道ならぬ恋を

天海みつき

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残夜

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 嫌がらせの頻度は徐々に上がっていった。狡猾に、しかし、確実に送られてくるそれらは、ツェーダンの精神を蝕んでいく。

 「例の街道の話はこれでグランに投げるとして。あとは……ああ、西部の工業地帯計画の話だっけ。経済特区ならいざ知らず、工業系統なんてわからないのに全くもう」

 ようやく資料を一つ創り上げ、ぐったりと椅子に凭れかかる。すべきことを一旦頭の中に全て思い浮かべ、優先順位を確認する。足早に行きかう文官たちを一瞥して、そっと蟀谷を揉む。そんな彼を皆が遠巻きに眺めていた。文官たちと距離感を掴みかね、ぎこちないやり取りしか出来て居ないこともまた、ツェーダンの心に影を落としていた。

 「大丈夫。大丈夫」

 小さく口の中で呟き、次の書類に手を伸ばす。これは逃げだした事への罰であり、自業自得だ。この程度で済んで幸運な方だ。そう自分に言い聞かせて。

 しかし。

 「っ!」

 封筒にしまわれた書類を手にし、開封した瞬間。ぴりっと鋭い痛みが指先を走り、大きな木の葉型の尻尾が揺れた。一挙手一投足をピリピリと伺っている文官たちがピクリと耳を向けてくるのに微笑して、何もないと片手を振る。気まずそうに目をそらされるのに苦笑しつつ、振った手とは別の手をちらと見やる。白い指に流れる赤い血。いっそ艶めかしくも見えるそれは、ツェーダンにとっても痛みを伴う記憶を呼び覚ますもので。

 「うーん。出来れば嫌がらせは別の方法でお願いしたいなぁ。いや、そういう意味では良く出来た嫌がらせ何だろうけど。そろそろレパートリー尽きてきたのかな?」

 そっと気付かれないよう血を拭いつつ、誰にも聞かれないようにぼやく。持ち物がなくなる事に始まり、最近では口に入れるものへも手が出されている。毒とまではいかないのは、今は警告の意味合いを持たせているだけという事だろう。小細工する事は出来る。――いつでも暗殺出来るのだぞ、という。そして、今度は些細とは言え、傷をつけられるように小さな刃が仕込まれていた。行為はエスカレートしている。

 「僕はただ、一緒に居たいだけなんだけどな」

 きっと、この話をすれば、オールターは嘆き怒り、犯人を何にも代えて見つけ出し罰するであろう。それが続く様であれば、あるいは国を捨てる決断をするかも知れない。それ程、狼にとって番や我が子といった群れ家族が何より優先される大事なのだ。だからこそ、言えない。彼を求めている者達のために。

 何より、正義感の強い彼に、道半ばで志を捨ててほしくないから。

 その為ならば何でもするし、今ツェーダンに出来る事は、ツェーダンを認めてもらえる様に努力することだけ。周囲の評価なんて関係ないというものもいるが、ツェーダンにはそう思えなかった。結局その人の行為は認められてこそ意味を持つ。結果と評価が伴わなければ、望みは叶わないのだ。

 全員に認めて欲しいとは言わない。ただ、一人でも多くの人に認められてもらえる様に努力し続けない限り、ツェーダンはオールターの隣に立つ事は許されない。オールターが己の正義を体現したように。少なくとも、こんな詰まらない嫌がらせがなくなるように、文官たちと笑顔で切磋琢磨して行ける関係を作れる程度に。

 「逃げないって決めたから」

 深呼吸をして意識を切り替え、書類に目を通す。必死に頭を動かして執務を続けていると、執務室に置かれている大きな古時計が重々しい音を鳴らした。はっと顔を上げると、午後の休息の時間となっていた。

 「……皆さん、一旦休憩をとってください」

 大量かつ重責のある仕事だからこそ、メリハリを付ける為に、昼休憩と午後の休息は全員取る事。グランが真っ先に取り決めたその決まりは、本人が昼寝をしたいだけでは、と噂されながらも好意的に受け止められていた。自分には思いつかなかった気遣いの数々をグランがしていることに、苦々しい思いをしつつも声を掛けると、文官たちはまちまちに返答してそそくさと出て行った。

 全員が出て行ったのを確認してから、机に突っ伏す。気分が晴れない。些細な事が心に刺さり、負の感情が湧き上がってる。何一つ成長出来ず、認められず、このまま時が過ぎていくのでは。その内にもっとオールターに似つかわしい人が現れて、オールターもその人に惹かれるのではないか。――サフィールの様な人に。そんな妄想が打ち消しては浮かびを繰り返す。

 その時、そっと扉がノックされ、慌てて起き上がって許可を出した。

 「お疲れ様です、ツェーダン様。お茶をお持ちしました」

 優しい笑みを浮かべた侍女のオリーブンがワゴンを持って現れ、優美な仕草でお茶を入れてくれる。華やかな香りが室内に広がり、差し出されたお茶の暖かさに、知らず息が漏れる。

 「お疲れのご様子でしたので、今日はハーブティーに。お心が落ち着かれると良いのですが」
 「ありがとう。いい香りだね」

 気遣わし気な顔をする彼女に微笑みかけて、そっとカップを口に運び。ふと、怖ろしい考えが思い浮かんで凍り付いた。

 「ツェーダン様……?」
 「う、うん。何でも、ない」

 強張った顔に笑みを浮かべ、そっとカップを傾ける。味がしない。味を感じられる程の余裕がツェーダンにはなかったのだ。

 思い浮かんだこと。それは、このオリーブンもまた、ツェーダンを認めて居ないのではないかという思い。戻ってきた当初から涙を浮かべて再会を祝してくれた彼女に限ってそれはない、と思いつつも。侍女を通してでしかなされないような嫌がらせの数々を思い出し、血の気が下がる。

 有能な彼女が、配下の者達の不穏な行為を見逃すはずがない。信頼できる者以外に、ツェーダンやオールターに関わる世話をさせるはずがない。

 ――つまり、オリーブンが、嫌がらせを見過ごしている可能性が有るのでは。

 最早、誰を信用していいのか分からない。不安定な精神が、更に軋む。心配そうなオリーブンを何とか誤魔化し、さり気なく下がらせる。痛む胸と滲む視界を気のせいと思って。

 その小さな疑心は徐々に大きくなっていき。それでも、その心を支えていたのは、オールターの傍に居たい、傍に居る事を認められたいのだというその一点だった。
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