書架の褥に囀る寵花

日野

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終 いくつかの嘘

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 フィスラーは暗闇の寝室で、じっと天井を見上げていた。
 真っ暗でなにも見えない。
 しかし様々なものが見える気がしてくる。
 離れた部屋では、いまごろ若い恋人たちが語り合っているだろう。彼らの幸福を心から願っていた。アレックスとクレアなら、きっとよい夫婦になる。
 たがいに背を向け合うような夫婦には――アレックスの両親のようにはなるまい。
 古くからフィスラー家は、医師としてアーガイル家に出入りしている。
 幼いアレックスの金の髪や青い瞳は、一族にはないものだ。アレックスの母の血族にも。そのためアレックスは父親に出自を疑われながら育った。
 顔に吹き出物が現れてくると、それがなにかたちの悪い病のように扱われ、幼いアレックスは父親から冷遇されていた。成長して吹き出物が消え、髪と目の色が鳶色――一族の色に落ち着いたアレックスに対し、結果として先代はひどく自分を責めるようになった。
 あれの原因を、いまではフィスラーは確信できる。
 アレックスの母は息子の生育のために、と栄養剤や健康薬とうたわれるものを大量に与えていた。
 効能がよいものだとしても、過剰摂取を続ければ身体によくない。毒と変わらなくなってしまう。アレックスの場合、それが吹き出物のかたちとなったのだろう。
 薬の摂取をやめたところ、立ちどころにアレックスから吹き出物は消えていったのだ。
 アレックスが幼いころからアーガイル夫人の相談役となっていたためか、心が通い合うようになり再婚することになった――おそらくそういう喧伝で、再婚話が進むことになる。汚職のもみ消しなど身内のごたごたもあり、フィスラーの再婚は二年かそこらは先になるだろう。
 フィスラーの妻となる女性は、口がかたくなければならない。医師の妻になるのだから、耳に入りかねない患者の情報などを漏らされては困る。
 昼の葬儀にも、口外できない事柄があった。
 バーズリング子爵夫妻は、川遊びの最中に溺死したことになっている。
 実際は違う。
 フィスラーは昔から子爵夫人――結婚前の若きベリルと顔を合わせていた。
 若き日のベリルは放埒な振る舞いが過ぎ、その後始末にフィスラーも医師として加担していた。そのためベリルは、成長したが子供に恵まれない可能性があり、フィスラーは結婚後の彼女のもとに出向き、診察をおこなっていたのだ。
 気休めですが、とフィスラーは夫婦生活を濃厚にする薬を処方していた。媚薬に類するもので、常習性が高いが効き目は抜群のものである。
 その薬の過剰摂取で、子爵夫妻は命を落としていた。
 元々風味に癖のある薬のため、一気に飲みこむよう指導していた。渡した薬が著しく強くなっていると、おそらく彼らは気がつかなかっただろう。
 フィスラーは医師として、媚薬の過剰摂取を指摘した。
 正直に自分が処方していたものと告白している。効能がやみつきになってしまったのだろう、処方したものより量が多いから、ほかの医師からも入手しているのではないか――そんな言葉も添えた。
 過剰摂取での死亡については、醜聞を嫌う一部の関係者しか知らずにいる。その誰もが口がかたく、アレックスはとくに信頼できる。
 信頼厚いアレックスが相手でも語ることのできない、生涯妻となる女性としか分かち合ってはならないこともある。
 人間には秘密があるものだ。
 再婚しても、年齢が年齢だ、フィスラーに新しく家族が増えることはないだろう。
 だが、とフィスラーはわずかに微笑みをこぼす。
 アレックスとクレアの様子なら、遠からず家族が増えるはずだ。その前に、なんとか書類の上だけであっても、結婚に持ちこめればいいのだが。
 ――孫の顔が見られるのは楽しみだ。
 いいかげん眠ってしまおう、とフィスラーは寝返りを打っていた。


(了)
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