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 エヴァンが、薫の失声について気付いていたのかも、と思ったのは、彼があれこれとやることの指示を出してくれるからだ。薫が聞く前に気付いて声を掛ける。それが当たり前と思っていた、数日間の自分を呪いたい。

 しかし、そうなるとやはり気になるのは、どうしてそこまでして、薫を守ろうとしてくれるのか、だ。元は幼なじみとはいえ、薫は生まれ変わって姿かたちが変わっている。性格も、どちらかといえば正反対なのに。

「クリュメエナの評判は、どうですか?」

 とりあえず、小さく火をおこしてそばに並んで座った二人。干した芋やフルーツなどをつまみながら、エヴァンはポツリと呟いた。

 薫は俯く。

 シリルの噂と共に流れていたのは、クリュメエナが後進国だということ。今いるユチソンドはこの世界で最も大きな国で、それと同時に最も発展した国である、ということ。

「世界からみれば、クリュメエナは小さな国なんです」

 薫の表情を見てか、エヴァンは語り始める。

 それでも、そんな小さな国が、国として成り立っていられたのは、葬送師の存在が大きかったらしい。

「温泉もありますし、そのお湯も飲むことができる、重要な資源でした。それを欲しがる者もたくさんいました。けれど……」

 戦争や紛争で一番強かったのは、葬送師だったという。

「触れるだけで、あっという間に魂を抜き取ることができるんです。ロレットの家系は、そういう背景もあり、とても強い権力を持っていました」

 しかし時代が流れるにつれ、戦争して奪い合うよりも、もっと効率よく、たくさん生産する技術を見つけた人々は、そのうちにクリュメエナに目もくれなくなったそうだ。

 そしてあっという間に隣国は世界一の大国になり、クリュメエナは取り残された。

「そこで、周りに追いつこうとしたのがシリルです。……ですが……」

 エヴァンはそこで言葉を止めた。薫は思わず彼を見ると、彼は笑う。けれどそれは、喜びの感情からくる笑いではなく、何とも悲しい、笑みだった。

「噂通り、クリュメエナには保守的な人間が多く、人も技術も入れたがりませんでした」

 労働力は奴隷を買って増やし、作った作物を領主は巻き上げ、それを更に位の高い貴族が奪い取る。

「そんなことをしている間に、他の国は品種改良などをして、大きく、美味しい作物を作っているというのに……」

 それをすればもっと楽になるのに、豊かになれるのに、そうしないのはなぜだと、シリルはいつも言っていたそうだ。
 けれど前王、シリルの父はこう言った。

 それがクリュメエナの伝統だからだ。

「まさか国のトップが、伝統と言いながら考えることを放棄しているとは思わなかった、とシリルは悔しそうでした」

 でも、とエヴァンは続ける。焚き火の木がパチン、と爆ぜた。

「そこからです、シリルの精神が蝕まれていったのは……」

 薫は息を飲んだ。シリルがおかしくなったのは、薫を抱くようになってからの話じゃないらしい。

「……今日はここまでにしましょう。動物も人もいなさそうですが、安全とは言いきれません。少し休んで、早めに次の町へ行きますよ」

 そう言うと、エヴァンはタオルを取り出し、それを水に浸けた。硬く絞って薫に差し出し、身体を拭くように言われる。移動中はろくに風呂にも入れなかったから、ありがたいと思ってそれを受け取った。

 薫は上半身の服を脱いでタオルで身体を拭く。それだけでもさっぱりするし、気分もいい。下半身も、と思って少し躊躇いエヴァンを見ると、彼はこちらに背中を向けて待っていた。その気遣いが、何となく嬉しい。

「……っ、ぇ……」

 身体を拭き終わってタオルを洗い、名前を呼ぼうとして声が掠れた。やはり声を失ってしまったらしい、と肩を落とすと、エヴァンは振り返ってくれる。

「終わりましたね?」

 そう言って薫からタオルを受け取ったエヴァンは、袖を捲って腕を拭いた。ロレットに切られた腕はもう塞がっていたけれど、まだ痛々しい傷痕が残っている。

「……何見てるんですか」

 不機嫌な声がしてハッとした。エヴァンが眉間に皺を寄せてこちらを見ている。慌てて彼に背中を見せると、彼が嘆息したのが聞こえた。

「……すみません」

 謝られたのが意外で、薫は振り返って首を横に振る。

「男同士なのにと思うでしょうが、私は昔から、男女構わず絡まれやすくて」

 視線には敏感になってしまうんです、とエヴァンは眉を下げた。
 さもありなん、と薫は思う。エヴァンは男の薫から見ても綺麗だと思うし、周りが放っておかないだろう。

「……そもそも、この見た目と、占いの能力で貴族の養子にされたようなものですし。……だから、あまり好きになれないんです」

 好きになれない、とは何を指すのかエヴァンは言わなかった。義両親には感謝しているけれど、それが人目を引く容姿のおかげだというなら、複雑な心境なのかもしれない。

「──今思えば、性奴隷というのも、……あながち間違いじゃなかったかもしれませんね……」

 そう言うエヴァンの表情は悲しそうで、なぜか薫の方が泣けてきてしまった。
 エヴァンは多分、義両親には本当に感謝しているのだと思う。けれど、幼くて何も知らない子供に、際どいことをしたのだろうと、今の言葉で分かってしまった。

 ぐす、と鼻をすすった薫に、貴方が泣くことないでしょう、とエヴァンは苦笑する。

「どうやら私は、貴方といると話しすぎてしまうようですね。……ほら、私も身体を拭きますから、むこう向いて」

 言われた通り、薫はまたエヴァンに背中を向けると衣擦れの音がした。ぱさ、と布が落ちる音がして、なぜか薫はいつか見た、エヴァンの背中を思い出してしまい、顔が熱くなる。

 無意識に薫は膝を擦り合わせた。どうしてこんなにも意識してしまうのか分からないけれど、エヴァンはそんな目で見られるのは嫌に決まってる、と耳を塞ぐ。しゃがんで目をつむり、情報をシャットダウンすると、幾分か落ち着いてきたのでホッとした。

「薫」
「……っ!」

 しばらくして不意に肩を叩かれ、薫は弾かれたように目を開ける。目の前には不思議そうな顔をしたエヴァンがいて、いつの間にか身体を拭き終わったらしいと悟った。

「……もう休みましょう。貴方から先に仮眠を取ってください」

 薫は頷くと、地面に布を敷いた上に横になる。
 そしてすぐに、眠りに落ちた。
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