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第一話
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昼下がりの駅のホーム、ざわめく雑踏の中、軽い足取りで歩く。ゴールデンウィークとあって、見慣れた駅も、いつもより人が多かった。
真っ直ぐ歩くその足は、普段から趣味でサッカーをしているからか、スイスイと人を避けていく。その度に長めの金髪がふわふわと揺れて、彼の足取りもいっそう軽くなった。
(会ったのは卒業祝いだったから、約一ヶ月ぶり?)
金髪の男性──いや、男の子と形容する方がしっくりくる──は、改札口へと向かう階段をひとつ飛ばしに上がっていく。
改札を出たら、彼に会える。
猪井透は次々と人を抜かしながら、肩に掛けたボストンバッグを押さえ、陸橋を渡り、最後の階段を降り始めた。
今年の春は温かくて、半袖の透の額にも汗がじわりと浮かぶ。けれどこれからのことを考えると、そんなことはどうでもいいと思えるほど、透は浮き足立っていた。
「しんちゃん!」
改札を出てすぐに見つけた、穏やかな顔の男性。しんちゃんと呼ばれた彼は透をみとめると、いっそう目を細める。
短めに切った黒い髪。優しげに下げられた眉はそのひとそのものの性格を表していて、上下細身のシャツとジーパンを穿いているのがよく似合う。
透は自然と笑みが零れた。
彼に駆け寄ると、その勢いのまま彼に抱きつく。ひと月前と変わらない、柔軟剤のいい匂いがして、透はふう、と心が落ち着くのを感じた。
「透、元気そうだね」
表情と同じく低く落ち着いた、穏やかな声。抱きついたまま顔を上げると、金髪の頭を撫でられた。
「髪染めたの? また派手にしたね」
「うん、せっかく口煩いのから離れられるからね」
そう言って透は身体を離すと、目の前のひとは困ったように苦笑する。
「おばさんも心配なんだよ」
「いいの、母さんの話は。それより、オレ着いたらしんちゃんの肉じゃが食べたい」
まさに今、口煩いと称した母親の話はしたくないので、透は話題を変えた。それは相手も分かっているので、苦笑しつつも応えてくれる。
「前々からリクエストあったから……作ってあるよ」
「本当!? やった!」
そう言うと二人は歩き出した。向かうはしんちゃん──太田伸也が一人暮らしする、マンションだ。
伸也は透の八つ年上のサラリーマン。透には詳しいことは分からないけれど、不動産会社で人事の仕事をしているらしい。
そんな伸也の家に、ゴールデンウィークの休みを利用して、透は伸也の家へ引越しし、そこから大学へ通うことにしたのだ。
実家から通えなくもないけれど、透は両親との折り合いが悪く、家を出たいと思いつつも自分勝手な母親から離れられずにいた。そこで大学に近い、元隣人の伸也の所なら問題ないだろうと説き伏せ、入学から一ヶ月経った今日、ついに引越しが叶うことになったのだ。
(それに、オレにとってしんちゃんは特別な存在だし)
いつも穏やかな伸也。彼の家族は仕事が忙しくて留守がちで、透は小さな頃から隣家を訪れてはよく遊んでいた。歳が離れた幼なじみだけれど、伸也は忙しい両親の代わりに家事をこなしていた上に、多感な頃の透の心を文字通り支えてくれたのだ。だから透は、家族よりも伸也が大切だし、彼のためなら何だってしたい。
「しんちゃん、オレが来たからには、家事は任せてね」
「ええ? 透が家事をするの?」
マンションまでの歩道をゆっくり歩きながら、伸也は微笑みながらも驚いたように見えた。それもそうだ、透が伸也の家に行っていた時は、彼に甘えっぱなしだったのだから。
「うん。そのために実家でも母さん説得する為に家事やったし、家賃も折半で良いから」
透の本気を母親に見せるため、少々無理をしたけれど、おかげであの家を出られたのだ。これから伸也と気兼ねなく暮らせると思うと、こんなのは必要な苦労だと、透はガッツポーズをする。
「折半って……いくらなんでも学生にそこまでさせられないよ」
案の定困った顔をする伸也。そんな彼に透はにかっと笑ってみせる。
「大丈夫。バイトもしてるし、元気だけが取り柄だからね」
「……はいはい」
そう言って、穏やかに笑う伸也はまた透の頭を撫でた。ほかの人に子供扱いされるのは嫌だけれど、伸也なら許せる。この気持ちの違いは何だろう、と思うけれど、目先の楽しみに透は考えることを止めてしまった。
「ところで、バイトって何のバイト?」
「ん? 大学の近くの居酒屋だよ。守に紹介してもらったんだ」
「守くん……ああ、同じゼミのお友達ね」
良かったね、と言われて透は嬉しくなる。ほかの誰でもない、伸也に言われると、胸が温かくなって飛び跳ねたくなるのだ。金髪がふわふわと、歩調に合わせて揺れる。
友人の守のことは、毎日伸也と連絡する中で知られるようになった。守には「幼なじみと毎日連絡なんてしないだろ」と言われたが。しかしこれが透と伸也の普通だし、他の幼なじみがどうなのかまでは知らないので、スルーした。
「あ、ゲームやろうな? サッカーゲーム、新しいの買ったんだ」
「……僕相手だと、透はつまらないんじゃないかなぁ……」
苦笑して遠くを見つめる伸也。透は彼の腕に自分の腕を絡めると、にしし、と笑った。
「練習練習っ」
「とか言って、毎回容赦ないじゃないか」
そう言って、伸也は透の髪の毛をかき混ぜる。その仕草がくすぐったくて首を竦めて笑うと、伸也はまた穏やかに笑うのだ。
透はそんな伸也を見て思う。
やっと、自分らしく生きていけるのだ、と。
真っ直ぐ歩くその足は、普段から趣味でサッカーをしているからか、スイスイと人を避けていく。その度に長めの金髪がふわふわと揺れて、彼の足取りもいっそう軽くなった。
(会ったのは卒業祝いだったから、約一ヶ月ぶり?)
金髪の男性──いや、男の子と形容する方がしっくりくる──は、改札口へと向かう階段をひとつ飛ばしに上がっていく。
改札を出たら、彼に会える。
猪井透は次々と人を抜かしながら、肩に掛けたボストンバッグを押さえ、陸橋を渡り、最後の階段を降り始めた。
今年の春は温かくて、半袖の透の額にも汗がじわりと浮かぶ。けれどこれからのことを考えると、そんなことはどうでもいいと思えるほど、透は浮き足立っていた。
「しんちゃん!」
改札を出てすぐに見つけた、穏やかな顔の男性。しんちゃんと呼ばれた彼は透をみとめると、いっそう目を細める。
短めに切った黒い髪。優しげに下げられた眉はそのひとそのものの性格を表していて、上下細身のシャツとジーパンを穿いているのがよく似合う。
透は自然と笑みが零れた。
彼に駆け寄ると、その勢いのまま彼に抱きつく。ひと月前と変わらない、柔軟剤のいい匂いがして、透はふう、と心が落ち着くのを感じた。
「透、元気そうだね」
表情と同じく低く落ち着いた、穏やかな声。抱きついたまま顔を上げると、金髪の頭を撫でられた。
「髪染めたの? また派手にしたね」
「うん、せっかく口煩いのから離れられるからね」
そう言って透は身体を離すと、目の前のひとは困ったように苦笑する。
「おばさんも心配なんだよ」
「いいの、母さんの話は。それより、オレ着いたらしんちゃんの肉じゃが食べたい」
まさに今、口煩いと称した母親の話はしたくないので、透は話題を変えた。それは相手も分かっているので、苦笑しつつも応えてくれる。
「前々からリクエストあったから……作ってあるよ」
「本当!? やった!」
そう言うと二人は歩き出した。向かうはしんちゃん──太田伸也が一人暮らしする、マンションだ。
伸也は透の八つ年上のサラリーマン。透には詳しいことは分からないけれど、不動産会社で人事の仕事をしているらしい。
そんな伸也の家に、ゴールデンウィークの休みを利用して、透は伸也の家へ引越しし、そこから大学へ通うことにしたのだ。
実家から通えなくもないけれど、透は両親との折り合いが悪く、家を出たいと思いつつも自分勝手な母親から離れられずにいた。そこで大学に近い、元隣人の伸也の所なら問題ないだろうと説き伏せ、入学から一ヶ月経った今日、ついに引越しが叶うことになったのだ。
(それに、オレにとってしんちゃんは特別な存在だし)
いつも穏やかな伸也。彼の家族は仕事が忙しくて留守がちで、透は小さな頃から隣家を訪れてはよく遊んでいた。歳が離れた幼なじみだけれど、伸也は忙しい両親の代わりに家事をこなしていた上に、多感な頃の透の心を文字通り支えてくれたのだ。だから透は、家族よりも伸也が大切だし、彼のためなら何だってしたい。
「しんちゃん、オレが来たからには、家事は任せてね」
「ええ? 透が家事をするの?」
マンションまでの歩道をゆっくり歩きながら、伸也は微笑みながらも驚いたように見えた。それもそうだ、透が伸也の家に行っていた時は、彼に甘えっぱなしだったのだから。
「うん。そのために実家でも母さん説得する為に家事やったし、家賃も折半で良いから」
透の本気を母親に見せるため、少々無理をしたけれど、おかげであの家を出られたのだ。これから伸也と気兼ねなく暮らせると思うと、こんなのは必要な苦労だと、透はガッツポーズをする。
「折半って……いくらなんでも学生にそこまでさせられないよ」
案の定困った顔をする伸也。そんな彼に透はにかっと笑ってみせる。
「大丈夫。バイトもしてるし、元気だけが取り柄だからね」
「……はいはい」
そう言って、穏やかに笑う伸也はまた透の頭を撫でた。ほかの人に子供扱いされるのは嫌だけれど、伸也なら許せる。この気持ちの違いは何だろう、と思うけれど、目先の楽しみに透は考えることを止めてしまった。
「ところで、バイトって何のバイト?」
「ん? 大学の近くの居酒屋だよ。守に紹介してもらったんだ」
「守くん……ああ、同じゼミのお友達ね」
良かったね、と言われて透は嬉しくなる。ほかの誰でもない、伸也に言われると、胸が温かくなって飛び跳ねたくなるのだ。金髪がふわふわと、歩調に合わせて揺れる。
友人の守のことは、毎日伸也と連絡する中で知られるようになった。守には「幼なじみと毎日連絡なんてしないだろ」と言われたが。しかしこれが透と伸也の普通だし、他の幼なじみがどうなのかまでは知らないので、スルーした。
「あ、ゲームやろうな? サッカーゲーム、新しいの買ったんだ」
「……僕相手だと、透はつまらないんじゃないかなぁ……」
苦笑して遠くを見つめる伸也。透は彼の腕に自分の腕を絡めると、にしし、と笑った。
「練習練習っ」
「とか言って、毎回容赦ないじゃないか」
そう言って、伸也は透の髪の毛をかき混ぜる。その仕草がくすぐったくて首を竦めて笑うと、伸也はまた穏やかに笑うのだ。
透はそんな伸也を見て思う。
やっと、自分らしく生きていけるのだ、と。
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