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ゆるやかに前進
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新しく加わった顔はマーだけではなかった。
ニムル人の青年・ロッキアも、地下にある隠れ家に出入りするようになっていた。
正確には、地下室に閉じこもるクーリンディアたちに、ロッキアが様々な物資を届けてくれる。
彼は以前植物園でちらりと見かけたニムル人である。
地下に閉じこもるようになって何度か顔を合わせ挨拶をしたロッキアは、細面でやわらかい顔つきの青年だった。なのに、どこか近寄りがたい雰囲気がある。
ロッキア同様、ライバもほとんど外出していて不在だった。
彼らは別行動を取り、ライバもロッキアも単独でなにやら調査しているという。
手練と聞き、実際彼女の腕のほどを見たクーリンディアでも、ライバが追っ手のある状態で外を動きまわっている、というのは血の気が引く話だ。
地下からおもてに出ていくのは、ロッキアとライバのみ。
何故クーリンディアが外に出てはならず、隠れていなくてはならないのか、ライバたちから説明はない。ただそうしてほしい、と簡単に要求されたのだった。クーリンディアは要求を飲んだ。そしてクーリンディアが飲むなら、マーは疑問を口にせずしたがってくれる。
負傷して三日ほどでドゥンの傷はふさがった。
喜ばしいことだったが、とたんに彼は、同室にベッドを並べるクーリンディアを求めようとした。元気になったのはうれしい。でもさすがにそれに応じるわけにはいかなかった。隣室は確かに空いている。だからといって、この地下にはマーもモリスもいるのだ。そこでドゥンと肌を重ねるほど、クーリンディアは恥知らずではない。
クーリンディアの気持ちを知ってか知らずか、すきを見てはドゥンは身体にふれてくる。
彼の手の温度や、肌に押しつけられるくちびるの強さ、すべてがクーリンディアの体内に嵐を起こそうとする。強まる心音と波立つ海面のようなクーリンディアの欲情を、ドゥンはどうやら見透かしているようだ。抗議の言葉さえ彼の欲望を強める気がして、できるだけクーリンディアは彼を避けて食堂で時間を過ごすようにした。
そしてさらに三日が経過した。
外に出ることが出られないため、物資も限られている。できることも制限された。
掃除も行き届き、ほかにすることがないためか、マーは近くにいるクーリンディアに、しきりにドゥンとの睦言を聞きたがった。ドゥンとのことにふれず、ずっとおとなしかったのは、先にライバから入れ知恵をされていたからだ、と後になってわかった――ふたりをそっとしておいてあげて、などと。
クーリンディアと異国の王子さまとの秘密の恋路、とでもマーはとらえているようだ。
無理にでもべつの方向に話題を持っていきたいが、もうクーリンディアはなにを話せばいいのかわからなくなっている。元々話題が転々としやすいマーは、今度はこれまでに読んだ、という恋愛小説の内容を聞かせてくれた。聞いていてわかったのは、物語の登場人物にクーリンディアたちを投影しているらしい、ということだった。
そんなところにライバが戻った。クーリンディアは自然と歓声に近い声を上げている。
「あら、歓迎してもらってるのかしら、私」
軽い口調だったが、疲労が強いらしく、ライバの表情は重い。
「お茶を淹れてまいります」
マーが席を立った。
「調べもの、いかがですか?」
クーリンディアの問いに、ライバは伸びをしながら口を開く。
「それなりに進展してるわ。こう見えて私って有能なのよ。……ところでドゥルスティンの怪我は?」
「もうすっかりいいみたいです。いまはモリスさんとなにか話してるんじゃないかしら」
声をかけなかったが、ライバの声を聞きつけたらしく、すぐにドゥンとモリスが現れた。八人掛けのテーブルにそれぞれが着くと、すかさずマーがお茶を運んでくれた。
香りも味も甘い、ただ後味があまりよくないお茶だ。建物の近くで採れ、乾燥させなくても飲めるので重宝している。
マーは全員にお茶がいき渡ったのを確認すると、戸口でお辞儀をして食堂を出て行った。
「どんな状況だ?」
ドゥンの誰にあてたとも知れぬ問いかけに、ライバは口を開く。
「やっぱり薬草に紛れさせて、出荷してるみたい。運び入れてる場所は確定できてるけど、どのていどの警戒か確かめておかないと」
話の内容はよくわからない。なのでクーリンディアはお茶を飲み干し、後味にちょっと口をもごもごさせていた。
「もうちょっと人数がいないと無理か?」
「どうかしら。逆に人数がいたら、目立って動きづらいかもしれない」
会話が途切れ、クーリンディアはカップを置く。
「私、部屋に下がっています。なにかあったら呼んでいただければ」
「ここにいて、クーリンディア」
制止するライバのみならず、ニムルの面々の面もちは真剣である。
「ですが、くわしい事情を私はうかがっていません。それは私に聞かせる必要がないからでは? 事情を知らないものが同席していても」
「聞いていてもらった方が、いいかもしれない」
自然とドゥンに一同の視線が集まっていく。
内情を知らされるのだろうか、とクーリンディアはにわかに緊張していた。
ドゥンは無言だったが、ライバの意見に反対なのは顔つきでわかる。ドゥンとライバはしばしにらみ合っていた。クーリンディアに話すか話すまいか、沈黙のうちにやり取りがなされている。
やがてドゥンが目を逸らし、ライバがクーリンディアに向き直る。
――決着がついたのだ。
「あなたとマーは、いま人質っていう建前になっているの」
「人質、ですか?」
クーリンディアは心底驚かされた。それではまるで、教会でクーリンディアを攫った賊のようではないか。
「スターリング公爵や、ほかのシュミッサ諸侯に動かないでいてもらうためよ。いちおうかたちだけの人質だ、っていうところまで、あなたのお父さまに折りこみ済みだから……」
「待って。そんな大事に?」
ドゥンがうなずいた。ああ、とクーリンディアは納得する。
いままで、自分の思慮が足りなかった。
一国の王子が成し遂げようという「功績」だ。
賊がいて、刃が用いられ、馬車まで襲撃された。人死にも出ている。危険がつきまとっているに決まっているではないか。
その渦中にいるドゥンを思い、胸がつまるような感覚がする。いやな動悸までしてきて、思わず胸元に手を当てていた。
「賊の大元はわかってるの。ホルーニャのやつらよ」
「ライバ、それ以上は」
制止するドゥンの声は、逼迫したものをはらんでいた。
「でも……ずっとここに閉じこもってる上に、なにも知らないなんて」
「ことがすんだら、話す」
「そんな、つまはじきにして」
「だがこれ以上巻きこみたくは……」
「ここまで巻きこんでおいて、なにをいってるの」
にらみ合いになったふたりの間で、モリスがお茶を口にしていやそうな顔をした。癖が強いお茶だ。代わりがないため飲んでいるが、クーリンディアの口にも正直合わない。子供の口には、なおさら合わないだろう。
「……はやく終わらせて、違うものが飲みたい」
ね、と同意を求めるように、モリスはクーリンディアに微笑んだ。この子も渦中にあるのだ、と不憫になる。
「クーリンディアさんに決めてもらえば? どう、聞きたい? 聞きたくない?」
「私? 私は」
クーリンディアは視線をさまよわせた。
「聞かせてもらえなくても……信じてます」
「聞きたいかどうかを訊いてるんだよ、僕は。ドゥルスティンみたいに、あなたを輪の外に追いやって守ってるつもりになんてならないよ」
「おい、モリス」
「ドゥルスティン、最悪のことを考えておこう」
モリスが一同を見回した。
「探索に出たライバとロッキアが殺される。連絡が取れず、失敗したとこちらが判断するまでに何日かかる? その間に、向こうがここにたどり着くことはありえないかな? 無茶をされたらおしまいだ。極端なことをいえば、焼き討ちでもされたら終わるんだよ。ライバやロッキアがたどったと想定できる場所をすべて、燃やせばいいんだから。そこにいる人間を巻きこんで、根絶やしにすればいい」
「むやみやたらに、そこまでするかしら?」
口を開いたのはライバだ。
「するしないじゃない。ただの極端な例だよ。ライバだったらどうする?」
「私なら……私なりロッキアなりを泳がせるわ。ここまでの道を確認して、それから焼き討ちする。そのほうが無駄が少ないし、大事になりにくい。規模がちいさければ、ホルーニャの連中だって周囲の目を引かずに逃げ切れるかも」
「もしそうなったとして、ホルーニャの追っ手をかわせる自信は?」
「どうかなぁ」
ライバはうなる。
「そうなる可能性は?」
「ないとはいい切れないわよ。こっちは摩耗してるけど、あっちはホルーニャから次々新しい人員を補充できるんだもの」
憎々しげに吐き捨て、ライバは目をこすった。疲労の色が濃く、目元がきつくなっている。
「あとどのくらい時間があると思う?」
楽しい、明るい話題ではなかった。
「長引くとなるときついわ。集中力が落ちたら、色々取りこぼすと思う」
「シュミッサに援助は望めない?」
「あっちに動かれたら、後々逆に面倒になりそう。スターリング公爵たちが協力してくれるのは、自分たちの責を軽くするためよ」
スターリング公爵家の名を出されて、クーリンディアは瞠目した。
「もしかして、スターリングが関わっているのですか?」
モリスがうなる。
「直接的には関わってない。でも公爵家の領地が……ちょっと、今回利用されてて」
クーリンディアの肌を鳥肌が立っていく。
シュミッサ国内、クーリンディアの生家スターリング公爵家の領地は南側、とくに温かい一帯にある。緑豊かな土地だ。そこでなにか血なまぐさい不穏なことが行われているなど、あってはならないことだった。
恋人の顔を見ると、モリスの言葉を裏づけるような表情をしている。クーリンディアが話に参加するのを心底いやがる顔つき。あまりに露骨過ぎて、クーリンディアは場違いながら笑い出しそうになった。
「ねえドゥルスティン。半端に関わっているほうが、私にはよほど危なく思えるわ」
ライバは疲れ切ったほおを、自らの手でぴしゃりと叩く。
「だからなんだ」
「事情は耳に入れたほうがいいと思う。なにかあったとき、判断できなくなるもの」
「俺が守りきる」
「あら、いい男っぷりじゃない、この小僧っこが」
突如ライバの声が威圧的になった。
「あんたは私に守られてる立場よ。その分際で粋がるんじゃない」
「俺は」
「できることとできないことを混合するな、って話をしているのよ。そこをはき違えたら、なにかあったときにあんたどころかクーリンディアも死ぬわ」
「それでも俺は……これ以上クーリンディアを巻きこみたくない」
「あらかっこいいわね。建前でもクーリンディアを人質に使っておいて、なにが巻きこみたくない、よ」
ドゥンの形勢はよくない。ライバの言に理があるとわかっていて、しかしドゥンの意地がクーリンディアに事情を知らせたがらない。
「とにかく、動きが出るまでは」
「こっちには時間はないわよ。人質扱いで時間を稼ぐのなんて、いつまでも使える手じゃないわ」
ふたりの声が高くなっていく。
いつの間にか席を立っていたモリスが、全員の空になっていたカップにつくり置きのお茶を注いでまわった。
マーの悲鳴が聞こえたのは、そのときだ。
負傷したロッキアが、地下の隠れ家に逃げこんできだのである。
地下室に到着したときには、すでに彼は自分の手で治療をすませていた。衣類に血はついているが、とうに凝固していた。それだけの時間、彼が痛みを堪え動きまわっていたことをしめしている。
しかし着衣を解けば、頭部と背中、脇腹とロッキアの負傷範囲は広かった。
「ジャルクの中央を探索中に、襲撃を受けました」
ロッキアはふるえる息で話した。
「あちらは風下から来たので、気づくのが遅れました。相手は数をそろえています。偶然であってほしいですが、もしかするとこちらの動きを読んでいたのかもしれません」
「ひとまず無事でよかった。追われてない?」
マーがロッキアの傷を水で洗浄している。容赦なく切りつけてきたのか、ひとつは傷が深く、まだじくじくと血がにじみ出ていた。
「念のため迂回路を取って進みました。血痕も残していませんし、それは問題ないかと」
「大事を取って、ここから移ったほうがいいかもしれないね」
塗り薬を手渡しながら、モリスが提案する。
「ロッキア、動ける?」
「もちろんです」
明快な声だった。
「あなたたちに手当は頼むわ。私は周辺を嗅いでくる」
ライバは返答を待たず、小走りになって階上に消えていった。
「ライバさん、賊がいたら危険じゃ……」
「ライバ殿は自分より鼻がききます。大丈夫でしょう」
「ロッキア、屈んで。薬塗るから」
モリスもロッキアも静かな声で話す。ただロッキアのほうが、ぴしゃりと他人を排するような響きがあった。
「鼻がきく?」
包帯を手に薬の塗布を待っているマーが、首をかしげる。
「そう。ニムル人は鼻がよくきくんだ。ほかの国の人間とは祖先が違うって話だよ」
「祖先?」
クーリンディアのつぶやきにこたえたの、ドゥンだった。
「他国民は猿が先祖だって話だ」
「猿……?」
以前シュミッサを訪れた移動動物園で、クーリンディアは見たことがあった。老いた人間にすこし似た風貌の、ちいさな生きものだ。
「かしこい猿が、人間になっていったんだと」
奇妙な説である。
「なっていった?」
「そうだ。変化していくものらしい」
あの動物が人間に変わっていく、というのは想像しにくいが、おもしろい話だ。
「それじゃ、ニムル人は?」
「狼」
「狼?」
ちらり、とモリスとロッキアがクーリンディアを見た。
狼といえば、四つ足の牙を持つ生きものだ、と図鑑で読んだことがある。犬によく似ていてそのような性質を持つが、もっと孤高で怜悧な生きものという印象があった。
「そう。足の遅い狼が、ニムル人になったそうだ」
「賊がいたら、においでわかるの?」
「それもあって、おまえが賊にさらわれたとき、あれだけはやく見つけられたって話だ」
「そう、なの?」
伝聞のかたちで語られる言葉に、違和感が芽生える。
「らしいな」
「……らしいって」
「らしい、だよ。俺にはそのあたりはわからん。病気のせいで、そういったものを持ってないんだ」
新しく加わった顔はマーだけではなかった。
ニムル人の青年・ロッキアも、地下にある隠れ家に出入りするようになっていた。
正確には、地下室に閉じこもるクーリンディアたちに、ロッキアが様々な物資を届けてくれる。
彼は以前植物園でちらりと見かけたニムル人である。
地下に閉じこもるようになって何度か顔を合わせ挨拶をしたロッキアは、細面でやわらかい顔つきの青年だった。なのに、どこか近寄りがたい雰囲気がある。
ロッキア同様、ライバもほとんど外出していて不在だった。
彼らは別行動を取り、ライバもロッキアも単独でなにやら調査しているという。
手練と聞き、実際彼女の腕のほどを見たクーリンディアでも、ライバが追っ手のある状態で外を動きまわっている、というのは血の気が引く話だ。
地下からおもてに出ていくのは、ロッキアとライバのみ。
何故クーリンディアが外に出てはならず、隠れていなくてはならないのか、ライバたちから説明はない。ただそうしてほしい、と簡単に要求されたのだった。クーリンディアは要求を飲んだ。そしてクーリンディアが飲むなら、マーは疑問を口にせずしたがってくれる。
負傷して三日ほどでドゥンの傷はふさがった。
喜ばしいことだったが、とたんに彼は、同室にベッドを並べるクーリンディアを求めようとした。元気になったのはうれしい。でもさすがにそれに応じるわけにはいかなかった。隣室は確かに空いている。だからといって、この地下にはマーもモリスもいるのだ。そこでドゥンと肌を重ねるほど、クーリンディアは恥知らずではない。
クーリンディアの気持ちを知ってか知らずか、すきを見てはドゥンは身体にふれてくる。
彼の手の温度や、肌に押しつけられるくちびるの強さ、すべてがクーリンディアの体内に嵐を起こそうとする。強まる心音と波立つ海面のようなクーリンディアの欲情を、ドゥンはどうやら見透かしているようだ。抗議の言葉さえ彼の欲望を強める気がして、できるだけクーリンディアは彼を避けて食堂で時間を過ごすようにした。
そしてさらに三日が経過した。
外に出ることが出られないため、物資も限られている。できることも制限された。
掃除も行き届き、ほかにすることがないためか、マーは近くにいるクーリンディアに、しきりにドゥンとの睦言を聞きたがった。ドゥンとのことにふれず、ずっとおとなしかったのは、先にライバから入れ知恵をされていたからだ、と後になってわかった――ふたりをそっとしておいてあげて、などと。
クーリンディアと異国の王子さまとの秘密の恋路、とでもマーはとらえているようだ。
無理にでもべつの方向に話題を持っていきたいが、もうクーリンディアはなにを話せばいいのかわからなくなっている。元々話題が転々としやすいマーは、今度はこれまでに読んだ、という恋愛小説の内容を聞かせてくれた。聞いていてわかったのは、物語の登場人物にクーリンディアたちを投影しているらしい、ということだった。
そんなところにライバが戻った。クーリンディアは自然と歓声に近い声を上げている。
「あら、歓迎してもらってるのかしら、私」
軽い口調だったが、疲労が強いらしく、ライバの表情は重い。
「お茶を淹れてまいります」
マーが席を立った。
「調べもの、いかがですか?」
クーリンディアの問いに、ライバは伸びをしながら口を開く。
「それなりに進展してるわ。こう見えて私って有能なのよ。……ところでドゥルスティンの怪我は?」
「もうすっかりいいみたいです。いまはモリスさんとなにか話してるんじゃないかしら」
声をかけなかったが、ライバの声を聞きつけたらしく、すぐにドゥンとモリスが現れた。八人掛けのテーブルにそれぞれが着くと、すかさずマーがお茶を運んでくれた。
香りも味も甘い、ただ後味があまりよくないお茶だ。建物の近くで採れ、乾燥させなくても飲めるので重宝している。
マーは全員にお茶がいき渡ったのを確認すると、戸口でお辞儀をして食堂を出て行った。
「どんな状況だ?」
ドゥンの誰にあてたとも知れぬ問いかけに、ライバは口を開く。
「やっぱり薬草に紛れさせて、出荷してるみたい。運び入れてる場所は確定できてるけど、どのていどの警戒か確かめておかないと」
話の内容はよくわからない。なのでクーリンディアはお茶を飲み干し、後味にちょっと口をもごもごさせていた。
「もうちょっと人数がいないと無理か?」
「どうかしら。逆に人数がいたら、目立って動きづらいかもしれない」
会話が途切れ、クーリンディアはカップを置く。
「私、部屋に下がっています。なにかあったら呼んでいただければ」
「ここにいて、クーリンディア」
制止するライバのみならず、ニムルの面々の面もちは真剣である。
「ですが、くわしい事情を私はうかがっていません。それは私に聞かせる必要がないからでは? 事情を知らないものが同席していても」
「聞いていてもらった方が、いいかもしれない」
自然とドゥンに一同の視線が集まっていく。
内情を知らされるのだろうか、とクーリンディアはにわかに緊張していた。
ドゥンは無言だったが、ライバの意見に反対なのは顔つきでわかる。ドゥンとライバはしばしにらみ合っていた。クーリンディアに話すか話すまいか、沈黙のうちにやり取りがなされている。
やがてドゥンが目を逸らし、ライバがクーリンディアに向き直る。
――決着がついたのだ。
「あなたとマーは、いま人質っていう建前になっているの」
「人質、ですか?」
クーリンディアは心底驚かされた。それではまるで、教会でクーリンディアを攫った賊のようではないか。
「スターリング公爵や、ほかのシュミッサ諸侯に動かないでいてもらうためよ。いちおうかたちだけの人質だ、っていうところまで、あなたのお父さまに折りこみ済みだから……」
「待って。そんな大事に?」
ドゥンがうなずいた。ああ、とクーリンディアは納得する。
いままで、自分の思慮が足りなかった。
一国の王子が成し遂げようという「功績」だ。
賊がいて、刃が用いられ、馬車まで襲撃された。人死にも出ている。危険がつきまとっているに決まっているではないか。
その渦中にいるドゥンを思い、胸がつまるような感覚がする。いやな動悸までしてきて、思わず胸元に手を当てていた。
「賊の大元はわかってるの。ホルーニャのやつらよ」
「ライバ、それ以上は」
制止するドゥンの声は、逼迫したものをはらんでいた。
「でも……ずっとここに閉じこもってる上に、なにも知らないなんて」
「ことがすんだら、話す」
「そんな、つまはじきにして」
「だがこれ以上巻きこみたくは……」
「ここまで巻きこんでおいて、なにをいってるの」
にらみ合いになったふたりの間で、モリスがお茶を口にしていやそうな顔をした。癖が強いお茶だ。代わりがないため飲んでいるが、クーリンディアの口にも正直合わない。子供の口には、なおさら合わないだろう。
「……はやく終わらせて、違うものが飲みたい」
ね、と同意を求めるように、モリスはクーリンディアに微笑んだ。この子も渦中にあるのだ、と不憫になる。
「クーリンディアさんに決めてもらえば? どう、聞きたい? 聞きたくない?」
「私? 私は」
クーリンディアは視線をさまよわせた。
「聞かせてもらえなくても……信じてます」
「聞きたいかどうかを訊いてるんだよ、僕は。ドゥルスティンみたいに、あなたを輪の外に追いやって守ってるつもりになんてならないよ」
「おい、モリス」
「ドゥルスティン、最悪のことを考えておこう」
モリスが一同を見回した。
「探索に出たライバとロッキアが殺される。連絡が取れず、失敗したとこちらが判断するまでに何日かかる? その間に、向こうがここにたどり着くことはありえないかな? 無茶をされたらおしまいだ。極端なことをいえば、焼き討ちでもされたら終わるんだよ。ライバやロッキアがたどったと想定できる場所をすべて、燃やせばいいんだから。そこにいる人間を巻きこんで、根絶やしにすればいい」
「むやみやたらに、そこまでするかしら?」
口を開いたのはライバだ。
「するしないじゃない。ただの極端な例だよ。ライバだったらどうする?」
「私なら……私なりロッキアなりを泳がせるわ。ここまでの道を確認して、それから焼き討ちする。そのほうが無駄が少ないし、大事になりにくい。規模がちいさければ、ホルーニャの連中だって周囲の目を引かずに逃げ切れるかも」
「もしそうなったとして、ホルーニャの追っ手をかわせる自信は?」
「どうかなぁ」
ライバはうなる。
「そうなる可能性は?」
「ないとはいい切れないわよ。こっちは摩耗してるけど、あっちはホルーニャから次々新しい人員を補充できるんだもの」
憎々しげに吐き捨て、ライバは目をこすった。疲労の色が濃く、目元がきつくなっている。
「あとどのくらい時間があると思う?」
楽しい、明るい話題ではなかった。
「長引くとなるときついわ。集中力が落ちたら、色々取りこぼすと思う」
「シュミッサに援助は望めない?」
「あっちに動かれたら、後々逆に面倒になりそう。スターリング公爵たちが協力してくれるのは、自分たちの責を軽くするためよ」
スターリング公爵家の名を出されて、クーリンディアは瞠目した。
「もしかして、スターリングが関わっているのですか?」
モリスがうなる。
「直接的には関わってない。でも公爵家の領地が……ちょっと、今回利用されてて」
クーリンディアの肌を鳥肌が立っていく。
シュミッサ国内、クーリンディアの生家スターリング公爵家の領地は南側、とくに温かい一帯にある。緑豊かな土地だ。そこでなにか血なまぐさい不穏なことが行われているなど、あってはならないことだった。
恋人の顔を見ると、モリスの言葉を裏づけるような表情をしている。クーリンディアが話に参加するのを心底いやがる顔つき。あまりに露骨過ぎて、クーリンディアは場違いながら笑い出しそうになった。
「ねえドゥルスティン。半端に関わっているほうが、私にはよほど危なく思えるわ」
ライバは疲れ切ったほおを、自らの手でぴしゃりと叩く。
「だからなんだ」
「事情は耳に入れたほうがいいと思う。なにかあったとき、判断できなくなるもの」
「俺が守りきる」
「あら、いい男っぷりじゃない、この小僧っこが」
突如ライバの声が威圧的になった。
「あんたは私に守られてる立場よ。その分際で粋がるんじゃない」
「俺は」
「できることとできないことを混合するな、って話をしているのよ。そこをはき違えたら、なにかあったときにあんたどころかクーリンディアも死ぬわ」
「それでも俺は……これ以上クーリンディアを巻きこみたくない」
「あらかっこいいわね。建前でもクーリンディアを人質に使っておいて、なにが巻きこみたくない、よ」
ドゥンの形勢はよくない。ライバの言に理があるとわかっていて、しかしドゥンの意地がクーリンディアに事情を知らせたがらない。
「とにかく、動きが出るまでは」
「こっちには時間はないわよ。人質扱いで時間を稼ぐのなんて、いつまでも使える手じゃないわ」
ふたりの声が高くなっていく。
いつの間にか席を立っていたモリスが、全員の空になっていたカップにつくり置きのお茶を注いでまわった。
マーの悲鳴が聞こえたのは、そのときだ。
負傷したロッキアが、地下の隠れ家に逃げこんできだのである。
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しかし着衣を解けば、頭部と背中、脇腹とロッキアの負傷範囲は広かった。
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「あちらは風下から来たので、気づくのが遅れました。相手は数をそろえています。偶然であってほしいですが、もしかするとこちらの動きを読んでいたのかもしれません」
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マーがロッキアの傷を水で洗浄している。容赦なく切りつけてきたのか、ひとつは傷が深く、まだじくじくと血がにじみ出ていた。
「念のため迂回路を取って進みました。血痕も残していませんし、それは問題ないかと」
「大事を取って、ここから移ったほうがいいかもしれないね」
塗り薬を手渡しながら、モリスが提案する。
「ロッキア、動ける?」
「もちろんです」
明快な声だった。
「あなたたちに手当は頼むわ。私は周辺を嗅いでくる」
ライバは返答を待たず、小走りになって階上に消えていった。
「ライバさん、賊がいたら危険じゃ……」
「ライバ殿は自分より鼻がききます。大丈夫でしょう」
「ロッキア、屈んで。薬塗るから」
モリスもロッキアも静かな声で話す。ただロッキアのほうが、ぴしゃりと他人を排するような響きがあった。
「鼻がきく?」
包帯を手に薬の塗布を待っているマーが、首をかしげる。
「そう。ニムル人は鼻がよくきくんだ。ほかの国の人間とは祖先が違うって話だよ」
「祖先?」
クーリンディアのつぶやきにこたえたの、ドゥンだった。
「他国民は猿が先祖だって話だ」
「猿……?」
以前シュミッサを訪れた移動動物園で、クーリンディアは見たことがあった。老いた人間にすこし似た風貌の、ちいさな生きものだ。
「かしこい猿が、人間になっていったんだと」
奇妙な説である。
「なっていった?」
「そうだ。変化していくものらしい」
あの動物が人間に変わっていく、というのは想像しにくいが、おもしろい話だ。
「それじゃ、ニムル人は?」
「狼」
「狼?」
ちらり、とモリスとロッキアがクーリンディアを見た。
狼といえば、四つ足の牙を持つ生きものだ、と図鑑で読んだことがある。犬によく似ていてそのような性質を持つが、もっと孤高で怜悧な生きものという印象があった。
「そう。足の遅い狼が、ニムル人になったそうだ」
「賊がいたら、においでわかるの?」
「それもあって、おまえが賊にさらわれたとき、あれだけはやく見つけられたって話だ」
「そう、なの?」
伝聞のかたちで語られる言葉に、違和感が芽生える。
「らしいな」
「……らしいって」
「らしい、だよ。俺にはそのあたりはわからん。病気のせいで、そういったものを持ってないんだ」
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