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契の指輪

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 ある冬の夜。鬼頭きとう緋嶺あかねは夜の公園を歩いていた。

 今日は緋嶺の誕生日。バイト仲間が誕生日会と称した飲み会を開き、結構飲まされてしまったので、酔い醒ましに寒い中を歩いて帰っていたのだ。

 配達員のバイトをしている緋嶺は、見た感じからしてスポーツをしていそうな体躯をしている。短めの髪は月明かりで艶やかに光り、整えた眉と、意志の強そうな目は、今は辺りの景色をゆっくりと眺めていた。

 長い足をゆっくり気だるげに動かし、ダウンコートのポケットに両手を入れて歩く様は、運送会社のコマーシャルやポスターに出てきそうな、爽やかお兄さんとは程遠い。

「……いい月だな……」

 緋嶺は呟く。見上げた月は満月で、優しく辺りを照らしていた。

 今日で産まれて二十年。児童養護施設で育った緋嶺は、小さい頃の記憶があまりない。けれど何とか一人で生きていけるようになったし、友達も沢山できた。

 人に恵まれたな、と緋嶺は思う。こうやって誕生日会を開いてくれる──例え自分たちが飲みたかっただけだとしても──友人を、大切にしたいなと口の端を上げた。

 やっと、人間として彼ららしく振舞うことが板に付いてきたのだ、このままずっと、友人たちと過ごしていたいと願う。

『お前は人間だ。人間として、人間の世界で生きるのだ。決して鬼だと明かしてはいけない』

 緋嶺の中の最初の記憶。誰かが自分の肩を掴んで、必死に訴えていた。そしてその直後、緋嶺は暗い穴に突き落とされ、気が付いたら児童養護施設の前に倒れていた。

 そう、緋嶺は人間ではなく、鬼なのだ。

 幸いその児童養護施設にお世話になって、無事に自立できるまでになった。欲を言えば正社員になって、もう少し金銭的余裕が欲しいところだけれど。

 でも、と緋嶺は街頭の下で足を止める。

 このままこの仲間たちと、長い付き合いができたらな、と思う。人間のイメージする鬼とは程遠いかもしれないけれど、意外と義理堅い種族なのだ。

 ふと、足下がふらついた。飲みすぎたかな、と息を吐くと、ドクン、と大きく心臓が跳ねる。

「……っ」

 緋嶺は胸を押さえた。大きく脈打つ心臓はさらに早くなり、胸が熱く苦しくなってくる。キーンという耳鳴りがして、おでこに汗が滲んだ。息を吸っても吸っても苦しくて、前かがみになるけれど胸の熱さは引くどころか、どんどん熱くなっていく。

 歩くこともままならなくなり、小さく呻いてその場に膝をついた。そのまま地面に倒れ込みそうになるのを、片腕で支えて耐え、はぁはぁと大きな口を開けて喘ぐ。

 緋嶺は混乱していた。一体何が起きたのか分からない。苦しくて熱くて、身体が自分のものではないみたいだ。

「ぅ……っ」


 血ガ、ホシイ……。


 緋嶺の中からそんな衝動が湧いてくる。いやダメだと息をグッと詰めた。


 血ガ、ホシイ……。肉ガ、ホシイ……。


「……っ、イヤだ……っ」

 緋嶺の中から湧き上がる衝動を、声を上げて否定した。自分は人間として振る舞わなければいけないのだ、血も肉もいらない。

 すると公園内に人の気配があった。緋嶺からは見えない位置だったにも関わらずそれが分かり、反射的に地面を蹴る。

 人間では有り得ない、驚くべき身体能力で、緋嶺はその人に一蹴りで近付いた。音もなく一瞬の事で、緋嶺は衝動を抑えきれず、その人の首元に手を伸ばす。

 もう少しでその肌に緋嶺の指が掛かろうとした瞬間、その人は振り返った。そして緋嶺はそのまま天地がひっくり返った感覚がし、背中を強く地面に打ち付ける。

「うう……っ!」

 背中の痛みで呻くと、さらに胸が熱くなって苦しくなる。胸を掻きむしってのたうち回っていると、そばに今まさに襲おうとした人が、立ったまま見下ろしてきた。

「……お前、何者だ?」

 緋嶺は質問されているのだと気付いた。しかし答えることはできず、やっとの事で四つん這いになる。言葉を発することができず呻いていると、その人が正面にしゃがんだ。そして細い腕や指からは想像できないほど強く、胸ぐらを掴まれる。

 霞み始めた視界に、金色が見えた。声からして男だろうけれど、その金色は腰あたりまで伸びていて、長い髪の毛なのだと気付く。


 ──こいつヲ、喰ラエ。


 緋嶺の中で誰かが囁いた。嫌だ、と掠れた声で言うと、ふむ、とその金髪の男は言う。

 男の顔が近付いた。

 唇に、何かが触れる。ひんやりと柔らかいそれは、触れているだけなのに、緋嶺の腰の辺りがゾクゾクとして、足の力が抜けそうになった。彼の唇が自分のと合わさっていると理解するのに時間がかかり、何故かそこから何かを吸い取られているように感じて、少しずつ落ち着いてくる。

「……」

 次第に霞んだ視界もハッキリとしてきて、男の顔が見えてくる。長い金色のまつ毛に縁取られた目は切れ長で、そこにあったのは琥珀の瞳。それが淡く光ったかと思ったら、緋嶺の全身から力が抜けた。

 何が起きた、と思ったけれど、顔を離した男が胸ぐらを掴んでいるせいで地面に横たわることすらできない。苦しくて顔を顰めると、男はもう一度聞いた。

「お前、何者だ? 人間じゃないな?」

 違う、と緋嶺は言いたかった。けれど口が開閉するだけで、声が出ない。自分は人間として生きなければならない。鬼だとバレてはいけないのだ。

 男はふん、と鼻を鳴らす。

「まあいい。それなら確かめさせてもらうまでだ」

 男はそう言うと、緋嶺の身体がふわりと浮いた。緋嶺の身長は一七六センチあり、運送会社の仕事で筋肉もそこそこ付いている。比例して体重もそれなりにある筈なのに、男は軽々と緋嶺を肩に担いだのだ。

 浮遊感に目眩がし、眉間に皺を寄せ目を閉じると、急激に意識が遠のいていく。

(コイツこそ、只者じゃないだろ……)

 そう思うけれど、全身の力が抜けた緋嶺は抵抗する事ができなかった。
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