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バキュラビビーの葛藤
茅野宮美郷30歳
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茅野宮美郷30歳。
『レイライト』のブランドでお馴染みの大手プリンター製造会社『頼光科学工業』の営業本部に所属している。
控えめに言っても優秀な営業部員だ。
とにかくコミュニケーション能力が高く、話の糸口になるものはなんでも利用する。
女であるということも利用する。
もちろん枕営業なんてしない。
セクシャルの一歩手前で踏みとどまりながら利用する。
そのバランス感覚が抜群だ。
状況把握能力も高く、気遣いもできる。
『社長秘書になるのではないか』
と、社内のあちこちでささやかれるほどた。
そう、それほど彼女は社内でも顔が広い。
『社内で味方を作ることが仕事の出来につながる』ということを、重々承知しているのだろう。
対社外、対社内ともに気を使う姿勢には恐れ入る。
顔立ちも整っている。
スタイルもいい。
自信のあるオーラが姿勢からも溢れ出ており、スタイルの良さを際立たせている。
そんな彼女なので、当然狙っている男も多かった。
同じ営業本部の春日井翔など、何度も玉砕しているのに、めげることなくアプローチを続けているとか。
そのうちセクハラで訴えられないのか心配である。
そんな男たちを尻目に、婚約が発表されたのが半年ほど前。
暑さの厳しい7月の終わり頃のことだった。
相手はコンサルタント会社『アッセンブリー』所属のエリート、佐山定。
異業種交流会で知り合ったという話だが、本当のところはわからない。
春には結婚式を控えている。
最近は婚約者と2人で足しげく式場に通っている。
式の準備も着々と進んでいるようだ。
うらやましい限りである。
そんな完璧超人な彼女にも弱点はある。
機械操作が極端に苦手なのだ。
これが見事に壊滅的にダメ。
自社製品の説明に必要だから、製品の基本的な使い方だけはマスターするようにしているが、このレクチャーにものすごい時間がかかる。
そして、機械が予想外の動作をするとすぐにテンパる。
「なんで! なんで! 私何もしてないよ!」
テンパったときの口癖がコレである。
そしてだいたい何か余計なことをしている。
違うボタンを押していると場合と、手順を飛ばして操作しようとしている場合が多い。
そして、これが3回続くと赤信号。
「はあ? なんで? 意味わからないんだけど? 壊れてんじゃないの? ちゃんと作ってよ! バカなんじゃないの? アホなんじゃないの?」
だんだん機嫌が悪くなっていき、リミットを超えると暴言が雨あられと降り注ぐ。そして止めようがない。
暴言がおさまるまでひたすら耐えるしかないのだ。
レクチャーするエンジニアとしては地獄の時間だが、いつもエリート然としている彼女の、取り乱したところが見られる貴重な時間でもある。
「いやあ、今回も沢山のご褒美いただきましたな。ごちそうさまでした。グフフフフ」
そんなことを言う猛者もいる。
気持ちが悪いことこの上ない。
さて、本題に入ろう。
新年に入って間もなくだろうか。
茅野宮美郷の様子がおかしくなった。
とは言え、おかしくなったことに気づいた人間は少ないだろう。
おそらく営業本部の人間は誰も気づいていない。
仕事も気遣いも、今まで通り完璧だからだ。
最初に異変に気づいたのはカスタマーエンジニアの山崎大吾だった。
「ちょっと聞いてくだされ郡山氏。大変ですぞ」
「何がですか、山崎さん」
「さっき茅野宮様が普通にサンサンでファックス送ってましたぞ? 誰にも手伝わせずに自分でですぞ?」
サンサンは頼光科学工業製コピーFAX複合機『RayWright3300』の社内でのあだ名だ。
「茅野宮さんだって一度レクチャーされればFAXくらい使えますよ。おおげさだなあ、山崎さんは」
「いや、茅野宮様はサンサンのレクチャーは受けてませんぞ。すぐにサンゴに差し替わりましたからな」
そういえばそうだ。
『RayWright3300』は新機軸を狙ったインターフェイスが大不評で、あっという間に生産中止となった曰く付きの製品である。
在庫も売れる望みが薄いので、社内の事務用複合機として配備されたという事情がある。
失敗した3300の代りとして、急遽生産されたのが『RayWright3500』だ。
茅野宮美郷はコチラの販売にがっつりアサインされたので、3300を売ってまわることはなかったはずだ。
ということは、彼女は3300の特異なインターフェイスの説明を受けていない。
にもかかわらず。
あの、茅野宮美郷が。
誰にも頼らず、あの操作の分かりにくい3300からFAXを送信したというのだ。
「天変地異の前触れですかね……」
「中の人が変わったとしか思えませぬな」
「山崎さん。このこと、ほかの誰かに話しました?」
「郡山氏が初めてですが何か?」
「しばらく周囲には黙っておいて、2人でニマニマ茅野宮ウォッチングしましょうよ」
「ぶほほほほ。茅野宮様ウォッチングとな。そそりますなぁ」
茅野宮ウォッチングを続けてみると、
確かに茅野宮美郷がおかしいことに気がつく。
以前は時間があれば、すぐに外回りに出かけていたものだが、社内に籠ることが多くなっている。
仕事をしていないわけではない。
何をしているかというと、どうも社内資料を読み漁っているようなのだ。
『たまたま勉強に集中している時期なのだ』
と、言われてしまえばそれまでだ。
しかし、おかしいものはおかしい……。
「この違和感。何を隠しているのか、絶対に突き止めて見せますよ」
私は調査内容をまとめた手帳を閉じた。
「茅野宮美郷……」
最初は単純にあこがれていた。
入社して間もない自分のことを気にかけてくれたのは彼女だけだった。
時間が経つに連れ、憧れは恋心に変わっていった。
あの時はいつも彼女のそばにいたいと思っていたものだ。
だが、
「暴言さえ無ければですね」
入社して1年ほど経った頃、パソコンの使い方が分からない彼女のヘルプに行って、思わぬ暴言を喰らうことになった。
私は暴言も暴力も大嫌いだった。
だからその時、私の中に芽生えていた恋心は凍りついた。
しかし、だ。
今の茅野宮美郷が機械に強くなったとすれば、テンパって暴言を吐くこともなくなっているはず。
「暴言を吐かない茅野宮美郷なんて最高じゃないですか」
丹田の下が熱くなるのを感じた。
凍りついていた心が溶けていくのを感じる。
なに? 茅野宮はもうすぐ結婚する?
それがどうしたというのだ。
今、茅野宮美郷には何かとんでもないことが起こっている。
「それを突き止めれば……」
婚約なんて覆せるかもしれない。
私は独り電算室の中で笑う。
目の前では液晶ディスプレイの中でコマンドプロンプトが目まぐるしく動いている。
「さあ、今日はこれで終わりです」
茅野宮美郷のパソコン使用記録が詰まったUSBメモリを抜く。
ジャケットの内ポケットにメモリを仕舞い込むと、私は電算室を後にする。
時刻は23時。
社内には私の他には誰も残っていなかった。
『レイライト』のブランドでお馴染みの大手プリンター製造会社『頼光科学工業』の営業本部に所属している。
控えめに言っても優秀な営業部員だ。
とにかくコミュニケーション能力が高く、話の糸口になるものはなんでも利用する。
女であるということも利用する。
もちろん枕営業なんてしない。
セクシャルの一歩手前で踏みとどまりながら利用する。
そのバランス感覚が抜群だ。
状況把握能力も高く、気遣いもできる。
『社長秘書になるのではないか』
と、社内のあちこちでささやかれるほどた。
そう、それほど彼女は社内でも顔が広い。
『社内で味方を作ることが仕事の出来につながる』ということを、重々承知しているのだろう。
対社外、対社内ともに気を使う姿勢には恐れ入る。
顔立ちも整っている。
スタイルもいい。
自信のあるオーラが姿勢からも溢れ出ており、スタイルの良さを際立たせている。
そんな彼女なので、当然狙っている男も多かった。
同じ営業本部の春日井翔など、何度も玉砕しているのに、めげることなくアプローチを続けているとか。
そのうちセクハラで訴えられないのか心配である。
そんな男たちを尻目に、婚約が発表されたのが半年ほど前。
暑さの厳しい7月の終わり頃のことだった。
相手はコンサルタント会社『アッセンブリー』所属のエリート、佐山定。
異業種交流会で知り合ったという話だが、本当のところはわからない。
春には結婚式を控えている。
最近は婚約者と2人で足しげく式場に通っている。
式の準備も着々と進んでいるようだ。
うらやましい限りである。
そんな完璧超人な彼女にも弱点はある。
機械操作が極端に苦手なのだ。
これが見事に壊滅的にダメ。
自社製品の説明に必要だから、製品の基本的な使い方だけはマスターするようにしているが、このレクチャーにものすごい時間がかかる。
そして、機械が予想外の動作をするとすぐにテンパる。
「なんで! なんで! 私何もしてないよ!」
テンパったときの口癖がコレである。
そしてだいたい何か余計なことをしている。
違うボタンを押していると場合と、手順を飛ばして操作しようとしている場合が多い。
そして、これが3回続くと赤信号。
「はあ? なんで? 意味わからないんだけど? 壊れてんじゃないの? ちゃんと作ってよ! バカなんじゃないの? アホなんじゃないの?」
だんだん機嫌が悪くなっていき、リミットを超えると暴言が雨あられと降り注ぐ。そして止めようがない。
暴言がおさまるまでひたすら耐えるしかないのだ。
レクチャーするエンジニアとしては地獄の時間だが、いつもエリート然としている彼女の、取り乱したところが見られる貴重な時間でもある。
「いやあ、今回も沢山のご褒美いただきましたな。ごちそうさまでした。グフフフフ」
そんなことを言う猛者もいる。
気持ちが悪いことこの上ない。
さて、本題に入ろう。
新年に入って間もなくだろうか。
茅野宮美郷の様子がおかしくなった。
とは言え、おかしくなったことに気づいた人間は少ないだろう。
おそらく営業本部の人間は誰も気づいていない。
仕事も気遣いも、今まで通り完璧だからだ。
最初に異変に気づいたのはカスタマーエンジニアの山崎大吾だった。
「ちょっと聞いてくだされ郡山氏。大変ですぞ」
「何がですか、山崎さん」
「さっき茅野宮様が普通にサンサンでファックス送ってましたぞ? 誰にも手伝わせずに自分でですぞ?」
サンサンは頼光科学工業製コピーFAX複合機『RayWright3300』の社内でのあだ名だ。
「茅野宮さんだって一度レクチャーされればFAXくらい使えますよ。おおげさだなあ、山崎さんは」
「いや、茅野宮様はサンサンのレクチャーは受けてませんぞ。すぐにサンゴに差し替わりましたからな」
そういえばそうだ。
『RayWright3300』は新機軸を狙ったインターフェイスが大不評で、あっという間に生産中止となった曰く付きの製品である。
在庫も売れる望みが薄いので、社内の事務用複合機として配備されたという事情がある。
失敗した3300の代りとして、急遽生産されたのが『RayWright3500』だ。
茅野宮美郷はコチラの販売にがっつりアサインされたので、3300を売ってまわることはなかったはずだ。
ということは、彼女は3300の特異なインターフェイスの説明を受けていない。
にもかかわらず。
あの、茅野宮美郷が。
誰にも頼らず、あの操作の分かりにくい3300からFAXを送信したというのだ。
「天変地異の前触れですかね……」
「中の人が変わったとしか思えませぬな」
「山崎さん。このこと、ほかの誰かに話しました?」
「郡山氏が初めてですが何か?」
「しばらく周囲には黙っておいて、2人でニマニマ茅野宮ウォッチングしましょうよ」
「ぶほほほほ。茅野宮様ウォッチングとな。そそりますなぁ」
茅野宮ウォッチングを続けてみると、
確かに茅野宮美郷がおかしいことに気がつく。
以前は時間があれば、すぐに外回りに出かけていたものだが、社内に籠ることが多くなっている。
仕事をしていないわけではない。
何をしているかというと、どうも社内資料を読み漁っているようなのだ。
『たまたま勉強に集中している時期なのだ』
と、言われてしまえばそれまでだ。
しかし、おかしいものはおかしい……。
「この違和感。何を隠しているのか、絶対に突き止めて見せますよ」
私は調査内容をまとめた手帳を閉じた。
「茅野宮美郷……」
最初は単純にあこがれていた。
入社して間もない自分のことを気にかけてくれたのは彼女だけだった。
時間が経つに連れ、憧れは恋心に変わっていった。
あの時はいつも彼女のそばにいたいと思っていたものだ。
だが、
「暴言さえ無ければですね」
入社して1年ほど経った頃、パソコンの使い方が分からない彼女のヘルプに行って、思わぬ暴言を喰らうことになった。
私は暴言も暴力も大嫌いだった。
だからその時、私の中に芽生えていた恋心は凍りついた。
しかし、だ。
今の茅野宮美郷が機械に強くなったとすれば、テンパって暴言を吐くこともなくなっているはず。
「暴言を吐かない茅野宮美郷なんて最高じゃないですか」
丹田の下が熱くなるのを感じた。
凍りついていた心が溶けていくのを感じる。
なに? 茅野宮はもうすぐ結婚する?
それがどうしたというのだ。
今、茅野宮美郷には何かとんでもないことが起こっている。
「それを突き止めれば……」
婚約なんて覆せるかもしれない。
私は独り電算室の中で笑う。
目の前では液晶ディスプレイの中でコマンドプロンプトが目まぐるしく動いている。
「さあ、今日はこれで終わりです」
茅野宮美郷のパソコン使用記録が詰まったUSBメモリを抜く。
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