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しおりを挟む汚れちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる
暑い夏のとある日。ご褒美と称して二人は中原中也の展示会に行っていた。息をしているだけで喉が空気に焼かれ、立っているだけでジワリと汗がにじむ。程よく空調の効いた場所に着いた時には、無意識に息をついていた。
「溶けんなよ」
「ちょっと難しい注文」
ちょっと外を歩いただけでもクッタリとしていく冴矢。何時もは飄々として掴みどころのない、完璧に見える教え子の、隙だらけな姿。クスクス笑ってやると、気まずそうに目を逸らした。
「先生の前じゃあカッコつけたかったのに」
「ばぁか、百年早いわガキの癖に」
置いていくぞ、と歩き出す。冴矢が慌ててちょこまかとついてくるのだが、どうにも大型犬を散歩している気分になる。笑いをかみ殺しながら、チケットを購入する。
「学生一人、大人一人」
チケット売り場の販売員に声を掛けると金額が告げられる。財布を出す奈緒だったが、既に学生証と共に千円札が差し出される。
「おい。ご褒美なんだろ。しかも年下に奢られるほど切羽詰まってない」
「大丈夫。これは俺の分だから」
何が大丈夫だ、と突っ込むがどこ吹く風。さっさと展示室の方に歩いていく。慌ててチケットを受け取り残りを清算する。いい子で待っていた冴矢に千円札を渡そうとするが、一行に受け取らない。
「黒瀬!」
「すみません、この人がチケット二枚持ってるんですけど」
しれっとスタッフに声を掛け始める冴矢。スタッフの視線を受けてチケットを渡す。切り取り線で半分になったチケットを受け取った時には冴矢に置いて行かれていた。
「くろ」
「ここ、展示室。静かにしなきゃ」
しー、と唇に指をあてて微笑まれる。子供に言い聞かせるような物言いにイラッと来るが、もっともな台詞なので口を閉じる。千円札を押し付けようと思ったが、こんな所でお金のやり取りをするのも無粋だし、何のかんので受け取らないだろう。カバンに忍ばせようにもそもそもカバンを持っていない。
「可愛くない」
「ふふふ」
ぼそりと呟くと笑われた。これ以上騒ぐわけにはいかないので、その脇腹に勢いよく肘鉄を打ち込むことでお相子にする。
「ゔっ……」
くぐもった声と共に長身が崩れ落ちるのを横目で見てその傍をすり抜ける。ざまあみろ、と囁きかけて。
展示会は面白かった。中原中也に関する品や、その詩が展示されていた。その一つに、「汚れちまった悲しみに」があった。
「ちょっと今の季節には似合わないかな」
「雪降るどころか思いっきり炎天下だからな」
足を止めてその詩に魅入る。この詩好きなんだよね。ぼそり、と冴矢が呟いた。
「意外だな」
「汚れちまった悲しみは 倦怠のうちに死を夢む」
ゾクリとするほどに冷ややかな声だった。それこそ、雪の積もる日のような突き刺さる冷たさと、何もない空虚さ。そんな言葉と声が隣の男から出てきたのに驚いて、奈緒は目を見開いた。そっとその横顔を窺うと、何時も柔らかな笑みをたたえる顔から色が抜け落ち、その瞳は何も移さないガラスのようで。
「くろせ……?」
「……っ、なぁんてね」
ぱっと現実世界に戻って来た冴矢が、悪戯っぽく笑う。
「朗読、うまいでしょ」
「俺は、嫌いだ」
「酷いぃ」
しくしくとなく真似をする冴矢。そんな彼をおいて、奈緒は先へと進んだ。
嫌いだ、と思った。あんな顔をして詩を口ずさむ黒瀬なんて。あんなの、黒瀬じゃない。
「何時も能天気に笑ってればいいんだよ、お前は」
人知れず、そんな風に呟いた。
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