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壊すなら、貴方の手で4

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 本日一人目の客は、個人で家電代理店を営む、四十代の男性だ。

「馬場さん、今日は気になる所はありますか?」

 最初は腰が痛いと訴えてやってきたけれど、最近は予防のためにと定期的に通ってきてくれる。あまり話すのが得意じゃないようで、黒兎が尋ねても短い言葉でしか返ってこない。

「特に……。寝たいのでお任せします」
「かしこまりました」

 勝手知ったる様子で施術用ベッドに乗ろうとする馬場。施術用ベッドに乗るのも、余分に付いた脂肪が邪魔そうで、普段から横着していることが予想される。腰を痛めたのも、そのせいじゃないだろうか、と黒兎は手助けをした。

 話さなくてもいいなら、と黒兎は声を掛けてから施術を始め、あとは黙っていることにする。

 始めは右手の指先から。一度肩まで施術したら次は左手。そして顔、頭と施術していく。顔や頭は人間にとって触られると気になる部分だけれど、整膚は副交感神経を刺激するので、そこを施術し始めると、眠りにつくひとが多い。この馬場も例外ではなく、早々に眠りについてしまった。

(……少し胃腸の動きが鈍い気がするけど、気にする程ではないかな)

 施術が終わったら、消化がいい食べ物を摂るように伝えよう、そう思って胃腸の動きを助ける施術をする。
 血液とリンパ液の流れを良くして、副交感神経を刺激してリラックスしてもらう。治療とは違うけれど、スッキリすると黒兎の施術は評判だ。皮膚を摘んで戻しての繰り返しで、施術される方もする方も比較的負担が少ない。

(だからか、雅樹には無理をしがちだと言われるんだけど)

 黒兎は人知れず苦笑した。何をしていても考えが雅樹に繋がってしまうのは、自分も青いな、と。

 初恋が実ったのだからしょうがない、と言うにはいい歳すぎて、だからと言って落ち着いた関係になるには、二人はまだ生まれたばかりの関係だ。雅樹も同じような感じなのかな、とか考えて、また雅樹のことを考えてしまっている自分に笑う。

 もう三十代も後半に入る歳だ。けれど二人とも高校生時代に戻ったかのような、初々しい所を見せる瞬間がある。そしてそれを、お互い嬉しいと感じているから、両想いってここまでバカになれるんだ、とニヤニヤが止まらない。

(ダメだ、いくら馬場さんが寝てるからって、顔が緩んでちゃ)

 毎日声を聞くか、顔を見るかをしているのに全然飽きない。別れたあとすぐに次はいつ会えるか、なんて考えている。要するに、浮かれているのだ。

 嬉しいから生活も心の余裕ができる。前は自分のことをおざなりにしていたけれど、少しは気を遣おうなんて思えてくる。

 恋愛ってすごいな、と思った。

 馬場の施術が終わり、ベッドに座った状態の彼に「お疲れ様でした」と声を掛けると、彼はほとんど何も話さずに料金を支払い、次の予約を取る。

「あ、馬場さん。少し胃腸が弱っているので、消化がいいものを食べてくださいね」
「そうですか……」

 馬場はそう言うと、ありがとうございました、とだけ言って黒兎のマンションを出ていった。

 馬場を見送ってサロンの部屋を整頓し、次の客に備える。次まで少し時間があるなと思っていたら、雅樹からメールが入った。

『朝ごはんはきちんと食べたかい?』

 いいタイミングでの連絡に頬が緩む。黒兎はすぐに返信をした。

『食べたよ。何なら証拠写真送ろうか?』

 そんな軽口を送ると、すぐに電話が掛かってくる。どうやら黒兎が休憩中だと察したらしい。

『やあ、調子はどうだい?』
「朝は眠かったけど、仕事してるうちに目が覚めたよ」
『ああ。昨日は無茶させてしまったかな?』

 そう呟く雅樹の声は甘い。スマホを通して聞くと、また違った雰囲気に聞こえる彼の声に、黒兎はクスクスと笑う。

 こうして、二人の手が空いた時に少しでも電話をするようになった。お互い経営者で自分の裁量で仕事ができるのをいいことに、黒兎たちは甘い日々を過ごしている。本当に、視線すら合わなかった頃が嘘かのようだ。

 そこへ、インターホンが鳴る。黒兎は通話したまま雅樹を待たせ、玄関へと向かった。

 ドアを開けると予想通り、宅配のお兄さんがいる。いつものように荷物を受け取って、そのままドアを閉めようとすると、声を掛けられた。

「あのっ、普通はこんなことやっちゃいけないんですけど……Aカンパニー、好きなんですか?」

 どうやら荷物を見てそう言ったらしい。黒兎が曖昧に返事をすると、男は笑顔で話し始める。

「俺、大好きで。時々荷物が届くから、綾原あやはらさんも好きなのかなって……」

 理由を聞いてなるほど、と思った。Aカンパニーの公演グッズなどを時々通販で買っているから、話が合うと思ったのか、と納得する。

「ええ。今度の公演のTシャツを買ったんです」
「やっぱり……! しかも今回月成つきなり監督も役者として舞台に乗るじゃないですか。俺、チケット争奪戦に負けて……」

 恐らくこの会話を、雅樹はスマホ越しに聞いているだろう。こんな身近にAカンパニーファンがいるとは、と黒兎も嬉しくなる。

「最近、月成監督も舞台に乗ることが多いですね。役者復活するのかな?」
「えっ? 月成監督って役者もやってたんですか?」

 話題に上がった月成とは、Aカンパニー専属の脚本演出家だ。元々役者だったが大御所演出家に潰されかけ、だったらそんなジジイを潰してやる、と転身した話は有名だと思っていたけれど。

「そうなんです。有名な話だと思ってましたけど……」
「ああ。俺、まだファン歴浅くて……。通りで月成監督、演技も上手いと思ってました」

 男はそう言うと、いきなりすみませんでした、と仕事に戻っていく。まさかこんなところでAカンパニーのファンに出会えるとは思わず、黒兎はまた名札を盗み見たら「佐々川」と書かれていた。

 またよろしくお願いします、と去って行く彼を見送ると、持っていたスマホを耳に当てる。

「ごめん雅樹、立ち話しちゃった」

 まさかAカンパニーのファンだったとは思わなかったよ、と嬉しく思ってそう言うと、雅樹はため息をついていた。

『黒兎……きみは良くも悪くも人を惹きつけるから、気を付けた方がいい』
「そんな……買いかぶり過ぎだし、今のひとはAカンパニーのファンだよ?」

 俺のことが好きなわけじゃない、と言うと、雅樹は分かってないようだね、とまたため息をつく。

『そういう共通点から近付く輩だっているんだ』
「はいはい」

 黒兎がまともに取り合わないでいると、雅樹はあからさまに不機嫌になった。普段、感情を表に出すひとではないので、黒兎もついムキになってしまう。

「まさか嫉妬? 俺だって、雅樹以外とAカンパニーの話したいよ」

 内田の件があってから、強制的に仲が良かった数少ない友達も、切らざるを得なかった。だから趣味が合う、話が会うひとはそれだけで貴重で、少しくらいいいじゃないか、と思う。

『黒兎……今日は何時に終わる?』
「は? 今日は雅樹も忙しいって言うから……」
『そっちに行く。終わりは何時だ?』

 いつもの柔らかい口調がすっかり取れてしまった雅樹は、はっきり言って怖い。黒兎は正直に上がりの時間を教えると、分かった、とだけ言って通話は切れた。
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