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契の指輪

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 それから時は少し経ち、春の陽気が訪れた頃。

「妙だと思わないか?」

「んー?」

 鷹使は、週に一度の大野宅への訪問が終わった帰り道、車を運転しながら言う。緋嶺は車の中の心地良さに欠伸をしながら返事をすると、もっと警戒しろ、と鷹使に睨まれた。

「豪鬼を殺したのに、何の音沙汰もない」

「あー……そう言えばそうだな」

 言われてみればそうだ。もっとも、豪鬼たちを返り討ちにしたので、攻撃しあぐねているという可能性もあるが、それにしても静かだ。

 そんな事をボーッと考えていたら、また欠伸が出た。やたら眠いな、と目を擦る。

「おい、もう着くぞ」

 鷹使がそう言った通り、車は自宅の庭に入った。緋嶺は頭を振って眠気を覚まし、車を降りる。

 するとツツジの生垣の上に、ハンカチが乗っている事に気付く。

「なぁ、このハンカチ……何だろ?」

 それはタオル生地でできたハンカチで、小ぶりの大きさの、よく見るものだった。白色で、角にワンポイントの刺繍があって、よく見るとレーシングカーらしい車が施されている。

 レーシングカーと言えば、と緋嶺はすぐにセナを思い出す。彼に聞けば分かるだろうか、とそれを手に取ると、おい、と鷹使の咎める声がした。

「放っておけ。落し物で、分かるように置いたのかもしれない」

「それなら、俺心当たりある」

 届けてくる、と言うと、鷹使はダメだ、と緋嶺を鋭い目付きで見る。

「何で? すぐそこだよ? アンタも付いてこればいいじゃん」

 緋嶺がそう言うと、鷹使は一層表情を鋭くして、胸ぐらを掴む。

「お前は許可なく俺の結界から出るな」

「じゃあ許可をく……、んん……っ」

 許可をくれと言おうとした緋嶺は、鷹使に唇を塞がれてくぐもった声を上げる。しかも塞いだのは鷹使の唇で、何でここでキスなんだ、と緋嶺は抵抗した。

 しかし鷹使の唇は遠慮なしに緋嶺のそれを啄む。僅かに開いた唇を舌でこじ開けられ、深いキスに変わると緋嶺の身体の奥で小さな火が着くのが分かった。

 すると鷹使の唇から蜜の味が流れ込んでくる。それを舌で感じた途端、緋嶺は一切抵抗できなくなり、足の力が抜けてよろけ、鷹使にしがみついてしまった。

 その様子に満足したのか、鷹使は緋嶺を抱きとめると家に入るぞ、と言う。

「……あんた、俺を軟禁するつもりか?」

「ああ。最初からそのつもりだが?」

 しかしちっとも俺の言う事聞かないな、と呆れた声がしたので、緋嶺は顔が熱くなる。この反応はおかしいぞと慌てていると、鷹使はクスクスと笑った。

「……伯父さんに抱きしめられている気分はどうだ?」

「はぁ? そんなの、嫌に決まってるだろ」

「じゃあなぜ離れない?」

 足の力が抜けたんだよ! と緋嶺は鷹使の肩を叩く。鷹使は声を上げて笑い、今度こそ家に入るぞ、とそのまま緋嶺の膝を掬った。

「ちょっ! これはさすがに嫌だ! 降ろせ!」

 いわゆるお姫様抱っこをされて、緋嶺は思わず鷹使の首にしがみつく。暴れると落とされるのは目に見えているので、抵抗するのは口だけだ。しかし鷹使はどこか楽しそうにしていて、そんな彼を見て何だか面映ゆい気分になる。

「……お前はまだ自覚してないようだからな」

 ゆっくりいくぞ、と言われて緋嶺は何の話だと思う。家に入り玄関にそっと降ろされると、あのハンカチどうするんだよ、と口を尖らせると、あそこにあれば気付くだろう、と返ってきた。

「あのー……、もしかして俺が他の奴と話すのが嫌だとか言う……?」

 緋嶺が恐る恐るその質問をすると、鷹使は真顔でそうだな、と言う。過保護にも程があるぞと文句を言うと、なんとでも言えという態度だったので呆れた。

 すると、鷹使のスマホが鳴る。すぐに電話に出た彼は外を指さす。どうやら今から出掛けるぞ、と言いたいらしい。緋嶺は靴を脱ぐのをやめて、再び外に出た。

 車に乗り込もうとしたところで、セナが通りかかった事に気付く。慌てて彼に声を掛けると、セナは笑顔で振り向いた。

「このハンカチ、セナの?」

 生垣に置いてあったハンカチを見せると、彼は更に笑みを深くする。

「ああそれ。うん、よく分かったね」

「だってレーシングカーの刺繍が付いてるから」

 緋嶺はそう言うと、それもそうか、とセナは笑った。しかし次には浮かない顔をするので、緋嶺はどうした? と彼の顔を覗き込む。

「あ、いや……ちょっとね……」

 苦笑したセナは、明るかった彼のイメージには無い雰囲気だ。思い詰めたような顔をした彼は、緋嶺の何とかしてやりたいという心を動かした。

「何? 話だけでも聞くぞ?」

 緋嶺はそう言うと、セナはまた苦笑してありがとうと言う。

「……そのうちね」

 そう言って、彼は緋嶺からハンカチを受け取り去っていった。

「緋嶺、待たせたすぐ出るぞ」

 電話を終えたらしい鷹使が家から出てきた。すると車に乗っていない緋嶺に、なぜか眉を寄せる。

「……誰かいたのか?」

「あ、うん。セナ……印旛さんが……」

 ハンカチを渡したんだ、と緋嶺は言うと、鷹使は何か考えた素振りを見せた。もしかしてまた嫉妬したとか? と考えていると、まさかお前から声を掛けていないだろうな、と意外な事を言われる。

「あ、ハンカチ渡さなきゃと思って、俺が声掛けた……」

「……」

 すると鷹使は額に手を当てて、大きなため息をついた。あからさまに呆れた態度に緋嶺はムッとすると、いいか、と理由を説明してくれる。

「安易に見つからない結界を張ったとは言ったが、めくらまし程度で、こちらから声を掛ければ分かるんだ」

 だからあまり他人と話すなと言っているのに、と言われ、そんな説明しなかったじゃないか、と口を尖らせる。しかしそれよりも、と緋嶺は話題を逸らした。

「セナ、何か悩んでるようだった」

「そんなの、知ったことか」

 二人は車に乗り込むと、話を続ける。

 何でも屋なら、困っている人を助けないのか、と緋嶺が言うと、慈善事業じゃないんだから、依頼がない限り動かない、と取り付く島もない。改めて鷹使が優しいのは、身内に対してだけなんだと思い知らされる。それでも、優しい方だとコハクは言っていたが。

「とりあえず、今から依頼人の所に行く。ざっくり説明するぞ」

 新しい車になってから、乗り心地はかなり改善されたけれど、ゆっくり助手席に乗せてくれない鷹使は、いつも何か話しかけてくる。

 一度でいいから寝て移動したい、と欠伸を噛み殺す緋嶺だった。
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