鬼伝・鈴姫夜行抄

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番外編

『言えぬ想い、消えない願い』 [後]

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『闇に生きる者よ……闇にかえり、眠りなさい……私はその寝床ねどことなり、また目覚めを導く者……』


 呟くように…でも力強く告げて、手の中に光を宿した彼女の姿は……僕の脳裏に、今もなお、消えること無くハッキリと焼き付いている―――。


 彼女の右のてのひらから現れた光は、圧倒的な存在感を醸し出しながら、やがて一つの形を造り出した。―――それは“刀”。
 宵闇の中、きらめく白いそのやいばを閃かせて、彼女は問うた。目の前の妖魔に向かって。


『あなたの名を、教えて……』


 力に溢れたその問いには……何人なんぴとたりとも、逆らうことなど赦されないように……そう、思えた。
 まさに“神”の如く在る者としての、それは示現だと、感じられた。
 そんな彼女に従い、妖魔は応えた。―――『カヒョウ』と……そう、聞こえた。


『そう、架氷……いい子ね、お眠り……』


 そして手の中の刀を一閃させ……彼女は、妖魔を一刀のもとに消し去った。
 まさに一瞬の出来事だった。


 ―――後になってから考える。
 消し去られた妖魔の……行き着くところは、一体どこに在るんだろうか、と………。







「―――の、『かひょう』……? それって、一体……!!」
 どういうことなのかと、身を乗り出すように、思わず僕は問うていた。
「今度は君が、ヤツに“同化”されているってコト……!?」
 目を瞠る僕とは対照的に……彼女は目を細めてフワリと笑った。
 そして、ゆっくりと首を横に振る。
「私と“同化”できる妖魔なんて居ないわ」
 やけに淋しげに聞こえてしまった、その口調に……「なら、何故!?」と出しかけていた言葉を呑み込み、反射的に口を噤んでしまった。
(それならば何故……? 何故、“君の中”に『かひょう』が居る……!?)
「…眠っているから。私の中で」
 呑み込んでしまった僕の疑問が解ったように、彼女は続けた。
「“同化”じゃないの。…言うなれば“共棲”ね。―――私が、私の中に彼らの眠る“居場所”を提供している代わりに……私は、で生きていくために、彼らの持っていた“力”を貰うの」
 だから架氷も、ココに、居るの。――そして、彼女は自分の両手を胸に当てる。
「架氷の持っていた“力”は……だから私も、感じられるの……」


 やわらかな微笑みを浮かべたまま、それを告白する彼女の表情カオは……笑っているのに……なぜかとても苦しそうに、僕の目には、映っていた―――。







 妖魔を狩り、そしてのが“宿命さだめ”なのだ、と……彼女は言った。


 妖魔と共に生きる“宿命さだめ”にあるからこそ、彼女は“人間ひとに非ざる者”となってゆくのか。
 それとも、“人間ひとに非ざる者”であるがゆえに、負うこととなった“宿命さだめ”なのか。


 ―――いずれにせよ……その逆らい切れない“宿命さだめ”ゆえに、彼女は苦しんでいたに違いなかった………。







「だから……、カメラを通してって……それを教えに来てくれたの……?」
 彼女を真っ直ぐに見つめたまま、それを訊いた僕の瞳を……彼女も、真っ直ぐに見つめ返した。
 しばし無言で僕たちは見つめ合う。
 ―――僕が、何を言いたいのか……たぶん、きっと彼女には、既に理解できていたはずだ。


「会いたがってるよ、君に……渡部クンも、菜々子ちゃんも……―――」


(―――君も……なんじゃないのか……?)


 、それでも君は、彼らとんじゃないのか……?
 だから、こうして僕のもとに来た。――そうじゃないのか……?


「このまま、また君が姿を消してしまったら……今日、君に会ったことを、僕は話すよ……? ―――二人に……ありのままを、話すよ……?」


 それは彼女にとって“懇願”なのか“脅迫”になったのか……僕には解らない。
 でも、何でもいい、何かしら彼女の心に波紋を投げ掛けたかった。
 切ないくらいに彼女を想っている彼らの心を、僕は、知っているから……―――!


「―――それはダメ」


 しかし、思いのほかキッパリと、彼女は言った。
 再び僕の手を握り締めて……近い距離から、覗き込むように僕を見つめる。
「私はもう、『すずき』じゃないから……だから、私が『すずき』であった頃を知る人たちのもとには、もうかえれないの……」
 静かに発されたそれは、有無を言わせぬほどの重みをもって、僕の胸に突き刺さった。
 その衝撃に、言いたかったはずの言葉を奪われて……でも、それでも、僕は口をこじ開ける。
「それじゃ……『すずき』であった頃の君はどこに居るんだよ……! 誰が憶えていてあげられるんだよ……!」
 一瞬だけ、驚いたように目を瞠った彼女を見止めて……僕は更に、たたみかけるように、吐き出した。


「―――“言霊”なんかで縛って……『すずき』であった君を愛している人たちから、どうして君は、君ごと消えてしまおうとするんだ……!!」


 聞くなり、辛そうな素振りで目を伏せた彼女の背後で……やおら、ゆっくりと空気が流れ出したのが、わかった。
 流れる空気が香を運んでくる。―――甘く甘く、どこまでも甘い香を……。


(――――!!?)


 しまった…! 即座に僕は、手で口と鼻を覆う。――しかし無意味だった。それはどこからでも侵入してくる。僕の中に。
 姿が見えないせいで忘れていた。
 彼女の傍らには、常に“彼”が居ることを……―――!


「ごめんなさい……」


 甘やかな香は、抗えないほどの睡魔を呼んだ。
 次第に朦朧としてゆく意識の向こうで、彼女が呟く。
「言葉に“力”が宿っているように……“名前”にも“力”があるわ。だから、あなたには、私の“名前”だけで充分だと思っていたの。―――あなたには、それさえ知っていれば、に充分だと、思ってた……」
 椅子の背凭れを掴み崩れそうになる身体を支え、必死に意識を保とうとしている、そんな僕の頬へ……言いながら、彼女がおもむろに手を伸ばした。


「でも、あなたには“写真”がある……言葉以外にも伝えられるすべを、あなたは、持ってる……」


 ああ、やはり…と、霞がかっていく思考の裏側で、それを思う。
 やはり彼女は、僕の写真集を見たのだ。そして掲載された自分の写真に気が付いた。―――僕の、密かなメッセージに……。
 そして、こうして会いに来てくれた。


「僕を……渡部クンたちみたいに、縛るために……?」


 搾り出したその問いに……軽く眉をひそめて、彼女は微笑む。
 それは、どこまでも哀しげに。あまりにも苦しげに。――まるで許しを請うように。


 ―――そして、ふいに僕の唇に、自身のそれを、重ねる………。


「こうするしか…ないの………」
 驚きに言葉も出せず、目を見開いたまま彼女を凝視するしか出来ない、そんな僕の瞳を覗き込んで……彼女は告げる。
「“言霊”で縛りきれないなら……こうして“しゅ”を口移ししなくちゃ、あなたの“言葉”を縛れないから……」
「“しゅ”……?」
「私の“お願い”よ。―――言葉だけじゃなく……私自身のすべてを、あなたに禁じるオマジナイ」
「そんなっ……!!」
「―――仕方ないの……“しゅ”をかけられている者の前では、同じ“しゅ”をかけないと禁じても意味を成さないから………」
「…………!!」


「あなたが……トシくんの“先生”じゃなかったら良かったのに……―――」


 僕の頬から離れていくその手を、陰る視界の中で必死に繋ぎ止めようとするも……それは成し得ず。
 襲い掛かる睡魔に抗え切れずに、とうとう僕は椅子の背凭れの上に突っ伏した。


「私が『すずき』であったことを憶えていてくれる人は……一人いれば、それでいいの………」


 暗転してゆく視界の向こうで……寄り添うの姿を、確かに見たように……僕は、思った……―――。







「―――…んせい……先生……光映サン! 起きてくださいよ、なに寝てるんですかこんなトコで」


 ボンヤリと目を開くと……そこには、缶コーヒーを手に僕を覗き込んでいる渡部クンが立っていた。
 いつの間にか僕は、椅子の背凭れに突っ伏して、うたた寝をしていたようだ。
「あれ…? 僕、寝てた……?」
「ええ、シッカリ寝てましたとも。――どうしたんです? どっか疲れてませんか?」
「疲れてる…の、かなあ……?」
 渡部クンの手から冷たいコーヒーの缶を受け取りながら、首を捻る。
「なんで寝てたのかも思い出せないんだけど……」
「――医者、行っときます?」
「…いや、それはエンリョしとく」


 そんな会話を和やかに交わしているうち……ふいに、まざまざと甦ってきた、―――僕の記憶。


「―――あ……!!」


 我知らず、流れてきた涙。


「ちょっ…センセイ!? どうしたんですか、突然……!!」
 目の前で、渡部クンが狼狽したように声を上げる。
「何か、あったんですか……?」
「――何でもないよ……何でもないんだ……」
 僕には、そう返すしか出来ない。―――なぜなら、それをから……。


(全部、憶えてる……―――!!)


 彼女に出逢ったこと。話したこと。…その全てを。
 なのに言えない。渡部クンには言えない。誰にも言えない。言ってはいけない。
 行き場を失くして……言葉が涙になって溢れてくる。
 あまりにも苦しくて。あまりにも切なくて。


「光映さん……―――」


 そう僕の名を呟くなり、黙り込んでしまった彼には……きっと何かが、伝わってしまっただろうか………?


 ―――でも、言えない。
 彼女がどんな想いで、僕に…そして渡部クンに菜々子ちゃんに…、――自分を愛してくれる皆に“しゅ”をかけなくてはならなかったのか……その“理由”なんてものは知らないけれど、それでも解ってしまうことだってある。


『私が「すずき」であったことを憶えていてくれる人は……一人いれば、それでいいの………』


 どんな想いで、彼女がそれを言ったのか……解ったような気がした。
 すべてを捨て去らなくてはならない悲しみと引き換えに……たった一人の“兄”を、彼女は選んだのだと……―――。


「―――無いんだ、“答え”なんて……!」


 呟くように…唐突にそれを言った僕を、「え…?」と、驚いたように、彼が見つめる。
「どんなに考えても、“答え”なんて出せないんだ……! そういうふうに出来てるんだよ……!」
「先生……?」
「何が“正しい”のか“良い”のか“悪い”のか、なんて……考えちゃいけないんだ……! 考えなくちゃいけないことだけど、でも考えたって“理由”なんて解らない! 解ってあげられるハズが無いんだ! ――だからっ……!!」
 そこで一旦、僕は言葉を途切れさせる。
 そして、こちらを見下ろす渡部クンの瞳を捉えて覗きこむと……その腕を、ぎゅっと、握った。


「―――“答え”は……自分の“気持ち”だけにしか、無いんだから……!!」


 彼女を……追いたいのなら追えばいい。忘れたいなら忘れればいい。
 会いたいと思うなら……そう思い続けていればいい。
 君たちが何をしても、どう思っていも、何を考えることなどなくなっても、―――それでも彼女とはのだから。


“言霊”で…“しゅ”をかけて、縛り付けたいほどに……彼女も、君たちを想い続けているってことを……、―――伝えたい、とても。
 伝わって欲しい、すごく。もどかしいくらいに。涙が出るくらいに。それを願う。願わずにはいられない。


 ―――こんなにも……伝えるすべを奪われてまで伝えられる“想い”もあるということに……どうか、どうか気付いて欲しい……!!







「ねえ、光映! ――知ってる? 例のアソコで遭ったらしい幼児轢き逃げ事件、やっと解決したらしいわよ? 犯人、捕まったんだって」
 僕の家に来るなり言った雛子の言葉に……僕も「それはよかったねえ」と、微笑んで返事を返す。
「あの道を通るたびに、供えられた花が目に入るじゃない? ずっと胸に何かつかえてたみたいで……やっとスッキリしたわ」
 雛子も、そう言ってニッコリ笑う。
「犯人が捕まったところで、死んじゃった子はもう帰って来れないけれど……遺された方の心労が、これで少しは軽くなるといいわね」
「―――そうだね……そう願うよ」


 結局……僕のカメラが写してしまった車のナンバーを、匿名で、僕は警察へと報せた。
 ヘタをすれば、イタズラとして処理されかねなかったかもしれない。
 しかし、そんな不確かで怪しげな情報でも、警察は無駄にはしてくれなかったようだった。
 判明したナンバーから車を調べていくうちに、どこかで犯人に足がついたらしい。――“時効”ギリギリの解決だった。


 僕は、別に“正義の味方”でも何でもない。
 こんな“異物”混じりの写真なんかが撮れるカメラを持ってしまったがために、こういう事件に巻き込まれるのも不本意だ。
 今回は……悩んだ挙句、わずかながらの正義感を動員しての行動だったに過ぎない。
 もうゴメンだ、こんなことは。
 自分がやったことが、果たして本当に“やって良かったこと”だったのかどうかさえも……未だにわかっていないのだから、僕は………。


 ―――それでも……雛子の言葉に救われる。
 僕の取ってしまった迷いながらの行動が、それでも誰かの救いになってくれたのならば……今回は、それで良しとしようか。


 そして僕は、長年使い慣れたカメラを封印する。妖魔の“力”の残滓カケラごと。―――彼女の記憶と共に閉じ込める。僕の心の中に。
 もう、こんな写真を撮ることもなくなるだろう。
 撮らなくても……僕が〈写真家〉であることには違いが無いし、彼女のことを忘れないことも間違いが無い。
 それでも“いつか”を願ってしまうのは……それは愚かな願いだろうか?


「―――愛してるよ」


 祈りにも似た気持ちで呟くと……傍らに立つ恋人を軽く抱き寄せ、彼女の唇にキスを落とす。
 素直に、ありのままの気持ちを言葉にできる喜びを……僕は、心の底から噛みしめた。


 いつの日か……科せられた全ての“禁じられた言葉”を、無にせる日が訪れることを……―――。






【終】
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