〜豊後切支丹王国奇譚〜

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炎の竜と清流の巫女

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 ガアアアアアアア!

 主人の異常を感じ取ったのか、サラマンドラが再度吠えた。サルベエを押しつぶそうとしているのか、ドシンドシンと脚を上げて跳ねまわる。
「わっ! わっ!」
 肩の上の三太は必死にサラマンドラの体にしがみついた。だが、白目をむいているメルクリオと霞を支えながらしがみつくのは無理がある。
「このまま落ちたらみんな終わりや」
 三太はメルクリオから手を離した。メルクリオの体が、巨体な肩から地上へと落下していく。
「恨むなや」
 三太は空いた腕で霞を包むように抱えると、サラマンドラの肌の上を滑り降りた。だが地上まで無事に降りられるわけがない。腰のあたりまで降りたところで宙に投げ出される。
(巫女さまを傷つけるわけにはいかん)
 なんとか体を捻り、霞の下敷きになりながら、三太は地面に落下した。衝撃は半端なものではないが、痛がっている暇はない。
「巫女さま、無事か!?」
 霞をゆするが反応はない。怪我らしいものは見当たらないが、意識は未だに戻らない。
「三太! 無事か!?」
 サルベエの声が近づいてくる。大丈夫だと返事をしようとしたとき、
「農民、ごときが……」
 メルクリオの声が聞こえた。と、同時に背後から組み付かれた。
「さきほどの、お返し、です」
「あんた、まだ生きちょったんか……」
 驚いたが、焦りはない。三太の力なら振り解くのは容易いからだ。
(そのまま投げ飛ばしちゃる)
 そう思ったとき、メルクリオがサラマンドラに向かってを叫んだ。
「サラマンドラ、イグニス!」
 その言葉に応えてサラマンドラの目が赤く燃え上がる。
「こ、今度はなんや?」
 訝しげな三太に、メルクリオは短く答えた。
「焼け、死ね」
 その瞬間。燃えさかる火炎がサラマンドラの口から放たれた。
「馬鹿な!」
 三太のほうに向かっていたサルベエは、あわてて跳び退く。炎が眼前を駆け抜けていった。
「うわあぁぁ! あちい! あちい!」
 三太は炎をまともに浴びることになり、全身を炎に包まれながら地面を転げ回った。
「三太!」
 急いで駆け寄ろうとするサルベエ。だが周囲の草木に燃えうつった炎が行手を阻む。近づくことは容易ではない。
「……よくやりました、サラマンドラ。行きましょう」
 炎の向こうから声が聞こえる。そこには霞を抱えたメルクリオが、平然とした顔で立っていた。
「待て! メルクリオ」
 炎の海をかき分けながら、サルベエはメルクリオを追いかける。だが、
「止まりなさい、サルベエ。近づけば、この女を、殺します」
 メルクリオの冷たい声が聞こえた。
「卑怯な。貴様、神の教えに背くのか!」
「隣人を愛せ、ですか。しかし、残念ながら、あなたも、この女も、私の隣人では、ない」
 メルクリオが口元だけで笑った。
「それより、このままでは、あなたの、隣人が、焼け死にますよ?」
 メルクリオが顎で指した先には、全身焦げ跡だらけになった三太の姿があった。
「サル……ベエ……さま……」
 命が危ないことは一目で分かった。
「助けないのですか? 今なら、まだ、間に合うかも、しれませんよ」
 試すようにメルクリオが言う。サルベエは迷った。ここで三太を助ければメルクリオを取り逃す。しかし、メルクリオを追えば三太は死ぬ。のみならず、霞も殺されるかもしれない。迷いで頭が満ちたところに、
「安心しなさい。私を見逃すなら、この女は殺しません。こんな美しい女、殺したりは、しませんよ」
 意地悪く笑いながらメルクリオが言った。
(ええい、ままよ)
 サルベエは決心した。
「しっかりしろ、三太! 川はすぐそこだ!」
 着物を脱ぎながら炎の中を突っ切る。なんとか三太の元までたどり着くと、着物で三太の体を包んだ。
「死ぬなよ……」
 三太の体を抱えて川に向かってひた走る。
「ハハハハ。本当に、あなたは優しい人だ」
 背後から嘲るような声が聞こえたが、無視する。そして川までたどり着く。
 川の中に三太の体を横たえるとジュウジュウと音を立てて大量の蒸気が舞った。呼吸ができるよう、浅瀬に寝せると呼吸が少し安定したように見える。体中に残る焦げ跡が痛々しいが、体力自慢の三太のことだ。なんとか命は取り止めるかもしれない。
「しかし……」
 サルベエは来た道を振り返る。
 すでにサラマンドラの巨大な影は消えていた。あの大きな足音すら聞こえない。野には残り火がパチパチと燃えている。
「行ってしまったか……」
 もはやメルクリオの姿も、霞の姿もどこにもなかった。
「使命を、果たせなかったのだな、俺は……」
 それを意識すると、全身から力が抜け去っていった。立っていられず川の中に倒れ込む。体が沈み、呼吸ができない。
 だが、このまま溺死してもよいとサルベエは思っていた。
(余計なことを考えず、勤めに専心するのだぞ)
 出掛けにもらった新狗郎の言葉が耳に響く。
(そのとおりだ、俺は大馬鹿野郎だ)
 自らの不出来を呪いながら、サルベエは水底へと沈んでいった。
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