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ウロボロスの蛇、若しくはメビウスの輪

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 ニーナ・ヴァレルは人類の救世主だと皆が言う。怜悧な彼女は祖国ドイツにいた頃から幼くして稀代の天才であったが、現状の功績は“時空連続体”に迷い込んだ際、意図せず得た知識に依存した部分が大きい。

「…… 時空間に満ちるエネルギーは自乗作用するから、負のエネルギーは過去に向かう。そして虚数と実数は相互作用せずにオーバーラップするけど、零においてのみ例外が生ずる」

 この事象は“過去から来たりて、現在で相互作用しながら未来に向かう”という慣性的時空の等価を示し、“現在を起点とした過去と未来”を生み出し続ける。

「まるでウロボロスの蛇、若しくはメビウスの輪ね」

 主観にして26万時間以上、時空間の裂け目へ堕ちたニーナは静止状態に近い時間の中、老いる事無く実験場のような世界を延々と見続けてきた。

 定期的に与えられる外部的刺激を引き金とした滅び、進化の果ての自滅、その中に垣間見えた“機械仕掛けの魔人マギウス・マキナ”等々。

「壮大さに心が震えたのは他人事だからで、渦中に放り込まれると堪ったものじゃないわ」

 今や彼女自身も盤上の存在で観測者にあらず、姿を現した“滅びの刻楷きざはし”からは逃げられない。

 幸いなのは前領主に有能さを認められて拾われた事だろう。
お陰で“機械仕掛けの魔人マギウス・マキナ”を模倣した巨大騎士ナイトウィザードの開発も数年で目途が付き、人族初の騎体ジャベリンが完成した。

 当時、異形どもに滅ぼされつつあった島国の大国ギルティアへの援軍に紛れ込ませたものの、大型種異形に有効な攻撃手段を持たなかった連合軍は敢無あえなく敗退、対抗できる戦力を有していたゼファルス領軍が殿しんがりとなった。

 だが、たった数騎の巨大騎士で迫る異形どもを押し留める事は不可能、領主レオニードとその息子達は戦死、辛うじて僅かな領兵が生き残るのみ…… 結果的に領主の養女となっていたニーナが騎体技術を交渉材料に有力な貴族連中へ働き掛け、皇帝の勅免を受けてヴァレル家を継いだ。

(思えば数奇すうきなものね……)

 暫時、瞑目して過去にひたっていた彼女を引き戻すように、執務室の扉が丁寧に叩かれる。

「ニーナ様、報告が御座います」
「入りなさい」

 了承を受けて扉が開き、二十代前半の彼女よりも一回り年上のゼファルス領の騎士長アインストが歩み寄り、恭しく小さな羊皮紙を取り出す。

「リゼル騎士国に派遣したジャックス技官からの密書です」
「ん、これは…… 素晴らしい朗報だわ」

 羊皮紙に視線を落としたニーナは華が綻ぶような微笑をこぼしたが、騎士長は静かに首を左右へ振った。

「確かに大森林の精霊門破壊と組成物が手に入ったのは良い事でしょう、されども最後まで読んで頂きたい」

「……………… 困ったわね、どう解釈すれば良いの?」

 先程まで念願の精霊石を同盟国が確保した事に喜び、いつになく上機嫌だった彼女は小首を傾げ、ダークブラウンの髪を揺らしながら問う。

「悪い知らせです、これまでの協力体制もストラウス王あればこそ…… 新たな騎士王となった若造がこころざしある者でも、実力が伴わなければ役に立ちますまい」

「そうね、一度会って見極めるべきかしら?」
御随意ごずいいままに……」

 こうべを垂れたアインストがきびすを返して退出した後、彼女は研究に没頭して忘れないうちに執務机の引き出しを開き、何も書かれていない羊皮紙を取り出す。

 どちらにしろ、リゼル騎士団に精霊石を強請ねだる必要があったので、親書を出す事は確定事項だ。

 そこに新たな騎士王との面会を加え、諸々の対価として第二世代の新造騎体ベガルタ、ついでにピーキー過ぎてアインストでも扱えなかった改造騎体ベルフェゴールも提供するむねを示した。

(私の傑作なんだけど…… 飾っているだけじゃ、単なるオブジェだから)

 一瞬だけ悩んだものの、彼女は書き上げた文面にヴァレル家の印を押して封筒へ入れ、隣室から呼び出した侍従に手渡す。

 それが届く先、ゼファルス領から見て北方に位置する小国リゼルでは…… うら若き少女達が集まって何やら相談し合っていた。

「…… という訳で、クロードが私に手を出さないのです」
「彼、奥手そうだよね~、あ、このビスケット美味しい♪」

 割と深刻そうなイザナの言葉を聞き流し、魔術師長の娘が小動物のように砂糖をたっぷりと使った焼き菓子を食む。

「あぁ、もう…… 欠片が零れていますよ、レヴィア」
「二人とも真面目に話を聞いてください……」

 この場にいるもう一人、騎士団長の義娘フィーネを加えた三人は歳が近く、父親達の仲も良好だった事から自然と幼馴染になり、今も忌憚きたんなく意見を交し合う関係だったりする。

「率直に言ってしまうとイザナ様、そんな話をされても答えようが無いのです」
「うん、私達って魔法の鍛錬で自由時間が少なかったから、色恋沙汰は……」

「うぅ、それを言われると言い返せませんね」

 イザナとて二人の親友が魔術を学び出した時に名乗りを上げたのだが…… 王族という立場故に叶わず、ボロボロになっていた彼女達を心配する事しかできなかった。

 その負い目から言葉を詰まらせるも事は重大である。稀人まれびとの騎士と略式で婚姻を結んだ夜から、しとねを共にしているにも関わらず、一向にクロードは自身に興味を示さないのだ。

「これは認めざるを得ないのかもしれません…… 私に魅力が無いと」

 物憂ものうげな表情で頬杖ほおづえを突き、綺麗な碧眼へきがんを曇らせるイザナに向け、レヴィアがぶんぶんと首を左右に振る。

「それはあり得ないよね」
「えぇ、私もイザナ様はお美しいと思いますよ」

「では何故、毎晩身を寄せても頭を撫ぜられるだけなのです?」
「多分、気持ちが伴って無いからかと……」

 逡巡しつつも、フィーネが漏らした言葉にはレヴィアも心当たりがあった。

「その辺を気にするような事も言ってたし、地道に距離を詰めるしかないよぅ」

「具体的には如何ように?」
「ん~、お忍びで街にでも行くとか……」

 異世界地球の諺にある“三人寄れば文殊の知恵”とやらか、身を寄せ合ってコソコソと話をする少女達が集うサロンの外、扉の前で聞き耳を立てていた隻眼の魔術師サリエルは人知れず重い溜息を吐いた。
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