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76. 夜はふけて

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 予定を変更した私たちは、世良さんに導かれ深い森に佇む古い宿に泊まる事となった。
 
 そこでも不思議な体験は続くのだが、聖獣と呼ばれる存在は様々な種類の動物がいる事が判明する。 そして、皆が寝静まったその頃に女主人とキア、それにヤギの聖獣が一階に居たのだが、良い機会なので色々聞いてみようと思う。

 「ふーん……なるほどねぇ」

 女主人は腕を組みつつ私の質問を咀嚼している。 やがては動きがあるのだが、カウンターに戻って不意にとあるモノを取り出すのだがそれはーー

 (あれはタバコ……だよね)

 「悪いね、一服良いかい?」

 「え? はい、大丈夫です」

 「私は授乳中だし、そろそろ退散するわね」

 「あら、ごめんなさい。 気を使わせちゃって」

 「いいのよ」

 それだけ言うと食事を終えたヤギの聖獣は、子どもの寝ているであろう寝床に戻ろうとする。 だが、名前を聞いていない事に気付いたのだが、どうしようかと思っていると不意にあちらから声を掛けられた。

 「おやすみなさい、お嬢さん。 私の名はセフミミ、どうか宜しくね」

 「私の名は羽音と言います。 おやすみなさいセフミミさん」

 「おやすみなさいませ。 セフミミ様」

 (様つけはなれないなぁ)

 「おやすみねー」

 それだけ言うと女主人はタバコに火を点け一息入れる。 お世辞にも良い香りとは言えないが、まあ距離はあるし、副流煙の害もこちらでは知られていないのかもしれない。

 「私も吸うのは構いませんが……今は健康に害のないタイプが主流になっているのですよ」

 「えっ? そんなのあるの?」

 「生憎ここには滅多に人も来ないし、目新しい嗜好品は中々手に入らないんだよ」

 タバコを吸いながら女主人は続ける。

 「話を元に戻そうか。 あの世良とかいう娘は、以前この宿に来たことがあるんだね」

 「やっぱり、そうなんだ……」

 何でもこの話は、アヤナナさんとの酒の席で自らの身の上話をした時の内容だそうだ。
 かつて、広大な森のどこかに世良さんは転移してきたらしく、直後は気を失っておりそこに例の鉤竜が現れた。 しかし、そこには若き日のアスレア王も居合わせており、鉤竜を撃退し幼き世良さんを保護したのだ。

 「うーん……そこら辺までは記憶はありますねぇ」

 「……まだ飲み始めていくらも経ってない時なんだけど」

 「酔いつぶれるの早いなあ」

 「だから、羽音殿が呑めばよかったのですよ」 
 
 「もう、堂々巡りになって話が進まないよ……」

 そんなやり取りを「フフ」と笑っている女主人だが、その後も淡々と続ける。

 「セラを保護したアスレア王はこの宿で一泊したのさ、その時は私の両親が切り盛りしていたのよ」

 「そうだったんですね。 ん?……両親?」

 両親、その言葉に違和感を感じる。 確か世良さんが居た時代から百年は経っているはずなのだ……。

 「彼女はツフ族です。 通常の人族よりも長寿なのですよ」

 「そう、自己紹介が遅れたわね。 私はツフ族のジェラよ、宜しくね」
 
 また新な種族の名前が出て来たのだが、長寿とはどれくらいなのだろうか。 ジェラさんの年齢が不詳に見えるのはもしかしたら、思った以上に長生きしているからかもしれない。

 「まあ、長生きとはいっても平均は二百歳くらいかね。 因みに私は王が訪れた十年後に生まれているから……」

 「もしかして九十歳? ひいばあより年上か……」

 長生きである事をそうでも無いと言いたげだが、人の寿命の倍以上は生きるのだから、私たちからすれば十分に長寿だ。 しかし、切れ長の目の右に泣きほくろと、妖艶な感じの漂うこの女性が齢九十を超えると知ったら、世の男性たちはどう思うか……。 まあ、こちらだったら大して驚きもしないのだろう。

 「アスレア王が訪れた時もそうだけど、私が小さい頃はここも賑わっていたんだけどねぇ。 今じゃすっかり寂れてしまって……」

 「一体何があったんですか?」

 「それについては、私も説明に加わります。 学校で習った事を思い出しました」

 まずは、ジェラさんが話し出すのだが、何でもここは天然のビールが産出されるとの事で、これを求めて遠地から冒険者や商人が集い大いに賑わったそうだ。

 (うーん、天然のビールとは?)

 恐らく翻訳機は私の知っている知識の中で、最も近しいお酒の名をチョイスしている。 それ故に違和感は否めないのだが、私にもっとお酒の知識が豊富であればまた違ったのかもしれない。

 「それで、どのように造られるかなのですが……」

 話はビールの製造方法に移る。 この森の周辺では天然の湧き水が何処からともなく湧いているのだが、特徴的なのは大概が地熱によって温められている事だ。 因みにこれは、先ほど入った温泉も魚を養殖しているため池もそうなのだという。
 そして、このため池にそこら中に生えている木の実が生ってやがては落ちる。 そうすると、熱すぎず冷たすぎない丁度良い温度のため池では実の醗酵が進み、やがてはビールになるそうだ。

 「自然に作られるビールかぁ」

 皿の上に残された木の実をつまみ、しげしげとみる。 この実はキッケと言うそうだが、大豆よりは少し大きい程度のこのひし形の実がビールの元となる。 もちろん、全てのため池で造られる訳では無いのだが、この天然の良質なビールを求めて危険な外界を多くの人々が訪れ、賑わっていた。 だが……。

 「小麦が発見されてビール事情は大きく変わったんだ」

 「さっき言ってましたよね。 確か五十年前とか」

 「ええ、小麦の発見は画期的だったのです」

 この小麦からもビールを造る事が出来る事が判明すると、わざわざ危険を冒してまでこの地にビールを求めに来る人は激減した。 最も、質としては天然ものには敵わないのだが、コストの問題で小麦から造られるビールに軍配が上がり、今に至ると言う訳だ。

 ここの他にも聖獣が集い、自然と結界の張られた場所には宿が点在していたそうだが、確認した限りではここ以外は全て畳まれてしまったとの事だ。 両親との思い出の地であり、離れ難いと言うジェラさんは聖獣たちに囲まれているので、寂しくは無いと言うもののその表情は少し人恋しそうな感じもある。

 「私の話はこんな所かね。 まあ、しかし……」

 それだけ言うと、ジェラさんは灰皿にタバコを押し付けて火を消した。 カウンターの方に戻ると何かを注いているような仕草をしているが、やがてはグラスを持ってこちらにやって来る。

 「はい、これ。 搾りたてだよ。 眠れないんだろ」

 「え? これってもしかして、セフミミさんの? いいんですか?」

 「貴重なものだから、味わって飲んでね」


 「そうですねぇ……。 時に貴女は精霊の国には戻らないのですか?」

 (濃厚で美味しい。 ん? 精霊の国?)

 「私の生まれはここだからね。 今更戻っても仕方が無いよ、両親もここに眠ってる」

 「精霊の国とは?」

 「説明しましょう」

 キアが説明してくれるのだが、ラウの国に隣接するツフ族や聖獣たちが暮す森と水の国を総称してそう呼ぶそうだ。 かつて、帝国との戦いによって疎開したツフ族の人々が聖獣と共にここに移り住んだのが始まりで、この地が寂れてからは、また精霊の国へ戻っていった。 
 ここまで聞いて分かったのだが、ジェラさんらツフ族にとっては聖獣は敬う対象というよりは、対等な関係であり仲間のような感じで接していたのだ。

 中々興味深い話を聞く事が出来た。 しかし、眠れない夜はもう少し続く……。
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