一方通行の恋

天海みつき

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 本当は、気付いていた。夏の初めころから、いや、それ以前からも、冴矢に対する感情はたった一つだったのだろう。でも、臆病な奈緒に、それがそうだと名づけ受け入れる事は、崖から身を投げるくらいに難しいことだった。

 「恋愛は、自分の心の最も柔かい所を差し出すことによって成立する。意志を持って爪を立てれば簡単に破れ、致命傷となる」

 昔読んだ漫画にそんな一節があったな。そんな風に奈緒はぼんやりと思った。冬休み。生徒たちは一足先に休みを謳歌している――もしくは呻いている頃。流石に正月は休まないはずもなく。大晦日を前に、安アパートでぼんやりしていた。

 綺麗好きが功を奏して、大掃除は全く苦労しなかった。実家にも久しく帰っていないが、特に帰る理由もない。暇を持て余し、奈緒は外出することにした。

 特に予定も決めずに外へ繰り出した奈緒だったが、途端に襲い掛かってくる針の様に鋭く冷たい空気に身をすくませた。冬より夏の方が得意なんだよ、アイツと違って。そんな風に思って、慌てて頭を振った。家に帰っても余計な事しか考えない、と気の向くままに歩き出した。


 「で、どうして俺はこんな所にいる。重症か」

 呆然と見上げたのは、何を隠そう、夏に冴矢と来た建物。今は別の展示会をやっているらしい。特に興味を引かれる展示会ではないのに、と思って、諦めたように否定した。ここに来たのは、意識を逸らそうとしたその相手と来た場所だから。意識を逸らすという事は、意識しているという事。

 「オートパイロットって怖……」

 ため息をついて頭を振る。場所と気分を変えようと、踵を返そうとしたその時。

 「奈緒?」

 後ろから掛けられた声に、奈緒は硬直した。



 「久しぶりだな。まさかこんな所で会えるとは思ってなかった」
 「俺も」

 居心地悪そうに奈緒は身じろぎした。よりによってどうしてアイツと来た喫茶店なんだよ、と内心毒づきながらチラリと目の前の男に視線を投げる。困ったような顔で笑いながら暖かいコーヒーを待つ男。

 かつて、奈緒が何よりも愛した男――戸松奏こまつみなと

 「前、この近くで見かけた」
 「嘘。何時?声かけてくれればよかったのに」

 あっさりという男が憎たらしい。イラッとした感情のまま、厭味ったらしく投げつける。

 「夏。ちょっと小柄な男と仲良さそうに歩いてたでしょ。この先のショッピングモールに向かって」
 「夏。小柄。ショッピングモール。……ああ、もしかしてコイツ?」

 難しい顔で天を睨みつける。ああ、この仕草アイツに似ているとぼんやり思って、その次の不躾な台詞に眉を上げる。奏は見てみぬふりをしてスマホを向けてくる。渋々覗き込むが、実際その相手をよく見たわけではない。素っ気なくスマホを押し返す。

 「後ろ姿ちょっと見たくらいだから分からない」
 「これ以外に心当たりないんだけど」

 つれないな、と苦笑する男に冷笑を向ける。それがなんだ、と冷ややかに問うてくる奈緒。スマホを裏返して机においた奏は微苦笑する。

 「コイツ、従弟。何故か昔っから俺に懐いてて。そんなんじゃ彼女に振られるぞ、って言うんだけどそれは別って甘えられてな。赤ん坊のころから知ってるせいか、俺としても可愛くて」
 「あっそ」

 言外に、恋人じゃないし、彼女もいる、小さい頃から知ってる家族だから恋愛対象に慣れない、とアピールされているのには気付いた。しかし、それがなんだ、と睨みつける。だからと言って、この男にされた事を忘れていない。

 「俺がまだ、許せないか」
 「当然だろ」

 心を読んだかのタイミングで問われる。考えるまでもない返答。だよな、と目を伏せた男はクシャリと前髪を握りつぶした。

 「あの時、奈緒と別れた時。俺は精神的にやられてた。後から、滅茶苦茶後悔した」
 「だろうな」

 当時、奏は仕事の都合で非常に荒れていた。奈緒と一生沿い続ける。その決意を元に仕事をしていたはずが、仕事に飲み込まれ。家族に話せば、怖ろしいものを見る目で睨まれ罵倒された。奏もつらかったが、指を差されて直接非難された奈緒も、心に深い傷を負った。そうして徐々に軋んでいった二人の関係は、ある日、決定的な亀裂が入った。

 「なんで俺がこんな目に、なんでお前は女じゃない、なんで俺はこんな事で苦しんでる、何で俺はお前と付き合ったんだ」
 「はは。言ったな、そんな事」

 自身の仕事の傍ら、壊れていく恋人を支えていたのは奈緒だった。献身的ともいえたその姿は、当時の奏には有難いもののはずだった。しかし、疲弊した奏は、在ろうことかその苛立ちを全て奈緒に向けたのだ。どうして、と。

 臆面もなく甘えられたのが奈緒だけだった、と言えば聞こえはいいが、奈緒も当時はギリギリの精神状態だった。恋人の心ない言葉に致命傷を負わされたのだ。

 それでも好きだ、と告げた奈緒に告げられたのは、別れたい、別れるの二言で。次に奈緒が目にした奏の姿は、可愛らしい女性と寄り添う姿だったのだ。それで精神崩壊しない方が、おかしいだろう。

 「何が後悔した、だ。ふざけるのも大概にしろ」
 「だな。でも、後悔した。女と付き合っても、周囲の賛同は得られようが満たされなかった。男がいいのかと思っても、そもそも無理だった。奈緒だったから、満たされてたんだってやっと気づいた」

 真剣に愛した男の、真剣な懺悔と求愛。

 「もう、あんなことはしない。あんな思いはさせない。だから、もう一度チャンスを下さい」

 奈緒はぐっと胸元を握りしめた。胸が痛くて、泣きそうになった。

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