恋にするには苦しくて

天海みつき

文字の大きさ
上 下
5 / 16

4

しおりを挟む

 12年前。

 このファスリエルには国王夫婦との王子と一人の王女が君臨していた。第一王子、イリアス。第二王子、エルドレッド。4つ歳の離れた兄弟は非常に中がよく、優しい兄と闊達な弟のじゃれ合いは城中、いや、国中を微笑ませていた。元気に走り回る事が好きだが、生まれつき体の弱いエルドレッドはよく熱を出していた。その為、周囲からは過保護に育てられ膨れっ面になる事が多々あった。そんな弟を宥めつつも、誰より過保護で誰より甘く、同時に誰よりもエルドレッドの相手をしてはその鬱憤を晴らしていたのは兄——イリアスだった。

 ルイスはイリアスと同い年だった。家柄も王家に近かったので、学友として、側近として幼い頃よりイリアスの側にいたのだ。時々無茶をやらかす王子兄弟に巻き込まれながらも、守り、時に叱り飛ばす彼は、周囲から苦労性だと笑われながらも信頼を得ていった。誰が保護者だ、誰が。とぶつくさ呟くルイスを笑い飛ばした兄弟にキレたルイスがイリアスと取っ組み合いをしてエルドレッドに更に笑われたのは、ルイスにとって宝物に等しい大切な思い出だ。

 キラキラとした光に満ちた幸せな世界。それがあっけなく崩れたのは、一瞬の事だった。

 その日、イリアスとエルドレッドは離宮に暮らす祖父母に会いに行く予定だった。しかし、その前に体調を崩していたエルドレッドは回復してはいたものの、侍医から長距離の移動を止められていた。イリアスは当時、既に立太子しておりそう簡単に予定が空くことがない。よって予定は変更せず、エルドレッドを置いて一人で行くことになったのだ。ルイスは若干14歳ながら大人顔負けの剣術を取得し、イリアスの護衛も務めていた。当然ルイスもイリアスに同行する予定だった。

 しかし、それを知ったエルドレッドが我が儘を言ったのだ。

 「ルイスを置いて行って」

 と。当然、周囲の人間も、ルイス自身も難色を示した。やんちゃでありつつも滅多に我が儘を言わないエルドレッド。珍しくぐずつく彼を宥めようとした周囲だったが、イリアスがあっさりと許可した。

 「自分の代わりにエルドレッドを守ってくれ」

 イリアスがルイスにそう言ったのだ。自分はイリアスの護衛だ、と食い下がるルイスの耳元に何か耳打ちしたイリアスは、ルイスが動揺している間にカラカラと笑って出て行った。そしてそのままあっさりと出立していったのだ。

 あまりの速さにポカンとしている間の話だった。あの野郎、と頭抱えて呻くルイスを見て、無邪気に笑うエルドレッド。目元を染めつつ、笑うなよとエルドレッドに襲い掛かると、ルイスとエルドレッドはじゃれ合って、笑い合った。

 帰ってきたら、説教してやらねーと。ふふふ、じゃあ僕は、僕の方が兄さまよりも好きだってルイスが言ってたよって兄さまに言う。

 なぜかルイスがオロオロと視線を泳がせ動揺するのを見て、エルドレッドはきょとんとした後吹き出した。
 ある晴れた日の事だった。

 それが曇りなき幸せの日々の終りの始まりだった。


 二日後。一転して嵐の日。ルイスは何故か胸騒ぎがして、意味もなくウロウロとしていた。それを見つけたエルドレッドが部屋に誘い二人で遊んでいた。その最中も何処か上の空なルイスを見て、エルドレッドが頬を膨らませた時だった。城内がにわかに騒がしくなり、二人も何事かと顔を見合わせた。

 嫌な予感がする。

 ルイスは立ち上がり、様子を見に行こうとしたが、エルドレッドに服の裾を掴まれ動けなかった。見ると、エルドレッドは青ざめ恐怖をその美しい顔に浮かべていた。明るく闊達な性質を持つエルドレッドだったが、その反面、非常に繊細な心の持主でもあった。何時もと違う空気を敏感に察して怯えてしまったのだろう。ルイスは己の失態に内心で舌打ちをしつつも、エルドレッドを安心させるように微笑みかけた。

 大丈夫。何があっても、守るから。

 そう、言葉を添えて。うん、とか細い声で返答したエルドレッドに寄り添い、二人は暫くじっとしていた。暫くして、乱暴にノックされたかと思うと、当時侍女長を務めていたルーナの母が血相を変えて飛び込んできた。

 「すぐに、陛下のもとへ。陛下が、お呼びです」

 今にも泣きそうな彼女に、エルドレッドの肩が大きく震えた。ルイスはその小さな手をそっと掬い上げると、優しく引いた。迷子になったかの様な瞳をする幼子に向けて力強く頷きかける。

 「大丈夫。俺が、何があっても、守るから」

 その恐怖に満ちた心に沁み込むように。丁寧に言葉を重ねると、エルドレッドはギュッと口元を結び、小さくコクンと頷いた。二人で寄り添って部屋を出ると、二人の想像以上に城内が浮ついていた。誰もが硬い顔、悲壮な顔をし、昏い空気が立ち込めていた。

 不安を振り払うように、繊細な手をそっと引きつつ足早に王の部屋へと向かった。

 「ルイスです。エルドレッド殿下をお連れしました」

 ノックして声を掛けると、すぐに応えがあった。中に入ると、青ざめた王と呆然とした顔をした王妃が揃っていた。王妃はルイスに手を引かれて入ってきたエルドレッドを見て、顔を歪めると駆け寄って抱きしめた。

 「はは、うえ?」

 普段は凛として立ち、しつけにも厳しい母の取り乱した姿に固まるエルドレッド。すぐに啜り泣く声がし、よく分からないままに、そっとその小さな手を母の背に当ててさする。何事かと王を見ると、目元を手で多い、肩を震わせていた。暫く、王妃の啜り泣く声だけが、広い部屋に響いていた。誰もが沈痛な顔持ちで俯いている。

 ややあって、顔を上げた王はポツリと小さな声で言った。

 「イリアスが、賊に襲われて、死んだ」

 エルドレッドもルイスもポカンとして王の言葉を受けた。すぐには理解できなかった。

 「兄さま……?」

 はっとしてエルドレッドの方に視線を向けると、呆然と立ちすくむ儚げな姿があった。齢7。普通ならば、死の概念も理解できない年頃。しかし、イリアス同様、王家の血を濃く受け継いだエルドレッドは、死が何たるかを理解していた。理解してしまっていた。そして、その話の大きさ故に、受け入れられず、呆然と父王を見返す事しか出来なかった。王妃の泣き声が大きくなり、エルドレッドの小さな体を掻き抱いた。まるで、その小さな体に縋るかのように。

 かく言うルイスもまた、すぐに王の言葉を理解できなかった。そんな二人を前に、王はぽつぽつとイリアスの最後を語った。

 離宮に向かう道筋で、多数の賊に襲われた。通常ならば対応できた可能性が高いが、その場に一般人がおり、イリアスが命じたのだと言う。国民を守れと。自国と自国民を愛したイリアスらしい命令だったが、それが結局イリアスを死に至らしめた。守るべき人数が多すぎたのだ。最後まで凛とした在り方だったと聞いた、と王は絞り出すように告げた。ぐっと拳を握りしめた彼は、次の瞬間、顔を上げた。その顔に浮かんでいたのは憤怒だった。

 「状況から見て、城内に内通者がいる。計算されつくした犯行で、最早暗殺と呼ぶに等しい。内通者は時期に割り出してそれ相応の処分をくれてやる。イリアスの優しさまでもを利用し、卑怯な手段でイリアスを奪ったその罪、身をもって贖わせる」

 その瞬間、ルイスの心に浮かんだのは、その場にいなくてよかったという安堵では無かった。それとは全く逆の思い。

 「……行けば、良かった」

 エルドレッドはその声に、パッとルイスの方を見た。しかし、その姿がルイスの視界に入る事は無かった。ルイスは、唯々、一つの思いに支配されていた。

 「俺が、俺も行っていれば、あるいは、イリアスを!」
 「ルイス!」

 それまで黙っていたアルバートが叱声を上げた。はっと顔を上げると、アルバートが厳しい表情でルイスを睨んでいた。王もぐっと目を瞑った後、口を開いた。

 「あるいは、そうかもしれない。だが、それを言って何になる」
 「っ!」

 厳しい指摘にルイスは唇を噛む。それでも、行けばよかった、行っていれば、その想いを消す事が出来ず吐きそうになった時だった。

 「ぼく、が……?」

 か細い声に、はっと全員の視線が集中する。白を通り越して土気色になったエルドレッドが呆然と空に視線を固定していた。

 「ぼくが、わがまま、いわなければ……?」
 「違う、違うわ、エルドレッド!」
 「るいすが、にいさまを、まもってくれた……?」
 「エルドレッド!」

 パッと王が飛び出し王妃ごとエルドレッドを抱きしめた。ルイスは自分の放った言葉の重さ、そして、それが引き起こした重大さに立ち竦んだ。ただでさえ、兄の突然死という思いがけない出来事で負担がかかった幼い心。通常であっても大きな負荷がかかってしかるべきだが、エルドレッドの心は輪をかけて繊細な作りをしている。そこに、ルイスの言葉が致命傷を負わせてしまったのだ。

 「エルドレッド。そうじゃない。例え、ルイスが居ても結果は変わらなかったかもしれない。お前が嘆く必要はない」
 「でも、にいさまが、しななかったかも、しれないよね……?」
 「エルドレッド!違うわ!」
 「エルドレッド。厳しいかも知れないが、その議論に意味はない!もし、なんて存在しない!意味なんてない!」

 王と王妃は必死に声を掛けるがその声は届かない。茫洋とした視線がゆっくりとルイスに向かい、コテンと首が傾げられる。

 「にいさまが、しななかった、かも……?るいすも、にいさまを、まもりたかった……?ぼくが、僕が、それを、邪魔、した……?ぼくが……?」

 「っ!エルっ!」

 金縛りが解けたように、ルイスはエルドレッドに手を伸ばした。しかし、その手が届く前に、エルドレッドの体が崩れ落ちた。悲鳴がいくつも上がり、再び慌ただしくなった。

 エルドレッドが意識を取り戻したのは一週間後だった。葬儀も終わり、全てが片付いた後だった。泣き崩れる王妃や侍女たちの前で、父王から聞かされたエルドレッドは、ただただ、そう、と呟いただけだった。いぶかしんだ皆だったが、エルドレッドはすうっと眠りにつき、疑念を先延ばしにせざるを得なくなった。

 異変は直ぐにはっきりとなった。次に目を覚ましたエルドレッドは今まで《・・・》通り《・・》だったのだ。イリアスを亡くした記憶も、それを聞かされた記憶も、それ以前も全て保持しながら、普段《・・》通り《・・》だったのだ。そして、ルイスに向かって一言、ごめんね、と微笑した。

 しかし、彼の纏う空気は儚く脆いもので。にも関わらず一挙一動《・・・・》が《・》自然《・・》。それが彼の精神が酷く追い詰められている事を証明していた。唯一変化したのは、ルイスへの態度だった。

 その日から、エルドレッドはルイスから逃げ回り、拒絶し始めた。しかし、ルイスにとって一番苦しかったのは。

 何よりも愛した無邪気な笑顔を見る事が出来なくなった事だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

絶対にお嫁さんにするから覚悟してろよ!!!

toki
BL
「ていうかちゃんと寝てなさい」 「すいません……」 ゆるふわ距離感バグ幼馴染の読み切りBLです♪ 一応、有馬くんが攻めのつもりで書きましたが、お好きなように解釈していただいて大丈夫です。 作中の表現ではわかりづらいですが、有馬くんはけっこう見目が良いです。でもガチで桜田くんしか眼中にないので自分が目立っている自覚はまったくありません。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました!(https://www.pixiv.net/artworks/110931919)

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

ごめん、他担

ぽぽ
BL
自分の感情に素直になれないアイドル×他担オタク ある日、人気アイドル様がバイト先に握手しに来た話。

とある冒険者達の話

灯倉日鈴(合歓鈴)
BL
平凡な魔法使いのハーシュと、美形天才剣士のサンフォードは幼馴染。 ある日、ハーシュは冒険者パーティから追放されることになって……。 ほのぼの執着な短いお話です。

ある意味王道ですが何か?

ひまり
BL
どこかにある王道学園にやってきたこれまた王道的な転校生に気に入られてしまった、庶民クラスの少年。 さまざまな敵意を向けられるのだが、彼は動じなかった。 だって庶民は逞しいので。

楽な片恋

藍川 東
BL
 蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。  ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。  それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……  早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。  ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。  平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。  高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。  優一朗のひとことさえなければ…………

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした

たっこ
BL
【加筆修正済】  7話完結の短編です。  中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。  二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。 「優、迎えに来たぞ」  でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。  

処理中です...