碧海のサルティーナ

あんさん

文字の大きさ
上 下
3 / 10
第1章 邂逅

第3話 出発準備

しおりを挟む
「名前は?何と呼ばせて貰えばいい?」

 諦めた様に首を一振りしてやれやれのポーズの後、ビジネスモードに切り替え、少女に声を掛けた。
 カリーナがここまで言うのは、俺への信用もあるのだろうからこれ以上の抵抗は諦めた。

「え?ああ、そうですね……では、アリスでお願いします」

 清々しいまでの偽名を、先程と同じく見た目を裏切らない凛と響く声で返事する。話し方だけで育ちの良さがうかがえる返答だった。
 何故そんな娘がそんなにお上品な仕事などしていない俺に頼んでくるのか分からない。
 少し間があったので名前は今考えた偽名かも知れない。本当に厄介事じゃないのだろうなと不安になる…

「OK、アリスさん。幾つか細かいことを打ち合わせしたいので、そこに掛けてくれないか」

 勝手に応接用のソファーを指定したが、無茶振りしたのだからそれくらいいいだろう。
 カリーナは満足そうに頷きながら、アリスにソファーに掛ける様に促す。立ち姿だけでなく座っている姿も隙が無かった。
 その隣にカリーナが腰を掛けるが、見張ってなくとも騙すような真似はプライドに掛けてしないわ。

「俺はフィンだ。仕事上のコードネームはガネットシロカツオドリで通っている。どちらでも好きな方で呼んでくれればいい」

「はい、フィン様」

「……様は要らない、フィンでいい」

 流石に『様』で呼ばれるのは性に合わなかった。そんなにお上品な育ちはしていない。

「はい、ではフィンさんで」

「……まぁいい、では先ず目的地から聞こうか。諸島サルティーナとは聞いたがどの島になる?」

「エレミーナよ。それもあって彼方を呼んだの」

 カリーナがニヤっとしながら横から答える。エレミーナは諸島の中で三番目に大きな島で、北寄りにあるため北方大陸の関係者が多く住んでいる。別荘やバカンスの為のホテルが充実しているのも特徴だ。
 そしてわが社ガネット・エア・デリバリー・サービス――と言っても個人経営だが――が拠点を構えている島だった。

「OK判った。エレミーナなら確かに俺の都合は良い。ただ機体は今メンテしているから出発まで少しかかる。諸島に帰るにはそれから飛んだとして到着は夜になる。飛行機は乗ったことがあるかい?」

「いいえ、初めてです」

「なら安全を考えれば日中のフライトがお勧めだ。初めての飛行で夜間の着水はちょっとハードルが高いんだ。それに極偶に空間失調という状態でパニックになる場合があって勧められない」

 暗くなる水面に降下していくのは結構な恐怖を伴うので初心者にはお勧めできないのだ。もっとも平気な奴も大勢いるのでこればかりは経験してみないと判らない。だが、明らかなお嬢さん相手にそれを試すのは遠慮したい。

「なので急ぎでなければ出発は明日の朝にしようと思うが構わないか?昼食は少し遅めだが島で取れるだろう」

「…そうなのですね。早い方が望ましいですが、明日でも問題ありません。よろしくお願いします」

「で、次は料金だが半分は前払い、残りは到着払いだ。何かあっても前金は返却しない。金額は聞いているか?」

「おおよそは聞いています。もっとも交渉次第だとも聞いております」

 アリスはにっこりしながら返事を返す。簡単に騙せる感じでは無さそうだ。

「本来であれば呼び出されているので往復分を請求するのだが、カリーナの紹介なので片道分でいい。
 北大陸から諸島サルティーナまでは貸し切りで基本金貨五枚、荷物が標準規格一つ辺り金貨一枚相場だがいいか?」

 標準規格は貨物輸送の為に規定された大きさの規格で一辺百七十センチメール程の正方形だ。もっとも飛行機によっては正方形では載せられないので、三辺合計で五メートルであれば標準と同等に扱かわれていた。
 重さは二百キログラム未満となっている。

「判りました。荷物は旅行用トランクだけですので、金貨六枚でよろしかったでしょうか?」

「…ああ、それで構わない」

 金貨一枚あれば一般庶民の家族五人が二カ月暮らせるので、決して安い金額ではない。
 表情一つ変えずにっこりと納得したのはちょっと予想を外した。正規航路の一等席の三倍だから、流石に高いというかと思ったのだが…

(やはり良い所のお嬢さんなんだろうな。それにしてもお忍びなのは何故だ…)

「あとカリーナ、明日アリスさんに着せるフライト服と靴を準備してくれ。そのドレスじゃ汚れちまう」

「判ったわ、まかされて」

「頼むぞ、服は次にここに来るときに返す」

「何なら代金はツケにしておいてもいいわよ」

「…勘弁してくれ…」

「アリスさんはその服を着て、明日の朝六時にココに来てくれ。場所はこれで判るか?」

 メモ書きで待ち合わせの場所を示す。

「ええ、ここは先程飛行機を泊めていた場所ですよね」

「ああ、よく知っているな」

「ちょうど先程の着水を見ていました。すごく滑らかでちょっと印象的でした」

「そうか、ありがとう」

(飛行機は初めてと言う割にはよく見てるな…)

「朝食は軽く済ますこと。水分は控えめにすること。トイレもすましておいてくれ」

 そして最大の懸念を口にする。

「トイレは無いわけではないのだがオープン席だ…あーなのでお嬢さんには失礼だが心配ならおむつは準備する…」

(これがあるから旅客は嫌なんだよ、カリーナの野郎め…)

「お嬢さんではなくアリスで!」

 と言われた後の沈黙が気まずかった。


 ◇◇◇◇◇


「すまない、でアリスさんそういう事なので意識しておいてくれ」

「…判りました、大丈夫です」

 暫くしてやっと答えたもののさすがにちょっとおむつは恥ずかしい。と言って男性の前で(一応後ろになるので直接見えないそうだが)トイレをするなど考えられない。

(旅客便ではなく足のつきにくい貨物輸送の小型機を選択したのは、ちょっと失敗しちゃったかも?)

 そう少し後悔をするが仕方ないわと腹を括る。

「OK、アリスさん、では短い間だけどよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 この場合は握手したほうが良いわよね、と手を差し出す。大きな手には操縦桿を握り続けていたのだろう、硬いタコがあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勿忘草~尚也side~

古紫汐桜
青春
俺の世界は……ずっとみちるだけだった ある日突然、みちるの前から姿を消した尚也 尚也sideの物語

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

秘密のキス

廣瀬純一
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

放課後はネットで待ち合わせ

星名柚花(恋愛小説大賞参加中)
青春
【カクヨム×魔法のiらんどコンテスト特別賞受賞作】 高校入学を控えた前日、山科萌はいつものメンバーとオンラインゲームで遊んでいた。 何気なく「明日入学式だ」と言ったことから、ゲーム友達「ルビー」も同じ高校に通うことが判明。 翌日、萌はルビーと出会う。 女性アバターを使っていたルビーの正体は、ゲーム好きな美少年だった。 彼から女子避けのために「彼女のふりをしてほしい」と頼まれた萌。 初めはただのフリだったけれど、だんだん彼のことが気になるようになり…?

M性に目覚めた若かりしころの思い出

kazu106
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、それをはじめて自覚した中学時代の体験になります。歳を重ねた者の、人生の回顧録のひとつとして、読んでいただけましたら幸いです。 一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

榛名の園

ひかり企画
青春
荒れた14歳から17歳位までの、女子少年院経験記など、あたしの自伝小説を書いて見ました。

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

処理中です...