道ならぬ恋を

天海みつき

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2 小さな身を寄せ合う、とある朝のひと時

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 ダンとリィの住まう家は正確には家ではない。貧しい農家の家についている古ぼけた農屋を間借りしているのだ。中には積み上げられた藁が少しばかり。今にも倒壊しそうな農屋には冷え切った隙間風が吹きすさび、雨がしのげるだけ外よりマシといった程度のもの。それ故に、早々に夕食を済ませた二人は藁に潜り込んで身を寄せ合い、暖を取って眠りにつこうとしていた。

 夢を見ているのか、ピルピルと震える小さな犬の耳をダンは慎重に撫でた。起こさないように気を使いつつ、その少しゴワゴワした感触を楽しむ。

 「……そろそろ染めないとダメかな」

 口の中で小さく呟いたダンは、灰色にくすんだリィの耳を目を細めて痛まし気に見やった。

 ウーリィ国では数年前、クーデターが発生した。贅を尽くし酒池肉林を謳歌した獅子獣人の王を、黒狼の英雄が打倒し、暴政から国を開放したのだ。その時の国民の喜び様は凄まじく、英雄譚として吟遊詩人が歌う事もあれば、子供に言い聞かせる絵本にまでなる始末。子供に語り継ぐ英雄譚は多々あれど、今日リィが聞いてきたという話は十中八九ソレであろうとダンは確信していた。

 確かに、数年前のクーデターによって民の生活は向上し始めている。しかし、この農村の様な、国の端で貧しさにあえぐ場所にその恩恵が巡ってくるには時間がかかる。ましてや、染粉は今だ高価なものであり手が届かない。そもそも行商人が巡ってくる土地でもないので、手に入らない。その為、ダンは雑草を持ち帰っては乾燥させて燃やし、その灰を使ってリィの髪と耳を染めていた。簡単に堕ちてしまうそれを、何度も何度も。その所為で、リィの髪と耳は常にゴワゴワとしていた。

 「ごめんね」

 零れ落ちた謝罪が、そっと空気に溶け込んでいく。謝っても謝り切れないその状況に、ダンは唇を強く噛みしめた。鉄の味が口腔内に広がり鼻の奥が鈍く痛んだ。このザマではまたリィに心配をかけてしまう。ダンはゆるゆると首を振ると、手の中の小さな体をそっと引き寄せ胸に抱き込んだ。また明日、目を覚ましたリィに何でもないように笑いかけておはよう、と声を掛けられるように。自分だけが背負うべき業を、聡い子に気取られ苦しませないように。

 「愛してる」

 ダンは静かに眠りの海に沈んでいった。


 翌朝、日の出とともに目を覚ましたダンは、中々藁から出てこないリィを見て小さく笑った。朝に弱いリィを起こすのは一苦労だ。それでも、そのひと手間が可愛くて愛おしくて、実はダンの密かな楽しみでもあった。

 「リィ?朝だってば。そろそろ起きてよ」
 「ぅぅ……」
 「リィってば。もう、折角お隣さんからミルク分けてもらったのに。リィがいらないならダンが全部貰っちゃお」
 「みるく……?!」

 すぽっと藁の間から寝坊助が顔を出す。半分夢の中にいる顔をしているが、それでもミルクという単語には反応するようだ。現金な姿に吹き出したダンは、そうミルクと小さな瓶を振って見せた。もぞもぞと這い出してきた愛し子を抱きとめると、ほつれが目立つが清潔な布でその小さな顔を拭いた。

 「みるく」
 「はいはい」

 甲斐甲斐しく面倒をみられる事を嫌ったのか、いやいやと首を振ってダンの腕から這い出たリィは尻尾と耳をピンと立ててダンを催促した。完全に目が覚めたように見えないけどやっぱり食欲が勝るのか、とクスクス笑ったダンは邪魔にならないように隅に置いておいた風呂敷から端の欠けた器を取り出した。そこにミルクをたっぷりと注ぐと、違う風呂敷ではあるが同じ場所に置いておいた小さな包みから固いパンを取り出してリィに渡した。よいしょ、と小さな体を隙間風から守るようにとなりに腰かける。

 貧しい農村では、基本的に採れたものは全て売ってしまう。少しでも生計に役立てる為だ。それ故に、普段の食事は冷たい井戸水と、売り出せない野菜や肉の残りかす、家主一家から分けてもらうわずかばかりのパンのみ。パンも、幼い子を抱えたダンを憐れんだ家主の妻が好意で分けてくれているものだが、家主一家も決して余裕があるわけではないのでダンはいつも心苦しかった。なので分けてもらうパンは最小限、少しずつ食べる。冷めて固くなったパンを水にふやかして食べるのが日常だった。なので、ミルクなどと言ったものは手に入らず滅多にない贅沢品なのだ。

 小さな器に満たされたミルクに目を輝かせるリィ。幸せそうに味わう姿を見るだけで、ダンは胸が温かくなるのが感じられ笑みを浮かべていた。しかし、すぐに顔を上げたリィがダンと自分の手元に視線を行ったり来たりさせ、おずおずと器を差し出した。

 「……ダン、飲む?」

 ダンが持っているのがカビたパンだけだと気付き、先程の小さな小瓶から考えてもミルクが自分の器に入っているのが全てだと思い至ったのだろう。相変わらず察しが良いとダンは微苦笑してゆるりと首を振った。

 「リィが飲んでいいよ」
 「でもダンの分がない」
 「僕はリィが美味しそうに飲むのを見てるだけでお腹いっぱい。元々ご飯一杯食べれないからいいの」

 栄養分がたっぷりあるミルクは極力育ち盛りのリィに飲ませたい。普段は質素どころか栄養が足りていない事が気に掛かっていたダンは、そんな事を思いつつもリィに悟られないように微笑んだ。可愛らしい耳を力なく垂らしてダンの顔を見上げていたリィは、ふとダンに器を押し付けた。

 「ダンと一緒に飲む方が美味しい」
 「リィ……」

 幼子のいじらしい思いに、ダンは言葉を詰まらせた。上目遣いに様子を窺ってくる優しい子に、ダンは目頭が熱くなるのを感じた。

 「うん。そうだね、僕もそう思う。ありがとリィ」
 「!」

 ふわりと笑って小さな器をそっと受け取ると、リィの耳がピンと立ち上がり細い尻尾が勢いよく揺れ始めた。丁寧に持ちあげた器から啜ったミルクは、今まで食べてきたどんな料理よりもおいしく感じられた。

 「次はリィの番」
 「うん」

 真剣な表情で零さないように受け取る小さな手に器を渡してやると、リィは再び美味しそうに飲み始めた。その様を目を細めて見つめていたダンは、そのまま目を伏せて小さく祈りと感謝をささげた。

 昨日もこの子と一緒に居られた。今日も同じように時が過ぎて行きますように。

 そして、リィもまた同じような事を考えていた。何時もの固いパンではないモノが食べられた――正確には飲めた――のが嬉しかったし、何よりダンと一緒に美味しいねと笑い合えたのがリィにとって幸せな事。

 「はい。ダンの番だよ」

 身を寄せ合って朝のひと時を過ごす二人の時間が静かに流れていった。
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