道ならぬ恋を

天海みつき

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残夜

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 サフィールが去っていってから後の事を、ツェーダンは思いだせなかった。気付いたら与えられた部屋で、一人ぽつんと立っていた。

 ツェーダンの心とは裏腹に、窓の外には美しい青空が広がっている。誘われるように、フラフラと近づいていくツェーダン。見下ろすと、少し離れた場所に城下の街並みが見えた。活気に満ち溢れ、民たちの楽し気な様子が、良く見えずとも伝わってくる気がして。ツェーダンはふらりとよろめいた。

 平和だ。かつて、幼心に求めた光景が、広がっている。飢えにあえぐ必要もなく、権力者に怯える必要もなく。隣人を警戒し、一日を乗り越えるのが必死な世界は、既に遠い。そして、この光景を作り上げたのは、他ならぬオールターとその側近たち。

 ――ツェーダン以外の、仲間達だ。だって、……ツェーダンは、何もせず逃げる事しか出来なかった。

 そんな考えが自然と込み上げてきて。ぶわりと耳と尻尾の毛が逆立った。崩れ落ちた先で、手に触れた柔らかな絨毯の感触に吐き気が込み上げてくる。心地よく過ごせるように整えられた部屋を見たくなくて目を閉じて。しかし、そうする事で更に意識してしまうこの部屋が、オールターの私室に隣接している事実と結びついてしまい。

 込み上げてくる不相応感に苛まれて、叫び出し逃げ出したくなった。


 ――私は貴方をオールターの正室として認めない。

 明確なその言葉は、サフィールのものであったからこそ深く突き刺さった。かつての友であり、誰よりもオールターとの関係を応援し祝福し、同時にオールターの妻として誰もが認め納得する彼女の言葉であったからこそ。

 そして、何より。

 ツェーダン自身、自分に突き付けていた思いであると同時に、必死にそこから目をそらしていた思いであったということを自覚してしまった事が。

 何よりも心に突き刺さっていたのだ。




 「どうしたツェル」

 突如、ふわりと暖かなものに包みこまれ。親しんだ匂いに、心よりも先に体が安堵して力が抜ける。ツェーダンの細い体に巻き付いた力強い腕に、そっと触れる。

 「ルゥ」
 「どうした。何かあったのか」

 すり、とつむじに頬を寄せられ、零れ落ちてきたオールターの黒髪が視界の隅で揺れる。くすぐったさに揺れる大きな耳を甘噛みされ、甘美な痺れが体に走った。そっと振り向くと、凛とした光を湛えた黒曜の瞳が、柔らかくツェーダンを見つめていた。真っすぐにツェーダンを信じ、愛情を注いでくれる彼の眼差しに、ツェーダンは泣きだしそうになるのを堪えるので必死だった。

 「……ううん。ちょっと、疲れただけ。最近ちょっと貧血気味らしくて」
 「皆が心配していたぞ。食事も減っているという話も受けている。暫くまともな生活が出来ていなかった弊害だろうと言っていたが……」
 「大丈夫。少し休めば回復するから」
 「だが」
 「大丈夫。僕は、大丈夫だから」

 心配している皆とは誰だろうか。そんな考えが込み上げてきて、ジワリと蟀谷が傷んだ。オールターの手前、親切にしてくれるが、その本心では疎まれているのではないか。そんな考えが、打ち消しても打ち消しても浮かんできて。疑いたくないのに、ありえないと分かっているはずなのに。

 親身になってくれる人が、怖くなった。

 そして、自分の価値を示さなければこの場所にはいられないという強迫観念にもにた思いに飲み込まれていき。その事実に、ツェーダンは気付いていなかった。

 眉をひそめて様子を伺ってくるオールターに、苦笑する。そっと手を伸ばし、額の皺に指を触れる。もみもみ、と皺を伸ばすように触れていると、くすぐったかったのか、身を捩ったオールターに手を掴まれ頬を寄せられる。その温もりに目を細めた。

 「君と一緒に居たい。君とリィとずっと一緒に居たい。僕の望みはそれだけだから」
 「……ずっと一緒なのは当然だろう。まさか、またどこかへ行くつもりじゃないだろうな」
 「まさか。まさか、だよ」

 当然の様に一緒に居るのだ、と言われ。離れたくないという思いが込み上げる。訝しそうな瞳で覗き込んでくるオールターにぎゅっと抱き着いたツェーダン。ぐっと背中に回される腕に安堵して、まだオールターに愛想をつかされていないと確認をして。一緒に居られるように、もっと頑張らなくてはと唇を噛み占めるのだ。



 例え、オールターが執務の為に席を外す瞬間を狙って「お前を認めない」というメッセージが届けられるようになったとしても。
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