上 下
23 / 39

第二十三話

しおりを挟む
 透は深い眠りから目が覚めると、隣に温かなものを感じた。

 時刻はまだ早朝のようだ。部屋のデジタル時計の光が、妙に明るく見える。

 心身がすごくスッキリしていた。こんなに深く眠ったのは、リョウスケとの一夜で疲れ果てて眠った以来だ、と起き上がる。

 見覚えのある景色。隣には伸也がいる。彼の家に来て、話をせずに寝てしまったのだと気付き、トイレに行きたくなってベッドから降りようとした。

「どこに行くの?」

 不意に腕を掴まれて、透は振り返る。やはり、優しいけれど強い瞳をした伸也が起きていて、透は苦笑した。

「トイレだよ」

 そう言うと、伸也はごめん、と言って手を離してくれる。

 用を足して部屋に戻ると、伸也はベッドの上に座って待っていた。どうやら、また逃げると思ったのだろう、そこまで思い詰めさせてしまったことに申し訳なさを感じ、透はベッドの端に座る。

「透……」

 後ろから伸也が抱きついてきた。以前は伸也から来ることなんてなかったのに、と思っていると、何があったの? と尋ねてくる。

「それより、今日は平日でしょ? しんちゃん仕事なら、もう少し寝てた方がいいんじゃない?」
「……透の方が大事。……話してくれるって言ってたじゃない」
「……」

 それを聞いて、また透の目頭が熱くなった。話したい気持ちと、話したら嫌われそうで怖い気持ちがせめぎ合い、透の吐く息が震える。
 透は自分の腰に回された、伸也の手を握った。

「しんちゃん……オレ、性病の検査に引っかかった……」

 ぽとりと、伸也の手に透の涙が落ちる。今のところ自覚症状は全くない。だから今この瞬間にも、感染症が進んでいるのかも、と思ったら怖かった。

 伸也が静かな声で言う。

「引っかかった、というのは? ちゃんと調べたの?」

 透は首を小さく横に振った。

「再検査だって……でも本当に感染してたらと思うと怖くて……っ」

 気を付けていたとはいえ、そこまで徹底していたわけではなかったし、自業自得と言える。伸也は優しく透の手を握ると、もっと詳しく聞かせて、と言うのだ。

「引っかかったのは二つ……B型肝炎と……HIV……」

 どちらも無症状の潜伏期間がある感染症で、と透はそれぞれ調べたことを説明する。

「つまり、B型肝炎ウイルスは重い病気に発展することもあって、HIVは……最悪AIDSエイズに、か……」
「ふ、不特定多数とのセックスとか、ちょっと危ないこともしたことあったし……」

 それに、と透は涙が止まらなくなった。

「しんちゃんに再会する直前、インフルエンザみたいな風邪で寝込んでたんだ。調べたらHIVに感染すると、そんな症状が出るって書いてあって……っ」

 透は耐えきれなくなり、伸也を振り返って抱きつく。伸也はそんな透の背中を優しく撫でてくれ、ますます透は涙が止まらなくなった。

「もうどうでもいいって思ってたのに、いざとなったら怖くなった。死にたくない……オレまだ死にたくないよ! 唯一続いてた仕事もできなくなって、ほんとにオレ、このまま野垂れ死にするしかないのかなって……!」
「透……」

 伸也の声は優しい。けれどこんなことになって、彼は引いていないだろうか? ほら見たことか、と呆れていないだろうか?

 なんの取り柄もない、身体を売ることしか能がなかったのに、それすらも絶たれてしまった。

 そう思って伸也の顔を見ると、両頬を手で包まれた。そして──。

 チュッと軽い音を立てて、それは離れる。柔らかくて温かい感触が、伸也の唇だと気付くのに数秒かかってしまった。

 なぜなら、それが触れたところは透の唇だったからだ。

「……涙は止まった?」

 目の前の優しい顔。透はサッと血の気が引く。

「な、にしてんのしんちゃんっ、オレ今説明したよね!?」

 性交渉や傷口から感染するウイルスなのだ、もし感染したら、と慌てる透。しかし伸也はそんな透を見て、呑気にクスクスと笑っている。

「うつったらうつったで、僕も一緒に治療するよ」

 だから一緒に検査に行こう、と言われ、透はまた泣けてきた。

 そして単純にも、それだけで伸也の全てを許してしまえたのだ。突き放しておいて今更とか、何でそこまで付き合ってくれるのかとか、色々と言いたいことはあったけれど、やっぱりこのひとからは、離れて生きていけない、と思ってしまう。

「しんちゃんごめん、……付き合わせてごめん……っ」

 泣いてそう謝ると、伸也はまたキツく抱きしめて、頭を撫でてくれた。疲れてるだろうから、もう一度眠ったら? と言う伸也の言葉に甘えて、透は伸也に抱きしめられながら横になる。


 ◇◇


 後日、然るべき医療機関を受診した透は確認検査をしたところ、やはりB型肝炎ウイルスに感染していた。しかし成人してからの感染のうえ、自覚症状が無いため、経過観察することになる。今のところ、肝臓にも問題はないらしい。
 
 一方HIVは、奇跡と言うべきか不幸中の幸いと言うべきか、どうやら偽陽性だったらしく、少し肩の荷が下りた透はその場でまた泣き崩れた。

 伸也も、透が付き合わなくていい、と言ったにも関わらず一通りの性病検査を受けていた。予想通り彼には何の異常も見つからず、こちらも一安心だ。

(……というか、付き添いもだけど、予防接種までしなくてもいいのに)

 わざわざ透と予定を合わせて、B型肝炎の予防接種をしている伸也を待っている間、透は近くの廊下のベンチに座って待つ。
 いくら責任を感じているとはいえ、ここまでする必要があるだろうか?

 感染症が見つかった時点で、透は店を辞めざるを得なかったので、当然下宿先にも居られなくなった。そこで伸也が「戻っておいで」と言うので、またしばらく伸也の家に居候することにしたのだけれど。

(やっぱり、いつまでもしんちゃんに頼ってはいられないよな)

 そう思って、透は今度こそ自立を目指そうと決意する。

 大丈夫、前回は焦ったから上手くいかなかったんだ、と自分に言い聞かせ、予防接種から戻ってきた伸也を笑顔で迎えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話

タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。 「優成、お前明樹のこと好きだろ」 高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。 メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?

その日君は笑った

mahiro
BL
大学で知り合った友人たちが恋人のことで泣く姿を嫌でも見ていた。 それを見ながらそんな風に感情を露に出来る程人を好きなるなんて良いなと思っていたが、まさか平凡な俺が彼らと同じようになるなんて。 最初に書いた作品「泣くなといい聞かせて」の登場人物が出てきます。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。 拙い文章でもお付き合いいただけたこと、誠に感謝申し上げます。 今後ともよろしくお願い致します。

生意気オメガは年上アルファに監禁される

神谷レイン
BL
芸能事務所に所属するオメガの彰(あきら)は、一カ月前からアルファの蘇芳(すおう)に監禁されていた。 でも快適な部屋に、発情期の時も蘇芳が相手をしてくれて。 俺ってペットか何かか? と思い始めていた頃、ある事件が起きてしまう! それがきっかけに蘇芳が彰を監禁していた理由が明らかになり、二人は……。 甘々オメガバース。全七話のお話です。 ※少しだけオメガバース独自設定が入っています。

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます

ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜 名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。 愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に… 「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」 美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。 🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶 応援していただいたみなさまのおかげです。 本当にありがとうございました!

潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話

あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは マフィアのボスの愛人まで潜入していた。 だがある日、それがボスにバレて、 執着監禁されちゃって、 幸せになっちゃう話 少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に メロメロに溺愛されちゃう。 そんなハッピー寄りなティーストです! ▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、 雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです! _____ ▶︎タイトルそのうち変えます 2022/05/16変更! 拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話 ▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です 2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。   ▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎ _____

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件

神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。 僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。 だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。 子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。   ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。 指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。 あれから10年近く。 ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。 だけど想いを隠すのは苦しくて――。 こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。 なのにどうして――。 『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』 えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)

処理中です...