〜豊後切支丹王国奇譚〜

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炎の竜と清流の巫女

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 時は戦国の世。九州の東に豊後と呼ばれる国があった。かの国の中心地は府内と呼ばれ、国王フランシスコの大胆な統治政策により豊かに発展を遂げていた。
 切支丹の聖堂ケントク堂、世界最高峰の医術を持つアルメイダ施療院、最新の知恵と力を研鑽する神学校コレジオなど、独特な施設が立ち並ぶ府内の街は、自他共に認める日本一の大都会であり、その先進性は、他国と比べようもないほどであった。
 この物語は、そんな最先端国際都市、豊後国府内で起こった、誰にも伝えられることがなかった物語である。

 ~~

 神学校コレジオ内に設えられた訓練場では、二人の若武者が剣を抜いて双対していた。
 コレジオ初の免許皆伝候補二名。最終試練として、彼らに一騎打ちが課されているのだ。
「田北殿はどう見ますかな?」
 見極め役の田原親賢は隣に立つ田北紹鉄に聞いた。
「田原殿と同じよ。剣の腕では比べるまでもなかろう」
 田北は片方の若者を顎で指す。
 大柄な上背に引き締まった体躯。諸手に刀を持ち上段に構えている。正統派の構えで相手を静かに見据えている。
「やはりサルベエのほうが上手と見るか」
 田原は顎髭をこすりながらうむうむとうなずいた。
 若者の名前は吉兼甚八。洗礼名をサルベエスという。手長ザルのような風貌も相まって、みな彼のことを親しみをこめてサルベエと呼んでいた。
「浅賀新狗郎もなかなかの使い手ではあるのですがな」
 もう一人の、華奢な若者に目を移す。
 正統派のサルベエとは違い、細身の剣を片手に持ち、真っ直ぐに相手に向かって突きつけている。空いた左手は腰に固定しており、腰を深く落とすことで体のの均衡を保っている。
 邪道な構えにもかかわらず、その姿に隙は見られない。
「南蛮剣術をここまで扱えるのは、あやつくらいのものよ」
 田原は感心したよう言う。だが、その言葉は哀れみを帯びていた。
「あと一歩、生来の体力に恵まれておれば、まったく違ったであろうにな」
 残念ながら浅賀新狗郎は生まれつき虚弱な体だった。訓練により体力を身につけ、体力を補うための技術を人一倍学んできたのだが、純粋な体力で劣ることは剣士として致命的な弱点だった。
「では田原殿は、サルベエの勝ちは揺るがないと見ておりますか」
 田北が意地悪そうに言う。
「さて、どうでしょうな」
 田原はとぼけたように田北の言葉を躱した。
 田原と田北が会話している間も、二人の若武者は微動だにしない。
 相手に隙ができるのを注意深く伺いながら時間だけが過ぎていた。
 ふと、太陽が雲に隠れ、二人の上に影が差す。それでも二人は動かない。雲が動き、再び太陽が顔を出す。
 光が新狗郎の顔にチラついたその瞬間、サルベエが動いた。
「キエエエエエエエ!!!」
 奇声と共に一瞬にして間を詰め、気迫のこもった刀を袈裟懸けに振り下ろす。当たれば無事ではいられない、必殺の一撃だった。
 しかし新狗郎は怯まない。冷静に右足を軸に身体を回転させ、最小限の動きでサルベエの剛剣を躱してみせる。すぐさま右手の剣で反撃に転じ……ようとして、大きく後ろに跳び退く。
 新狗郎の眼前を、サルベエの切り返した刀が唸りを上げて空振りしていった。
「さすがはサルじゃ。力任せじゃが素早いのぉ……」
 田原が呆れたように言った。
 二撃目を放ったサルベエの体勢が整い終わる前に、今度は新狗郎が仕掛けた。
 ヒュンヒュンヒュンと細かく剣を振りながら、サルベエに向かって間合いを詰める。
「なんとも小うるさい剣術じゃ。相手にすると、さぞやりにくかろうな」
 威嚇であるのは明らかで、当たっても大したことないのだが、目の前で斬撃を連発されれば怯まずにはいられない。
 繰り出される数多の斬撃に翻弄されぬようにと、サルベエは構えを崩さずに立つだけで精一杯だった。
 だが、微動だにできずにいるうちに、気がつけば、新狗郎の間合いまで侵入を許していた。
「いくぞ」
 新狗郎の美声が修練場に響いた。
 同時に新狗郎の斬撃が加速する。今度は威嚇ではない。新狗郎の繰り出す無数の斬撃がサルベエの身体をあらゆる方向から削り取っていく。
 防御は間に合わない。それを悟ったサルベエは、
「うおおおおおおおおおお!!」
 刀を左手で地面に突き刺すと、全身全霊の力を込めて右の拳を新狗郎に向かって繰り出した。素早く動き回っていた新狗郎だが、
「ごふっ!」
 まともにサルベエの拳を受けてしまい、呻き声を上げながら吹き飛んだ。
 新狗郎の体が宙に舞う。
(決まったか?)
 と、田北は思ったが、新狗郎はまだ諦めていない。
 宙に浮きつつも、その手は剣を握ったまま離さない。持ち前の身の軽さで、体勢を整えながら着地。
 一方のサルベエは、まだ地面に刺した刀を引き抜くところだ。
 新狗郎は即座に攻撃に転じた。サルベエの喉元目がけて渾身の突きを繰り出す。
 だがサルベエの動きも早い。片手で軽々と刀を引き抜きそのまま新狗郎目掛けて振り下ろす。新狗郎の剣の切っ先がサルベエの喉元に届く前に、サルベエの刀が新狗郎の脳天に到達しようとしていた。
 新狗郎に小細工に走る余裕などない。目を閉じサルベエに向かって突進する。

「そこまでじゃあ!」

 大きな声が訓練場に響いた。田北の声ではない。そして田原の声でもなかった。
「と、殿?」
 田北の後ろに、ビロードのマントを羽織った大柄な老人が立っていた。
「いかにも。ドン・フランシスコである。やはりこの目で試合を見たくてな」
 国王フランシスコは豪快に笑った。
「浅賀新狗郎、前を見るがいい。そなたの勝ちだ」
 唐突な国王の闖入に固まっていた新狗郎は、国王の声に従い前、つまりサルベエの方を見た。剣の切っ先はサルベエの喉元に届いていた。
「拙者の勝ちなのですか?」
 信じられないと言うように呟く新狗郎に、
「やはりお前には敵わなかったな。完敗だ」
 サルベエはそういうと、振り下ろしかけの刀を鞘にしまった。
「よかったな、殿に士官するのはお主だ」
 心底嬉しそうにサルベエは言う。
「サルベエ、お主まさか……」
 新狗郎が問いただそうとしたとき、
「何を言っておるサルベエよ。お主もじゃ」
 フランシスコが割って入った。
「しかし拙者は一騎討ちに敗れ申した。殿にお仕えする資格はありませぬ」
「たわけが。ワシの目は節穴ではないぞ?」
 フランシスコの目がサルベエをじろりと睨む。
「まあよい。二人とも付いてくるが良い」
 そう言うなりフランシスコは歩き出した。サルベエも新狗郎も慌てて後を追う。
「二人とも召抱えじゃ! 豊後初のナイトとしてな!」
 晴天の下、フランシスコの大声が街中に轟いた。
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