛り上がる。拍手がとんだ。口笛が鳴った。彼らは自分達を馬鹿にした者を仲間として迎え入れようとしたのだ。そして自然と人が集まってきた。

「あっしはこのケンというやつとサトルさんと一緒に・・・」

「俺だって一緒に居ただろうが!」

「私だってこのボンクラ旦那と一緒に大富豪のうちまで営業に行ったのものさ!」

酒場は静まり返る前よりもさらに盛り上がった。

ミノルは彼らが如何に苦労して今の環境を作ったのか聞いて回った。そして彼らは嬉しそうに語り始めた。

サトルもそれに混ざっていった。

夜はだんだん更けていった

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