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第十話
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「あなたが最初にそう言ったんでしょ!?」
「うるせぇ! お前がちゃんとしないからだろーが!」
物心ついた時から、透の両親の仲はすこぶる悪かった。毎日のようにお互い怒鳴り散らし、そんな彼らの矛先が自分に向かわないよう、透はひっそりと過ごしていた。
それは小学校に上がった頃も変わらなかった。今日も、できるだけ外で時間を潰して帰ってきた透は、家の外にまで聞こえる両親の怒鳴り声に、門扉の前で立ち尽くしている。
「どうしたの透?」
隣家に住んでいた伸也は、家に入るのを躊躇っている透を見つけ、声を掛けてくれる。透は帰りたくないと言うと、じゃあウチにおいで、と誘ってくれた。
伸也の家はしんとしていた。家の人がいなくて静かな空間に、ウチとは大違いだ、と透はすごく心が落ち着いていくのが分かる。ここは居心地がいいな、と透は感じていた。
どうして家に帰りたくなかったのか、伸也はいつも理由を聞かなかった。ただ単に、両親の声が隣家まで聞こえていたからかもしれないけれど。でもそれが、無条件で自分を受け入れてくれたのだと感じ、透は次第に、隣家の幼なじみに憧れと親愛を抱いていく。
いつも落ち着いていて、優しい笑みをたたえた伸也。思えば、透が伸也の家へ行っても、家の人はいつもいなかった。彼も当時は寂しかったのだろう、と今なら分かる。
忙しい両親の代わりに家事をし、早く大人びるしかなかった伸也は、誰かの世話を焼くことで、自分の存在意義を確認していたのかもしれない、と透は思う。
ある日、また両親の喧嘩が始まり、透はいつものように隣家へ逃げた。伸也は何も聞かず家に上げてくれ、透を晩ご飯に誘ってくれる。
いつもの流れだけれど、その日は違った。緊張の糸が切れた透は、その場でボロボロと泣いてしまう。
「母さんが……オレがいなきゃ父さんと喧嘩しなくて済むんだって……っ。お前さえいなきゃ父さんの良き妻でいられるのにって……!」
それを言われた時の、母親の歪んだ顔を思い出し、透は声を上げて泣いた。すると、ふわりと何かに包まれる。
透は伸也の腕に包まれていた。温かい体温にひどく安心して、また涙が止まらなくなる。
「オレは出来損ないで、要らない子だから……その辺で野垂れ死にしても誰も悲しまないって……っ」
実際、この時の透は勉強が苦手だった。成績が悪い透に、母親は出来損ないと叫び、父親はその母親に、「お前の教育がなってないからだ」となじり、またそれを「あんたのせいでお父さんに怒られた」と母親は透に言う。責任転嫁もいいところだが、幼い透にとっては、両親は絶対的な存在であり、彼らの言うことは真実である、と思ってしまっていたのだ。
「……辛いね」
伸也にそう言われて、透は伸也を抱きしめ返した。すると伸也の腕にも一層力が入り、また泣けてくる。
今一番言って欲しい言葉を言われた、と透は思った。辛い、助けて、苦しい──自分の心を代弁して、認めてくれる存在がどれだけ欲しかったことか。透はそれを手に入れた気がして、嬉しくてまた泣いた。
すると、額に温かく柔らかいものが押し付けられる。すぐに離れたそれは伸也の唇だとすぐに分かり、どうして、と彼を見た。
「──涙が止まるおまじない。……止まったね」
目の前で苦笑する伸也の顔を、透はまじまじと見つめる。けれど伸也は変わらず、優しい瞳で透を見つめ返した。短めに切った黒髪、いつも口角が上がっている唇も、普段と変わらない。
「……今の、ちゅーだよね?」
「うん」
「しんちゃんは、オレのこと、好きなの?」
「…………好きだよ。家族みたいに」
家族? と透はオウム返しする。伸也と透は家族ではないはず。だって一緒に住んでいないし、血も繋がってない。
そう言うと、伸也は少しだけ首を傾げた。
「そうじゃなくても家族になれるんだよ。ほら、僕の両親はお互い血が繋がってないけど、好きだから家族になった」
それを聞いた透は、ぱあっと目を輝かせる。
「じゃあ、……じゃあオレもしんちゃんが好きだから、しんちゃんはオレのお兄ちゃん?」
「そうだね。透は僕の弟だ」
やった! と透は伸也にまた抱きついた。このひとこそ、透の本当の家族なんだ、と透はぎゅうぎゅう伸也を抱きしめる。
嬉しすぎて離れたくなくなり、そのまま伸也の家に泊まって、彼の腕の中で眠る。深い眠りに落ちていたらしく、気付いたら朝だった、なんてことになっていたのは、生まれて初めてのことだった。それを伸也に言ったら、彼は複雑そうな顔をしていたけれど。
その辺りから、透は伸也が絶対的な存在になる。彼なら何でも受け入れてくれる、赦してくれる、と彼の家に入り浸り、外であった嫌なこと、楽しかったことを何でも話した。伸也は透が良いことをすれば褒めてくれたので、褒められた経験がなかった透は、伸也のために積極的に模範的な行動をしたし、勉強も頑張った。
透の成績が上がったことで、両親は勉強のことで透にきつく当たることはなくなった。ただ、モラハラ発言は相変わらずだったけれど。
そんな、一見好調に見える透の生活は、矛盾だらけの両親の言動によって呆気なく崩れてしまう。そしてその度に透は伸也を頼るのだ。それがどれだけ危ういことかも知らずに。
そして、それが伸也の人生を、どれだけ邪魔していたかも気付かずに。
伸也は、透がこうなったのは自分のせいだと言った。けれど当時の透と伸也は、お互いがお互いの存在を慰め合う関係だったのだ。子供だった二人は、その方法しか知らなかった、仕方がないことだろう。
「うるせぇ! お前がちゃんとしないからだろーが!」
物心ついた時から、透の両親の仲はすこぶる悪かった。毎日のようにお互い怒鳴り散らし、そんな彼らの矛先が自分に向かわないよう、透はひっそりと過ごしていた。
それは小学校に上がった頃も変わらなかった。今日も、できるだけ外で時間を潰して帰ってきた透は、家の外にまで聞こえる両親の怒鳴り声に、門扉の前で立ち尽くしている。
「どうしたの透?」
隣家に住んでいた伸也は、家に入るのを躊躇っている透を見つけ、声を掛けてくれる。透は帰りたくないと言うと、じゃあウチにおいで、と誘ってくれた。
伸也の家はしんとしていた。家の人がいなくて静かな空間に、ウチとは大違いだ、と透はすごく心が落ち着いていくのが分かる。ここは居心地がいいな、と透は感じていた。
どうして家に帰りたくなかったのか、伸也はいつも理由を聞かなかった。ただ単に、両親の声が隣家まで聞こえていたからかもしれないけれど。でもそれが、無条件で自分を受け入れてくれたのだと感じ、透は次第に、隣家の幼なじみに憧れと親愛を抱いていく。
いつも落ち着いていて、優しい笑みをたたえた伸也。思えば、透が伸也の家へ行っても、家の人はいつもいなかった。彼も当時は寂しかったのだろう、と今なら分かる。
忙しい両親の代わりに家事をし、早く大人びるしかなかった伸也は、誰かの世話を焼くことで、自分の存在意義を確認していたのかもしれない、と透は思う。
ある日、また両親の喧嘩が始まり、透はいつものように隣家へ逃げた。伸也は何も聞かず家に上げてくれ、透を晩ご飯に誘ってくれる。
いつもの流れだけれど、その日は違った。緊張の糸が切れた透は、その場でボロボロと泣いてしまう。
「母さんが……オレがいなきゃ父さんと喧嘩しなくて済むんだって……っ。お前さえいなきゃ父さんの良き妻でいられるのにって……!」
それを言われた時の、母親の歪んだ顔を思い出し、透は声を上げて泣いた。すると、ふわりと何かに包まれる。
透は伸也の腕に包まれていた。温かい体温にひどく安心して、また涙が止まらなくなる。
「オレは出来損ないで、要らない子だから……その辺で野垂れ死にしても誰も悲しまないって……っ」
実際、この時の透は勉強が苦手だった。成績が悪い透に、母親は出来損ないと叫び、父親はその母親に、「お前の教育がなってないからだ」となじり、またそれを「あんたのせいでお父さんに怒られた」と母親は透に言う。責任転嫁もいいところだが、幼い透にとっては、両親は絶対的な存在であり、彼らの言うことは真実である、と思ってしまっていたのだ。
「……辛いね」
伸也にそう言われて、透は伸也を抱きしめ返した。すると伸也の腕にも一層力が入り、また泣けてくる。
今一番言って欲しい言葉を言われた、と透は思った。辛い、助けて、苦しい──自分の心を代弁して、認めてくれる存在がどれだけ欲しかったことか。透はそれを手に入れた気がして、嬉しくてまた泣いた。
すると、額に温かく柔らかいものが押し付けられる。すぐに離れたそれは伸也の唇だとすぐに分かり、どうして、と彼を見た。
「──涙が止まるおまじない。……止まったね」
目の前で苦笑する伸也の顔を、透はまじまじと見つめる。けれど伸也は変わらず、優しい瞳で透を見つめ返した。短めに切った黒髪、いつも口角が上がっている唇も、普段と変わらない。
「……今の、ちゅーだよね?」
「うん」
「しんちゃんは、オレのこと、好きなの?」
「…………好きだよ。家族みたいに」
家族? と透はオウム返しする。伸也と透は家族ではないはず。だって一緒に住んでいないし、血も繋がってない。
そう言うと、伸也は少しだけ首を傾げた。
「そうじゃなくても家族になれるんだよ。ほら、僕の両親はお互い血が繋がってないけど、好きだから家族になった」
それを聞いた透は、ぱあっと目を輝かせる。
「じゃあ、……じゃあオレもしんちゃんが好きだから、しんちゃんはオレのお兄ちゃん?」
「そうだね。透は僕の弟だ」
やった! と透は伸也にまた抱きついた。このひとこそ、透の本当の家族なんだ、と透はぎゅうぎゅう伸也を抱きしめる。
嬉しすぎて離れたくなくなり、そのまま伸也の家に泊まって、彼の腕の中で眠る。深い眠りに落ちていたらしく、気付いたら朝だった、なんてことになっていたのは、生まれて初めてのことだった。それを伸也に言ったら、彼は複雑そうな顔をしていたけれど。
その辺りから、透は伸也が絶対的な存在になる。彼なら何でも受け入れてくれる、赦してくれる、と彼の家に入り浸り、外であった嫌なこと、楽しかったことを何でも話した。伸也は透が良いことをすれば褒めてくれたので、褒められた経験がなかった透は、伸也のために積極的に模範的な行動をしたし、勉強も頑張った。
透の成績が上がったことで、両親は勉強のことで透にきつく当たることはなくなった。ただ、モラハラ発言は相変わらずだったけれど。
そんな、一見好調に見える透の生活は、矛盾だらけの両親の言動によって呆気なく崩れてしまう。そしてその度に透は伸也を頼るのだ。それがどれだけ危ういことかも知らずに。
そして、それが伸也の人生を、どれだけ邪魔していたかも気付かずに。
伸也は、透がこうなったのは自分のせいだと言った。けれど当時の透と伸也は、お互いがお互いの存在を慰め合う関係だったのだ。子供だった二人は、その方法しか知らなかった、仕方がないことだろう。
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