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不穏の色
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「で?なにか申し開きは?」
「……むしゃくしゃしてやった。後悔していない……?」
「ああ?」
驚くほど広い訳ではないが、狭くもないリビングにて。仁王立ちで額に青筋を浮かべる男が一人と、正座をして引きつった笑みを浮かべる青年が一人。余りの剣幕に思わず青年がボケるが、地を這うおどろおどろしい声に青ざめた。
「もっかい言ってみろ。何だって?」
「ごめんなさい反省しています。出来心だったんです」
じろりと睨みつけられて、常盤は慌てて謝罪した。どうしようと目が泳ぎまくっている彼を前に、青藍は盛大なため息をついた。引きつる蟀谷を揉んで、半眼のまま飼い猫を睨みつける。ここまで来て開き直ったのだろうか、常盤が赤い唇を尖らせてブツブツと呟いている。
「いや、申し開きは?って聞かれたらあのセリフ吐きたくならない?」
「そっちじゃねぇってのこの馬鹿猫!」
思い切りズレた方向に謝罪をしていた事が発覚し、超弩級の雷が降った。とある晴天の日であった。
「ったく。お前の頭は飾りか。相変わらず猫の癖に鳥なのか」
「うーん。頭がくらくらするぅ」
至近距離で叱声を受けた常盤が目を回している。ゴツン、とその頭に拳骨を落とした青藍がため息をついて、近くに放り捨てていた袋からバインダーを取り出す。そこまで来て、ああそっちの話と納得した様子の常盤。スパン、と音を立ててその頭にバインダーが振り下ろされる。
「あて」
「絵は捨てるなファイリングしとけって何度言ったら分るんだ。作品は大切にしろ」
「えー。だって別に大したものじゃないもん。著名な画家の絵じゃあるまいしぃ」
事の発端は、常盤が自分の絵をミックスペーパーで出していた事が発覚したこと。どうやら学習能力に乏しい飼い猫は、うっかりするとゴミで出してしまうらしい。前科何犯だ、と青藍はため息を飲み込む。しぶしぶと言った体で残った周辺の絵を拾い集めてファイリングしていく。その様子を腕組みしてみていた青藍だったが、すっと目を細めた。
常盤は青藍の買い与えた色鉛筆で描いた絵は丁寧に扱って保管している。青藍が書いた小説も、1ページ1ページをそっとめくっては大切そうに読む。それ以外のものも、至極丁寧とまではいかないが、粗雑に扱う事もない。彼が無造作に処理するのは彼の描いた絵だけ。
「なら、お前が著名な画家になったら大切にするのか?」
「なんか論理が飛躍してるぅ」
ズバリ切り込んでみると、案の定常盤は嫌そうな顔でそっぽを向いた。如何にもその話をしたくありませんという態度の常盤。不貞腐れて丸まってしまった猫に近づき、そっとその頭を撫でる。への字に曲がった口元が、まだご機嫌斜めですと主張しつつも、心地よさそうに目を細める常盤。サラリとした感触を楽しみながら、青藍は口を開いた。
「そんなに嫌か」
「……あんな思い、もうしたくない」
「人に裏切られることなんて、幾らでもあるだろう。それこそ、信頼していた人とか、な」
青藍の脳裏に浮かぶのは、今はもうない小説投稿サイトのアカウント。そこでの苦い経験は、今尚青藍に暗い影を落としている。常盤と千歳の話から、似たようなものじゃないかと推測したのだが、常盤はそっと首を振った。
「怖いのは、絵が嫌いになる事。嫌いになったら、どうやって生きていけばいいのか分からない」
虚を突かれた青藍が息をのむ。絵を描かなくても生きていける、と安っぽい慰めを掛けるには、常盤の事を知りすぎた。常盤は絵を描かなければ生きていけない。それは絶対的な事実だった。
「俺には、絵を描く事しか出来ないから。絵だけが俺の拠り所だから」
そう言って儚く笑った常盤。青藍は思わずその華奢な体を抱きしめていた。
「え、ちょ、青藍?!」
「絵を描かないと生きていけないのは理解できる。それ以外が壊滅的なのも良く分かってる。それはいい。だが、それだけが拠り所なんていうな。それくらいなら、拠り所に俺を加えとけ馬鹿猫」
「ふえ?!」
骨の浮いた細い体。その中には、溢れんばかりの感情とエネルギーが詰まっている。暖かな体温越しにそれを感じ、青藍は呻くように、しかし、熱く熱く常盤の耳に囁きかける。突然の事に固まり、そして暴れ出した常盤だったが、きわどい発言に顔を真っ赤に染めて再び動きを止めた。涙目で視線が泳ぎ続ける常盤を見た青藍が噴き出した。喉の奥でクツクツと笑っている。
「せぃらんー!」
「あははは!」
必死に睨みつけてくる常盤だが、赤い顔に涙目では全く怖くはない。寧ろ、常盤に自分の事を男として意識させられたと思い、青藍は満足そうに笑った。
千歳と仕事をして画家になるかどうかは、結局は常盤の意思による。青藍は共に悩み、答えを探す事は出来るが、そこまでだ。そして、今現在は、その地点すら到達できていない。今の青藍にとっては、そこに到達する事が、今現在で一番重要な事だったのだ。
そしてその地位の名を、"頼れる同居人"でもなく、"口やかましい保護者"でもなく。"恋人"とすることが何よりも重要だった。その足掛かりになったのでは、と確信し青藍はだらしなく緩みそうな顔を隠さなければならなかった。
なので、そのまま上機嫌にキッチンへと消えていく。半泣き状態の常盤が崩れ落ちたのをそのままに。
だから、青藍は気付かなかったのだ。のろのろと顔だけ上げた常盤が恨めしそうに青藍の背中を見ていたことを。
「青藍には分らないもん。俺の気持ちの居場所も、俺の感じた恐怖も。青藍には、本当の意味でなんか絶対に分からない」
そう呟いていた事も。常盤の脳裏には、顔も知らぬ美しい女性の姿があった。
少しずつ、二人の心がすれ違っていく。
**********
すみません。ストックが切れたので、週一更新に戻ります。金曜日更新予定です。
(あくまで予定です。その時の気分次第かも…)
「……むしゃくしゃしてやった。後悔していない……?」
「ああ?」
驚くほど広い訳ではないが、狭くもないリビングにて。仁王立ちで額に青筋を浮かべる男が一人と、正座をして引きつった笑みを浮かべる青年が一人。余りの剣幕に思わず青年がボケるが、地を這うおどろおどろしい声に青ざめた。
「もっかい言ってみろ。何だって?」
「ごめんなさい反省しています。出来心だったんです」
じろりと睨みつけられて、常盤は慌てて謝罪した。どうしようと目が泳ぎまくっている彼を前に、青藍は盛大なため息をついた。引きつる蟀谷を揉んで、半眼のまま飼い猫を睨みつける。ここまで来て開き直ったのだろうか、常盤が赤い唇を尖らせてブツブツと呟いている。
「いや、申し開きは?って聞かれたらあのセリフ吐きたくならない?」
「そっちじゃねぇってのこの馬鹿猫!」
思い切りズレた方向に謝罪をしていた事が発覚し、超弩級の雷が降った。とある晴天の日であった。
「ったく。お前の頭は飾りか。相変わらず猫の癖に鳥なのか」
「うーん。頭がくらくらするぅ」
至近距離で叱声を受けた常盤が目を回している。ゴツン、とその頭に拳骨を落とした青藍がため息をついて、近くに放り捨てていた袋からバインダーを取り出す。そこまで来て、ああそっちの話と納得した様子の常盤。スパン、と音を立ててその頭にバインダーが振り下ろされる。
「あて」
「絵は捨てるなファイリングしとけって何度言ったら分るんだ。作品は大切にしろ」
「えー。だって別に大したものじゃないもん。著名な画家の絵じゃあるまいしぃ」
事の発端は、常盤が自分の絵をミックスペーパーで出していた事が発覚したこと。どうやら学習能力に乏しい飼い猫は、うっかりするとゴミで出してしまうらしい。前科何犯だ、と青藍はため息を飲み込む。しぶしぶと言った体で残った周辺の絵を拾い集めてファイリングしていく。その様子を腕組みしてみていた青藍だったが、すっと目を細めた。
常盤は青藍の買い与えた色鉛筆で描いた絵は丁寧に扱って保管している。青藍が書いた小説も、1ページ1ページをそっとめくっては大切そうに読む。それ以外のものも、至極丁寧とまではいかないが、粗雑に扱う事もない。彼が無造作に処理するのは彼の描いた絵だけ。
「なら、お前が著名な画家になったら大切にするのか?」
「なんか論理が飛躍してるぅ」
ズバリ切り込んでみると、案の定常盤は嫌そうな顔でそっぽを向いた。如何にもその話をしたくありませんという態度の常盤。不貞腐れて丸まってしまった猫に近づき、そっとその頭を撫でる。への字に曲がった口元が、まだご機嫌斜めですと主張しつつも、心地よさそうに目を細める常盤。サラリとした感触を楽しみながら、青藍は口を開いた。
「そんなに嫌か」
「……あんな思い、もうしたくない」
「人に裏切られることなんて、幾らでもあるだろう。それこそ、信頼していた人とか、な」
青藍の脳裏に浮かぶのは、今はもうない小説投稿サイトのアカウント。そこでの苦い経験は、今尚青藍に暗い影を落としている。常盤と千歳の話から、似たようなものじゃないかと推測したのだが、常盤はそっと首を振った。
「怖いのは、絵が嫌いになる事。嫌いになったら、どうやって生きていけばいいのか分からない」
虚を突かれた青藍が息をのむ。絵を描かなくても生きていける、と安っぽい慰めを掛けるには、常盤の事を知りすぎた。常盤は絵を描かなければ生きていけない。それは絶対的な事実だった。
「俺には、絵を描く事しか出来ないから。絵だけが俺の拠り所だから」
そう言って儚く笑った常盤。青藍は思わずその華奢な体を抱きしめていた。
「え、ちょ、青藍?!」
「絵を描かないと生きていけないのは理解できる。それ以外が壊滅的なのも良く分かってる。それはいい。だが、それだけが拠り所なんていうな。それくらいなら、拠り所に俺を加えとけ馬鹿猫」
「ふえ?!」
骨の浮いた細い体。その中には、溢れんばかりの感情とエネルギーが詰まっている。暖かな体温越しにそれを感じ、青藍は呻くように、しかし、熱く熱く常盤の耳に囁きかける。突然の事に固まり、そして暴れ出した常盤だったが、きわどい発言に顔を真っ赤に染めて再び動きを止めた。涙目で視線が泳ぎ続ける常盤を見た青藍が噴き出した。喉の奥でクツクツと笑っている。
「せぃらんー!」
「あははは!」
必死に睨みつけてくる常盤だが、赤い顔に涙目では全く怖くはない。寧ろ、常盤に自分の事を男として意識させられたと思い、青藍は満足そうに笑った。
千歳と仕事をして画家になるかどうかは、結局は常盤の意思による。青藍は共に悩み、答えを探す事は出来るが、そこまでだ。そして、今現在は、その地点すら到達できていない。今の青藍にとっては、そこに到達する事が、今現在で一番重要な事だったのだ。
そしてその地位の名を、"頼れる同居人"でもなく、"口やかましい保護者"でもなく。"恋人"とすることが何よりも重要だった。その足掛かりになったのでは、と確信し青藍はだらしなく緩みそうな顔を隠さなければならなかった。
なので、そのまま上機嫌にキッチンへと消えていく。半泣き状態の常盤が崩れ落ちたのをそのままに。
だから、青藍は気付かなかったのだ。のろのろと顔だけ上げた常盤が恨めしそうに青藍の背中を見ていたことを。
「青藍には分らないもん。俺の気持ちの居場所も、俺の感じた恐怖も。青藍には、本当の意味でなんか絶対に分からない」
そう呟いていた事も。常盤の脳裏には、顔も知らぬ美しい女性の姿があった。
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