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契の指輪

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 家に帰ってからも緋嶺は無言で、真っ先に寝室に入ろうとしたら呼び止められた。

「何を怒ってる?」

「……別に。自分が許せないだけだ」

 そう言ってガラス戸を勢いよく閉める。もちろん割れないように配慮はしているけれど、大きな音がしたので、鷹使は割ったら弁償しろよ、と呟いてその場を去っていった。

 からかわれているのは最初からだ。なのになぜ急に、こんなにもイライラしてしまっているのだろう?

 バカにされたから? 罪悪感に苛まれる緋嶺を笑ったから?

 緋嶺は布団に寝転がる。

(……そうだ。アイツはまた傷付けてしまったと思った俺を笑った……)

 緋嶺の良心を笑われて、しかもわざと絆創膏まで貼った。もてあそばれた事に苛立ったのだ。

(……やめよ)

 緋嶺は考える事を止めた。うだうだ考えるのは性にあわない。ただ、もう鷹使には触らせないし触らない、と心に違う。

 鷹使に触れると性的興奮が起こるのは、彼が天使だからじゃないか、と予想をする。あの快感にハマってしまったら、きっと抜け出せなくなるだろう。それは嫌だ。

 すると、ガラス戸の向こうから鷹使の声がした。

「おい、出掛けるぞ」

「は?」

 今帰ってきたばかりなのに、と身体を起こすと、珍しく慌てた感じで鷹使は外へ出て行った。何か悪い予感がするけれど、説明は車の中でしてくれるだろう、と緋嶺はすぐに後を追いかける。

 すぐに発進した車の中で、緋嶺はボソリと尋ねた。

「何かあったのかよ?」

 外はもうすぐ夕暮れだ、暗くなれば山の中を歩くのは難しい。

「鬼から逃れた人間が保護された」

「……っ」

 鷹使が言うには、他の仲間がその人を保護していると言う。警察に犯人の特徴を聞いたら、鷹使の見覚えのある奴だったらしい。

「大柄で、肌は浅黒く、腕が極端に太い……俺の記憶が正しければ、鬼の族長だ」

 厄介な相手だな、と鷹使は珍しく唇を噛んでいた。

「しかも被害者は……お前の元同僚の、古川という男だ」

 緋嶺は息を飲んだ。誕生日の夜、一緒に祝ってくれた一人だ。緋嶺と同い年で、会社の中でも一番仲が良かった。無事で良かったと思うのと同時に、自分が会うまで何も起きませんように、と緋嶺は窓の外を眺めながら願った。






 車を飛ばすこと四十分。緋嶺は気が気じゃないまま車を降りる。古川は少し怪我をしたらしく、着いた先は病院だったが、彼は元気だった。

「古川……っ」

「鬼頭……」

 ロビーにいた古川に緋嶺は駆け寄ると、彼は一気に怒気を爆発させて、緋嶺の胸ぐらを掴む。

「お前……っ、お前のせいで大変な目に遭ったんだぞ!?」

 全くそんな事を言われると思っていなかった緋嶺は、古川の剣幕に呆然としてしまった。しかし彼の怒りは収まらず、何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ、と叫んでいる。

 目の前にいる男は誰だ? と緋嶺は思った。

 誕生日、自分のために料理を振舞ってくれて、楽しいからみんなの誕生日にやろうって言ってくれた彼は、誰だったんだ、と緋嶺は息を詰めた。しかし、その間も古川は、緋嶺に罵詈雑言を吐き続けている。これは、自分の知っている彼じゃない。

 周りへのフォローも上手で仕事もできて、それなのに──。

 それなのに、こんな事で人間は簡単に仲間を嫌うのか。

 緋嶺の心に黒いものが落ちた。

「……落ち着いて。ここは病院ですよ」

 不意に横から静かな声がして、緋嶺はハッとする。自分が不穏な事を考えていたと気付き、古川に胸を押されて彼から離れる。

 声を掛けてきたのは鷹使だ。話を聞かせてください、と古川を少し離れた所に連れて行く。

「あの……大丈夫ですか?」

 また横から声を掛けられて振り向くと、緋嶺より背の低い、金髪の男の子がいた。こちらの顔色を伺うように見上げ、眉を下げている。しかし天使の特徴なのかその顔は美しく、病院にいるので何人かはこの子を見て、お迎えが来たと勘違いするだろう。

「……大丈夫、です」

 鷹使の言った仲間とはこの子のことらしい。しかし鬼は族長が来ているというのに、この子は頼りない。本当に大丈夫なのだろうか?

「気が乱れてます。一緒に深呼吸しましょ」

 そう言ってスー、ハーと声を出して言うので思わず笑うと、良かった、と彼は笑った。そしてその笑顔のままこう言うのだ。

「あの人間は危険な目に遭って混乱してるんです。ホント、彼らって脆弱な生き物ですね」

 そんな奴らに心を痛める必要ないですよ、と。

「……」

 やはり、彼らは人間とは考え方が違うのだ、と緋嶺は思い知らされる。長く人間と一緒に暮らしてきたせいで、緋嶺は人間らしい考えしかできないでいた。

 そして、彼はまた意外なことを言う。

「鷹使さんはそんな人間も見捨てずに助けてるから、さすがだと思います。僕には到底真似できません」

 どうして人間なんかに肩入れしてるのか、知らないですけど、と彼は緋嶺をじっと見た。どうやら彼は、本当にサラの遺言だけを聞くつもりでここにいるようだ。緋嶺は居心地が悪くなって、鷹使の方を見る。

 すると鷹使はあらかた話を聞き終えたらしい、頭を下げてこちらに向かって来た。それと入れ替わりのように、天使の男の子は古川の方へと歩いて行く。

「……豪鬼に緋嶺はどこだと聞かれて、どこに行ったかこっちが知りたいと言ったらしい。それで本人とは違うと判断されて、見逃したようだな」

 どうやら古川から聞いた事を言っているらしい。鷹使は、犯罪に巻き込まれる可能性があったから、何も言わずに別れたと説明したようだ。古川は納得していない様子だったと鷹使はため息をつく。

「とりあえず、彼が無事でなによりだ。……緋嶺?」

 緋嶺は身体ごと鷹使の視線から逃れた。今になってなぜか、目頭が熱くなってきてしまったのだ。

「……今日はこれで帰るか。ここに長居するのも危ない」

 鷹使は歩いて病院を出た。緋嶺も無言で付いて行く。

 滲んだ視界でふらついた足元が、緋嶺の存在意義を揺らがせたように思えた。
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