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第三十話
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時は少し過ぎて大晦日。透は伸也と晩御飯にキムチ鍋をつついていた。
「んー! やっぱ辛くて温まるし、鍋は最高だね」
「そうだね。……ほら透、野菜も食べて」
伸也が透の取り皿に白菜を入れる。やだしんちゃん食べてよ、と透は口を尖らせると、彼は笑いながら「食べなさい」と優しいけれど有無を言わさない口調で言った。
あれから透のスマホをすぐに買い替え、母親からの連絡を絶つことはできたけれど、伸也から近所で見かけたと聞いて、また記憶を飛ばしてしまい、伸也に迷惑をかけてしまう。
そんな透の様子を見た伸也は、マンションの更新を待たずに引っ越そうと言ってくれたが、何だか申し訳なくて断った。けれど、年度末になると部屋探しも引っ越しも激混みで難しくなる、と説得され、この年末の休みを利用して新居に引っ越したのだ。
驚いたのは、伸也が部屋の目星を既に付けていたことだ。透の通院と、伸也の通勤がしやすい場所──透に何かあっても伸也がすぐに駆けつけられる場所に、いい物件があったらしい。よく見つけたね、と透が言うと、「一応、不動産業界の人間だからね」と彼は微笑んでいた。
実は、不動産屋は全部地下で繋がっているらしい、と言う噂は本当だったのか、と透は言うと、伸也は声を上げて笑っていたけれど。
「こら透、肉ばっか食べないの」
「野菜はしんちゃん担当でしょー?」
肉ばかり取っていく透は、間違えて箸に引っかかった野菜を伸也の取り皿に入れていく。お子様なんだから、と呆れた伸也が野菜を口に運んだのを見届けて、透は口を開いた。
「しんちゃん、オレ、面接決まった」
透の言葉に目を丸くした伸也は、慌てて口の中のものを咀嚼し飲み込むと、本当? と驚く。
「良かったね。どんな所?」
「まずはお試しって前提で。飲食店だけど」
「飲食店……」
途端に表情が曇った伸也に、今度は透が慌てて補足した。
「いや、ちゃんと理解があるお店だよ? 院上がりの人とか、ドロップアウトした人とかも時々受け入れてるみたい」
「……大丈夫かなぁ?」
伸也が心配するのももっともだ。自傷行為はあれからしていないものの、記憶を飛ばすのは前より頻度が高くなっている。歳を重ねるにつれ落ち着くとは言われているけれど、店に迷惑をかけるのは向こうも承知の上だ、それならやりたいと言う透の意見を尊重すべきだろう。
「年明けに行くから、しんちゃん、上手くいくよう祈ってて」
「……透なら大丈夫だろうけど。一人で行くの?」
「いや、そこは担当の人と一緒に行くよ」
「そっか、それなら安心だね」
そう言って安堵の表情を見せる伸也。そして「じゃあ野菜も食べて、体調良くしておかないとね」と言われ、やはり逃げられなかったか、と伸也から白菜を受け取った。
◇◇
伸也とのんびり過ごした年末年始が終わり、透はアポイントを取っていた飲食店へ面接に向かう。駅からもそう遠くない個人店で、いかにも洋食店だという赤レンガの外装が目を引いていた。
ランチタイムとディナーが始まる間で面接をするのだが、出てきたのはいかにも人が良さそうな白髪混じりの細身の男性と、透と歳が変わらなさそうな、無愛想な青年だ。
「猪井透と申します。よろしくお願いします」
仲介役の担当者に言われた通りに挨拶をすると、白髪混じりの男性は目を細めてよろしく、と返してくれる。
しかし透は、その表情にただ穏やかなだけじゃない、その人の苦労が見えて、昔は荒れていたんだろうな、と透を受け入れた理由に納得する。多分、透が自暴自棄になった時期がなかったら、同じ匂いがするなんて思わなかっただろう。
「私は店長の小木曽です。こっちは店長代理の……こっちも小木曽だけど、便宜上肇くんって呼んでる」
「ども」
肇と呼ばれた青年は、こちらも見ずに透の履歴書に目を通している。
「では早速猪井さんの疾患について……具体的に聞いてもいいですか?」
「はい。猪井さんは……」
透の隣に座っている担当者が、透の病気について説明してくれる。
意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が、一時的に失われた状態になること、記憶を失っている間に、普段の本人ではありえない言動をすることがあること、特に透は自分を取り戻すために自傷行為をしてしまうことなど、隠さず話す。
「しかし最近は落ち着いてきたこともあり、医師の判断を受けて面接に参りました。明るく人懐こい方ですし、学生時代は接客業をしていたので、対人関係は問題ないかと」
「……働くにあたり、私たちが気を付けることはありますか?」
「はい。こちらにまとめてまいりました」
話しているのは主に担当者だけれど、透は緊張しながらそれを聞いていた。先程から肇というひとはひと言も喋らず、やはり無愛想に話を聞いているだけだ。それが何だか怖い。
「なるほど。突然スイッチが切れたようになる、と……きっかけはあったりなかったりね……」
店長の小木曽は「どう? 肇」と隣の肇に話し掛けている。すると彼から意外な言葉が出てきた。
「お前、このあと時間あるか?」
「え?」
「仕事内容や店の雰囲気も見た方がいいだろ」
それは見ることができるならそうしたいですけれど、と透は言うと、何か困ったことでも? と彼は聞いてくる。
「いえ、大丈夫です……」
「あっそ。なら、三十分後にまた来い」
面接は以上です。採用不採用は、またご連絡します、と肇は言うと、それきり無言でさっさと裏へと行ってしまった。
「ああ……すみません。仕込みがあるので私も失礼しますね。猪井くん、また後で」
そう言って小木曽も──こちらはきちんと挨拶をして──担当者と店を出る。担当者はこの後も当然仕事なので、透は一人で適当に時間を潰して、三十分後にまた店に戻った。
「んー! やっぱ辛くて温まるし、鍋は最高だね」
「そうだね。……ほら透、野菜も食べて」
伸也が透の取り皿に白菜を入れる。やだしんちゃん食べてよ、と透は口を尖らせると、彼は笑いながら「食べなさい」と優しいけれど有無を言わさない口調で言った。
あれから透のスマホをすぐに買い替え、母親からの連絡を絶つことはできたけれど、伸也から近所で見かけたと聞いて、また記憶を飛ばしてしまい、伸也に迷惑をかけてしまう。
そんな透の様子を見た伸也は、マンションの更新を待たずに引っ越そうと言ってくれたが、何だか申し訳なくて断った。けれど、年度末になると部屋探しも引っ越しも激混みで難しくなる、と説得され、この年末の休みを利用して新居に引っ越したのだ。
驚いたのは、伸也が部屋の目星を既に付けていたことだ。透の通院と、伸也の通勤がしやすい場所──透に何かあっても伸也がすぐに駆けつけられる場所に、いい物件があったらしい。よく見つけたね、と透が言うと、「一応、不動産業界の人間だからね」と彼は微笑んでいた。
実は、不動産屋は全部地下で繋がっているらしい、と言う噂は本当だったのか、と透は言うと、伸也は声を上げて笑っていたけれど。
「こら透、肉ばっか食べないの」
「野菜はしんちゃん担当でしょー?」
肉ばかり取っていく透は、間違えて箸に引っかかった野菜を伸也の取り皿に入れていく。お子様なんだから、と呆れた伸也が野菜を口に運んだのを見届けて、透は口を開いた。
「しんちゃん、オレ、面接決まった」
透の言葉に目を丸くした伸也は、慌てて口の中のものを咀嚼し飲み込むと、本当? と驚く。
「良かったね。どんな所?」
「まずはお試しって前提で。飲食店だけど」
「飲食店……」
途端に表情が曇った伸也に、今度は透が慌てて補足した。
「いや、ちゃんと理解があるお店だよ? 院上がりの人とか、ドロップアウトした人とかも時々受け入れてるみたい」
「……大丈夫かなぁ?」
伸也が心配するのももっともだ。自傷行為はあれからしていないものの、記憶を飛ばすのは前より頻度が高くなっている。歳を重ねるにつれ落ち着くとは言われているけれど、店に迷惑をかけるのは向こうも承知の上だ、それならやりたいと言う透の意見を尊重すべきだろう。
「年明けに行くから、しんちゃん、上手くいくよう祈ってて」
「……透なら大丈夫だろうけど。一人で行くの?」
「いや、そこは担当の人と一緒に行くよ」
「そっか、それなら安心だね」
そう言って安堵の表情を見せる伸也。そして「じゃあ野菜も食べて、体調良くしておかないとね」と言われ、やはり逃げられなかったか、と伸也から白菜を受け取った。
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伸也とのんびり過ごした年末年始が終わり、透はアポイントを取っていた飲食店へ面接に向かう。駅からもそう遠くない個人店で、いかにも洋食店だという赤レンガの外装が目を引いていた。
ランチタイムとディナーが始まる間で面接をするのだが、出てきたのはいかにも人が良さそうな白髪混じりの細身の男性と、透と歳が変わらなさそうな、無愛想な青年だ。
「猪井透と申します。よろしくお願いします」
仲介役の担当者に言われた通りに挨拶をすると、白髪混じりの男性は目を細めてよろしく、と返してくれる。
しかし透は、その表情にただ穏やかなだけじゃない、その人の苦労が見えて、昔は荒れていたんだろうな、と透を受け入れた理由に納得する。多分、透が自暴自棄になった時期がなかったら、同じ匂いがするなんて思わなかっただろう。
「私は店長の小木曽です。こっちは店長代理の……こっちも小木曽だけど、便宜上肇くんって呼んでる」
「ども」
肇と呼ばれた青年は、こちらも見ずに透の履歴書に目を通している。
「では早速猪井さんの疾患について……具体的に聞いてもいいですか?」
「はい。猪井さんは……」
透の隣に座っている担当者が、透の病気について説明してくれる。
意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が、一時的に失われた状態になること、記憶を失っている間に、普段の本人ではありえない言動をすることがあること、特に透は自分を取り戻すために自傷行為をしてしまうことなど、隠さず話す。
「しかし最近は落ち着いてきたこともあり、医師の判断を受けて面接に参りました。明るく人懐こい方ですし、学生時代は接客業をしていたので、対人関係は問題ないかと」
「……働くにあたり、私たちが気を付けることはありますか?」
「はい。こちらにまとめてまいりました」
話しているのは主に担当者だけれど、透は緊張しながらそれを聞いていた。先程から肇というひとはひと言も喋らず、やはり無愛想に話を聞いているだけだ。それが何だか怖い。
「なるほど。突然スイッチが切れたようになる、と……きっかけはあったりなかったりね……」
店長の小木曽は「どう? 肇」と隣の肇に話し掛けている。すると彼から意外な言葉が出てきた。
「お前、このあと時間あるか?」
「え?」
「仕事内容や店の雰囲気も見た方がいいだろ」
それは見ることができるならそうしたいですけれど、と透は言うと、何か困ったことでも? と彼は聞いてくる。
「いえ、大丈夫です……」
「あっそ。なら、三十分後にまた来い」
面接は以上です。採用不採用は、またご連絡します、と肇は言うと、それきり無言でさっさと裏へと行ってしまった。
「ああ……すみません。仕込みがあるので私も失礼しますね。猪井くん、また後で」
そう言って小木曽も──こちらはきちんと挨拶をして──担当者と店を出る。担当者はこの後も当然仕事なので、透は一人で適当に時間を潰して、三十分後にまた店に戻った。
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