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22 失声
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薫は、ウトウトと微睡みながら、甘い香りに擦り寄った。気持ちがいい温かさにまた意識が沈みかけていると、突然ぐい、とおでこを押され、甘い香りから離される。
「ちょっと……私はシリルじゃありませんよ」
ハッキリしない頭で近くの顔を見ると、それはもう、ひと目で不機嫌と分かる顔のエヴァンがいた。そう言えば昨日、酔っ払ってしまって、温もりを求めてエヴァンと一緒に寝てしまったんだった、と思い出す。
それと同時に夢の内容まで思い出した。確か、ロレットとエヴァンが喧嘩する夢で……。
(エヴァンさんがロレットのことを、『好きな人には、手も足も、口すら出せない』って言ってたの、このことだった?)
だとしたらロレットは相当不憫である。当の本人に言う気はないとロレットは言っていたけれど、エヴァンはまさか自分が好かれているなんて、思ってもいないだろうからだ。
「……どうしました?」
何かを考えているのを悟られたのか、エヴァンがそう聞いてくる。薫は首を振って否定すると、彼は起き上がって「朝食を食べたら、すぐに出発しますよ」と離れていった。
◇◇
それから朝食を食べ、出発の準備をして出掛ける。移動はほぼ荷馬車に便乗させてもらうやり方で、徒歩よりもずっと速いけれど、ガタガタと揺れる荷台に常に掴まっていなければならず、舌を噛みそうで話すこともままならない。
街から街へと移動する際、エヴァンは誰かに手紙を書いていた。誰に宛てた手紙だろう? と内容を盗み見たけれど、読むのにまだ慣れていない薫は、内容まで把握することまではできない。
そして薫とエヴァンの怪我もだいぶ回復し、普段通りに動けるようになると、移動速度も速くなる。
「多分脅すつもりで切りつけたんでしょうね」
そんなことを言うエヴァンに、ロレットは本当はエヴァンさんのことが好きなんだよ、と伝えたかったけれど、言えなかった。第三者がお節介をして、ややこしくなるのは避けたい。
「……どうしました?」
ボーッとしていた薫を心配したのか、エヴァンが顔を覗いてくる。薫は慌てて目の前の料理に手をつけた。
ここはまた酒場だ。エヴァンが、情報を集めるならこういう所がいい、と選んで入っている。やはりお世辞にも上品とは言えない店で、みな大声で話をしては豪快に笑っていた。そんな店内で耳を澄ましていると、色んな所から噂話が聞こえてくるのだ。
クリュメエナ国王が自害したって。
え? 殺されたの間違いじゃないか?
俺は幽閉されたって聞いたぞ。
どれも内容はまちまちだが、シリルはどの道よくない状況にあるようだ。まずは、本当に彼が死んでしまったのか、確かめる必要がある。
(もし、シリルが本当に死んでしまっていたら……)
薫は涙が浮かんでしまい、慌てて引っ込めた。案の定、エヴァンに睨まれている。
「お嬢さん、何か悲しいことでもあったのかい?」
突然、横から声を掛けられて薫は見上げた。そこには赤ら顔の、日焼けした男性がいる。彼の顔や服は土埃だらけで、普段から土を触る仕事をしているようだ。一見紳士を装っているものの、エヴァンを見て鼻の下を伸ばしている。
「いえ。お気になさらず」
答えたのはエヴァンだ。美人が二人してこんな所にいるなんて、と断りもせずエヴァンの隣に座り、彼の肩を抱いた。途端に眉間の皺が増えたエヴァンに、薫はどうしたらいいのだろう、と戸惑っていると、エヴァンは低い声でこう言う。
「貴方、今日はいい買い手が見つかったんじゃないです?」
「ん? ああ、何で分かるんだ? そうそう、だからこうしてパーッと……」
「奥様の浮気相手ですよ。家に帰ってごらんなさい、もぬけの殻ですから」
おおかた貴方の浪費癖のせいでしょう、とエヴァンは男の言葉を遮って、静かにビールを飲む。
「……あんの野郎、やっぱり……!」
男はどうやら思い当たる節があったようだ。そう言うと、元々赤かった顔をもっと赤くして、ドスドスと足音を立てて店を出て行く。
いつの間にかしん、となっていた店内は、客も店員もこちらを見ていた。
「……目立ちすぎましたね」
行きましょう、とエヴァンは立ち上がる。
薫も慌てて後を追いかけて、また食いっぱぐれてしまった、と肩を落とした。
しかしエヴァンはそれに気付いたらしい。途中でパンを買ってくれて、それで空腹をしのぐ。
「食べられる時に食べないからですよ」
そう言って歩くエヴァンの歩調は速い。薫が小走りでついて行くけれど、彼はとうとう町外れまで来てしまった。そして、そこから点々とする家を眺めつつ、歩みを進める。
「薫、今日は諦めます。野宿しましょう」
薫はこくりと頷くと、エヴァンは「こっちです」と林の中へ入っていった。どうやら、店も宿も道も、安全なところを占いながら進んでいたらしい、と今更ながらに気付く。追っ手に会わなかったのはそのおかげか、とエヴァンに感謝しようと口を開いた。
「……」
薫は喉を押さえる。声が出ない。
(っていうか、僕、クリュメエナを出てから喋ってない……)
今までエヴァンとのコミュニケーションが成り立っていたのは、彼が先読みしてくれていたからだ。自分が喋ったかどうかすら分からなくなっていたなんて、と思っていたら、エヴァンが立ち止まった。
「……川の音がしますね。そっちに行ってみましょう」
耳を澄ましたのち、また歩き出した彼について行く。
(……本当に、僕はおんぶにだっこで……世話を焼かれてることにも気付かないなんて……)
それはエヴァンも怒るはずだ、と薫は思った。彼の今までの行動が、シリルのわがままに巻き込んだ罪滅ぼしだとしたら、薫がいつまでもメソメソしていては彼も浮かばれない。
しばらく歩くと、エヴァンの言う通り小さな川があった。魚もいないほどの浅い川だけれど、布を濡らして身体を清めることはできそうだ。
エヴァンは少しその川を眺め、ひとつ頷いてその水を掬って飲んだ。どうやら安全な水か、確かめたらしい。
「ここにしましょう」
そう言って、彼は荷物を下ろす。薫は積極的に休む準備を手伝った。すると彼は驚いたように目を丸め、それから綺麗に微笑んだのだ。
「助かります」
そう言った彼の言葉と声が、薫の心を温かくする。そして、こんなことでも感謝されるものなんだな、と薫は頬が熱くなった。
「ちょっと……私はシリルじゃありませんよ」
ハッキリしない頭で近くの顔を見ると、それはもう、ひと目で不機嫌と分かる顔のエヴァンがいた。そう言えば昨日、酔っ払ってしまって、温もりを求めてエヴァンと一緒に寝てしまったんだった、と思い出す。
それと同時に夢の内容まで思い出した。確か、ロレットとエヴァンが喧嘩する夢で……。
(エヴァンさんがロレットのことを、『好きな人には、手も足も、口すら出せない』って言ってたの、このことだった?)
だとしたらロレットは相当不憫である。当の本人に言う気はないとロレットは言っていたけれど、エヴァンはまさか自分が好かれているなんて、思ってもいないだろうからだ。
「……どうしました?」
何かを考えているのを悟られたのか、エヴァンがそう聞いてくる。薫は首を振って否定すると、彼は起き上がって「朝食を食べたら、すぐに出発しますよ」と離れていった。
◇◇
それから朝食を食べ、出発の準備をして出掛ける。移動はほぼ荷馬車に便乗させてもらうやり方で、徒歩よりもずっと速いけれど、ガタガタと揺れる荷台に常に掴まっていなければならず、舌を噛みそうで話すこともままならない。
街から街へと移動する際、エヴァンは誰かに手紙を書いていた。誰に宛てた手紙だろう? と内容を盗み見たけれど、読むのにまだ慣れていない薫は、内容まで把握することまではできない。
そして薫とエヴァンの怪我もだいぶ回復し、普段通りに動けるようになると、移動速度も速くなる。
「多分脅すつもりで切りつけたんでしょうね」
そんなことを言うエヴァンに、ロレットは本当はエヴァンさんのことが好きなんだよ、と伝えたかったけれど、言えなかった。第三者がお節介をして、ややこしくなるのは避けたい。
「……どうしました?」
ボーッとしていた薫を心配したのか、エヴァンが顔を覗いてくる。薫は慌てて目の前の料理に手をつけた。
ここはまた酒場だ。エヴァンが、情報を集めるならこういう所がいい、と選んで入っている。やはりお世辞にも上品とは言えない店で、みな大声で話をしては豪快に笑っていた。そんな店内で耳を澄ましていると、色んな所から噂話が聞こえてくるのだ。
クリュメエナ国王が自害したって。
え? 殺されたの間違いじゃないか?
俺は幽閉されたって聞いたぞ。
どれも内容はまちまちだが、シリルはどの道よくない状況にあるようだ。まずは、本当に彼が死んでしまったのか、確かめる必要がある。
(もし、シリルが本当に死んでしまっていたら……)
薫は涙が浮かんでしまい、慌てて引っ込めた。案の定、エヴァンに睨まれている。
「お嬢さん、何か悲しいことでもあったのかい?」
突然、横から声を掛けられて薫は見上げた。そこには赤ら顔の、日焼けした男性がいる。彼の顔や服は土埃だらけで、普段から土を触る仕事をしているようだ。一見紳士を装っているものの、エヴァンを見て鼻の下を伸ばしている。
「いえ。お気になさらず」
答えたのはエヴァンだ。美人が二人してこんな所にいるなんて、と断りもせずエヴァンの隣に座り、彼の肩を抱いた。途端に眉間の皺が増えたエヴァンに、薫はどうしたらいいのだろう、と戸惑っていると、エヴァンは低い声でこう言う。
「貴方、今日はいい買い手が見つかったんじゃないです?」
「ん? ああ、何で分かるんだ? そうそう、だからこうしてパーッと……」
「奥様の浮気相手ですよ。家に帰ってごらんなさい、もぬけの殻ですから」
おおかた貴方の浪費癖のせいでしょう、とエヴァンは男の言葉を遮って、静かにビールを飲む。
「……あんの野郎、やっぱり……!」
男はどうやら思い当たる節があったようだ。そう言うと、元々赤かった顔をもっと赤くして、ドスドスと足音を立てて店を出て行く。
いつの間にかしん、となっていた店内は、客も店員もこちらを見ていた。
「……目立ちすぎましたね」
行きましょう、とエヴァンは立ち上がる。
薫も慌てて後を追いかけて、また食いっぱぐれてしまった、と肩を落とした。
しかしエヴァンはそれに気付いたらしい。途中でパンを買ってくれて、それで空腹をしのぐ。
「食べられる時に食べないからですよ」
そう言って歩くエヴァンの歩調は速い。薫が小走りでついて行くけれど、彼はとうとう町外れまで来てしまった。そして、そこから点々とする家を眺めつつ、歩みを進める。
「薫、今日は諦めます。野宿しましょう」
薫はこくりと頷くと、エヴァンは「こっちです」と林の中へ入っていった。どうやら、店も宿も道も、安全なところを占いながら進んでいたらしい、と今更ながらに気付く。追っ手に会わなかったのはそのおかげか、とエヴァンに感謝しようと口を開いた。
「……」
薫は喉を押さえる。声が出ない。
(っていうか、僕、クリュメエナを出てから喋ってない……)
今までエヴァンとのコミュニケーションが成り立っていたのは、彼が先読みしてくれていたからだ。自分が喋ったかどうかすら分からなくなっていたなんて、と思っていたら、エヴァンが立ち止まった。
「……川の音がしますね。そっちに行ってみましょう」
耳を澄ましたのち、また歩き出した彼について行く。
(……本当に、僕はおんぶにだっこで……世話を焼かれてることにも気付かないなんて……)
それはエヴァンも怒るはずだ、と薫は思った。彼の今までの行動が、シリルのわがままに巻き込んだ罪滅ぼしだとしたら、薫がいつまでもメソメソしていては彼も浮かばれない。
しばらく歩くと、エヴァンの言う通り小さな川があった。魚もいないほどの浅い川だけれど、布を濡らして身体を清めることはできそうだ。
エヴァンは少しその川を眺め、ひとつ頷いてその水を掬って飲んだ。どうやら安全な水か、確かめたらしい。
「ここにしましょう」
そう言って、彼は荷物を下ろす。薫は積極的に休む準備を手伝った。すると彼は驚いたように目を丸め、それから綺麗に微笑んだのだ。
「助かります」
そう言った彼の言葉と声が、薫の心を温かくする。そして、こんなことでも感謝されるものなんだな、と薫は頬が熱くなった。
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