道ならぬ恋を

天海みつき

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残夜

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 これまで読んでくださった皆様。大変長らくお待たせいたしました……!諸事情あって更新できぬまま相当な時間が経ってしまいました。申し訳ないです。
 最後まで一気に投稿する予定です。楽しんでいただければ嬉しいです。
 よろしければ、感想などもいただけると嬉しいです。
**********


 そして、ついに恐れていた日が、訪れた。
 



 その日はどんよりとした曇り空の日だった。今にも振り出しそうなじっとりと湿った空気が、肌に纏わりつく。それだけでも不快なのだが、すでに治まる事が無くなった鈍い頭痛が主張を強め、意識が朦朧とする。

 それでも、仕事は待ってもらえない。人の眼は、失望の視線が深まっていく状況に、歯止めがかけられない。そんな強迫観念にも似た焦燥感が、ツェーダンの心を蝕んでいた。

 「すみません、この資料を、」

 這う這うの体でどうにか仕上げた資料から顔を上げ、近くにいる補佐官たちに声を掛けた。さっと振り向いた補佐官は、その顔色を変えた。

 「ツェーダン様?!」
 「……?」

 補佐官の裏返った声が、鈍痛に苦しむ頭に突き刺さる。ぐっと眉間に皺を寄せた彼に、補佐官は慌てて声を潜めた。

 「申し訳ありません……!しかし、」
 「……何でしょうか」

 何か言いあぐねている様子の補佐官。本来のツェーダンであれば、ゆっくりと反応を待ちつつ、その顔色から何を言いたいのかじっくりと察しようとしただろう。しかし、余裕を失った彼にとっては、苛立ちの種にしかならず。

 うっとおしい痛みを散らそうとするように蟀谷に触れつつ、イライラと尻尾を振った。重苦しくなっていく空気に他の補佐官たちも駆け寄ってくるが、全員がツェーダンの顔を見てぎょっとしたように仰け反り、視線を泳がせる。ついに耐えられなくなったツェーダンは、イライラとせかす。

 「言いたいことがあるならば、言ってください。構いませんよ」

 ――それが、いい加減に悪足搔きを辞めたらどうだという台詞でも。ええ、彼の傍に居たくてこの立場にみっともなくしがみついている自覚くらいありますとも。

 どこか投げやりに、うすぼんやりとした意識の中で思う。本来ならば支え合い、意見を戦わせることはあっても絶対的な味方としてともに立つ立場にいるはずの補佐官たちだが、今のツェーダンにとっては最も身近にいる監視者、あるいは糾弾者にも等しかった。

 ツェーダンの一挙一動、発する言葉から何から何まで監視できる立場。彼らの言葉は信憑性が有る。だからこそ、隙を見せられない。見せた瞬間に裏で、悪い噂が流れる。そうなったらおしまいだ。そうなってしまったら、――!

 最早被害妄想とも言っていいような、ひたすらに悪い方向へと進んでいく思考。ガタガタと体が震え、冷たいものが頬を滑り落ちていく。遂に意を決したのであろう補佐官の一人が、ひたとツェーダンを見据える。

 「一度、お休みになられた方が……!」

 決死の形相の補佐官を、ツェーダンは不思議そうに見返した。彼らは切羽詰まった表情をしていた。そのはず、ツェーダンの顔色は白を通り越して土気色をしていた。震えの止まらない体に、落ち着きのない耳と尻尾。汗をかく時期ではないにもかかわらず、ひっきりなしに零れ落ちるねっとりとした冷たい汗。虚ろな青い瞳は、今にも光を失いそうで。ついに補佐官たちは上司を諫める事にしたのだ。

 「最近のツェーダン様は働き過ぎです!体調も悪いのでしょう?!少し休むべきです、少し休めば」
 「……やすむ?」

 少し休めば、以前のように力を発揮できる。目を輝かせて、忙しい中でも楽しそうに政に参加して。――この人となら、もっといい国を作っていける。そんな想いを抱いて、一緒に働ける。

 いつ間にか、補佐官たちにとって、ツェーダンは敬愛すべき上司となっていたのだ。一生懸命に国の為に働く姿。百戦錬磨の貴族たちを相手に一歩も引かない華奢な背中。目を輝かせて、宰相らと政策を話合う姿。愛おしそうに家族と見つめ合う優しい笑顔。事件からある程度の時間が経ち、複雑な想いを抱えながらも冷静に考えられる程に落ち着いたこと。また、必死に挽回しようと戦う姿を間近で見て、ツェーダンを認めないものがいようものか。

 ツェーダンを認めないものも多かろう。しかし、それと同時に、ツェーダンを認め、支えようとするものも確実に増えているのだ。――それに他ならぬツェーダンが気付かないだけで。

 そんな風に訴えかけようとした彼らは、消え入りそうな重い声音に、ひゅっと息をのんだ。ユラリユラリと揺れるツェーダンは、虚ろな笑みを浮かべて居て。補佐官たちは、言葉を間違えたかと焦る。

 「休んで、どうなるの?休んだら、もう僕の居場所はなくなる……」
 「違います!そうではなくて、」
 「違わないだろう?!下らないミスばかり、失態ばかりの薄汚い裏切り者がこんなところにいるのが気に入らないって、ハッキリ言ったらどうなんだ?!」
 「落ち着いてください、ツェーダン様!そうではありません!」
 「もっと頑張らないと、成果出さないと。そうしないと僕はルゥの傍に居られない。リィとも一緒に居られない。僕は、僕は……僕はっ!」

 宥めようと必死の補佐官たち。しかし、その声は既にツェーダンに届く事はなく。徐々に語気が荒くなり、頭を抱えながら激しく振る。パッと補佐官の一人が外へ飛び出していくのを視界にとらえつつ、ツェーダンは必死に自分の感情を制御しようとした。息が出来ない。息が出来る場所へ、そうして深呼吸すれば、そうすれば。

 どこか頭の片隅で叫ぶその声に従って、ツェーダンはよろよろと立ち上がって。

 「ツェーダン様?!」

 次の瞬間、全身から血の気が一気に引いて。力を失った細い体が硬い床面に叩きつけられる。駆け寄ってくる彼らの姿をぼんやりと見つめた所を最後に、ツェーダンの意識は暗転した。






 「……?」

 重い瞼を開いた時。ツェーダンは柔らかな寝台に寝かされていた。一瞬自分がどこにいるかが分からず困惑し、ついで倒れた事を思いだして呻く。骨と皮ばかりになった細いうでで目元を覆い、激しい嫌悪感に苛まれた。そうしているうちに、そっと入出してきたオリーブンが、目覚めた事に気付き慌てて近づいてきたようだ。

 「ツェーダンさま?!ああ、お気づきになられたのですね。よろしゅうございました。ただいま医者を呼んでおりますので、今しばらくそのままお待ちくださいませ」
 「……」
 「よろしいですね?!」
 「……はい」

 それどころでは、と身を起こそうとした瞬間に、怖ろしい視線が飛んできて。しおしおと萎んで大人しく寝ることにする。チラリと伺ったオリーブンの顔は、苦し気にも悔し気にも見えて。責任感の強い彼女が、主の体調管理が上手くできていなかった事を悔やんでいる事が手に取るようにわかった。

 「申し訳ありませんが、医師が到着するまで、部屋に鍵を掛けさせていただきます」
 「そこまでしなくても……」
 「いまのツェーダン様は信用なりません!絶対に、診察を受けて頂き、治療に専念していただきます!」

 キリキリと吊り上がった眦。冷ややかな視線に射抜かれて、ひゅっと息をのんだ。ピリピリと尻尾を振りなが退出していく背中を見つめ、そっと目を閉じた。有言実行とばかりに鍵が掛けられ、ゆっくりと息をついた。

 これ以上迷惑をかけないためにも、大人しくしていよう。そうは思っていても、じわじわと焦燥感が浸食してくるように感じて。いても経ってもいられず、ツェーダンはベットから抜け出した。そっと扉に手をかけると、ゆっくりとドアが空いて息をつく。

 寝室から出ると、そこはくつろげる様に整えられたリビング。鍵を掛けると言っていたが、どうやらリビングから廊下に出る部分の鍵を掛けていたようだ。その証拠に、机にはレモン水の入ったデキャンタが用意され、いつでも飲めるようにされていた。

 水を見た瞬間に、ふと喉の渇きを覚え、ユラユラと近寄っていく。震える手でコップに水を注ぎ、一気に煽る。レモンの爽やかな匂いが鼻を抜け、少し気分がすっきりした。良くも悪くも、気を失った事でいくらか寝たような形になったのもあってか、最近にしては意識がはっきりしている。

 そんな事を思いながら、ふと机の上を見たツェーダンはひゅっと息をのんだ。近くに置かれたメモ。デキャンタのすぐ傍に置かれたそれは、ツェーダンに渡すつもりで置かれたものだろう。

 『体調はいかがでしょうか?何も憂う事なく、ゆっくり、お休みください』

 たったそれだけ書かれたメモ。それを見た瞬間に、倒れる前の恐慌状態がよみがえって来て。くらりとよろけたツェーダンは、机に手をついた。しかし、その際に肘がデキャンタにあたって床に落ち、甲高い音を立てて飛び散った。

 ――ああ、こんな風に僕も壊れる事が出来たなら。

 ふとそんな想いが浮かび上がり、ツェーダンは膝をついた。オールターやリーラと一緒にいたい。その想いと同じくらいに、一緒に居るには釣り合わないのでは。そんな相反する想いをずっと抱えてきた。そして今、執務室を追い出されたと思い込むツェーダンには後者の想いが一気に込み上げてきて。ああ、目をそらしていたのに、という心に秘めた本音までが漏れ出して。ツェーダンは激しい吐き気に襲われた。

 しかし、ろくに食べて居ない胃からは何も出ず。ただえずく事しか出来ない苦しみにもがく。

 冷たい風にあたれば、少しは気分が良くなるかもしれない。霞む意識の中で、必死にバルコニーへと這い出したツェーダン。頬を撫でる冷たい風に、やっと息が出来る気がした。どうにか立ち上がろうと手すりに手を伸ばしたその時だった。

 ぐっと後ろから熱い手が伸びてきて。気付いた時には逞しい腕の中に閉じ込められていた。
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